Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

茨木県で震度6弱

2016年12月28日 23時08分23秒 | 天気と自然災害
 茨城県高萩市で震度6弱の地震が発生。深さ10キロ、マグニチュード6.3という。横浜でも震度3を記録した。
 長い時間揺れていたのでもう少し遠くの地震かと推定したが、頻繁に地震の発生する場所が震源と思われた。しかし震源の深さの割に広範囲に揺れており、規模も大きい。これまでは震度5位だったのだが、今回は揺れが大きかったようだ。震源の深さや、震源の場所の細かな分析が待たれると思う。
 深度6弱ということは被害が出ている可能性がある。今のところ宿泊施設で天井の落下があったとの情報があった。
 TBS/JNNのニュースを自動配信によると「原子力規制庁によると、震度6弱が観測された茨城県内の東海第二原発、日本原子力研究開発機構の各研究施設、核燃料の製造を行う原子燃料工業と三菱原子燃料の施設で異常は確認されていないという」となっている。しかしこの地域にこんなにも原子力施設があるということに今更ながら驚いている。

 ツィッターでの情報はつぎのとおり。この地域は2011年3月11日の震災以降活発化していると指摘している。震災以降最大の地震であったとのこと。


   

円山応挙展から「秋野暁望図」

2016年12月28日 22時26分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 円山応挙展は後期展示の時に行った。その時に目についた作品の内のひとつがこの「秋野暁望図」(1769、個人蔵)である。全体的にぼやけているのと、紙が茶色に変色しているように見えたのとで、忘れられていた作品のひとつかなと勝手に思っていた。
しかしその割には丁寧に草が書き込まれている。暫くしてようやく紙の劣化とは違い、意図的にぼやけさせたのだと分かった。さらに題名を見て、明け方の日がさす直前の雰囲気を出そうとしたのだと理解した。このぼやっとした情景からは朝露に濡れた草の葉を思い浮かべることが出来る。
 白い塊が何かわからなかったが、解説によると芙蓉の花とのことであった。そして座って鑑賞する位置でこの作品を前にして上方を見上げると薄の穂がこちらに覆いかぶさるように立体的に見えた。それはすらっとした薄の穂の曲がり具合によるだけでなく、薄の穂の細かな描写によってくっきりと浮かび上がることによる立体感だと感じた。細かい描写によって穂がこちら側に迫って来るように見えた。穂よりも茎をぼやかして描くことで根元が向こう側に強調されて認識する。遠近法に脱帽した。上の方の黄色の大気が柔らかく鑑賞者の身を包んでくれ。
 解説には「輪郭のぼやけた陰影表現はどこか「朦朧体」を想起させる斬新なもの」と記されている。芙蓉の大きな葉は確かに輪郭線はうすく、地にとけ込んでしまいそうである。



 次の「鵜飼図」(1770、個人蔵)は前期展示だったので直接見ることは出来なかった。図録で「秋野暁望図」の前のページに掲載されており、ちょうど見開き状態で二つの作品を鑑賞できる。この作品も初めて目にする作品である。是非とも実際に目にしてみたかった。



 ほぼ同時代に描かれた蕪村の「闇夜漁舟図」(1760年代、逸翁美術館蔵)を思い浮かべた。蕪村の作品の方が、人家の明かりを描いていることと、陰影が濃く、そして物語り性も強いが、人物の表情はこちにの応挙の方に軍配は上がるかもしれない。同じ船の上の火が描かれているが、応挙の描くかがり火からは暖かさは感じない。点景としての篝火に徹している。悪く言えば生活感という暖かみがない。たぶん煙や人家からの暖気によって明かりに照らされた暖かみを主題にした蕪村と、あくまでも光としての篝火の視覚的イメージに着目した応挙の差なのかもしれない。
 二人の交友関係などから双方の影響をわたしは否定できないと感じている。あくまでも根拠のない私の推論でしかないが‥。
 解説によると賛は「鵜飼舟高瀬さしこすほどなれや結ぼほれゆくかがり火のかげ」(寂蓮・新古今和歌集)である。和歌に題材を取っているために余計視覚的なイメージが先行しているのではないだろうか。


「俳句世がたり」(小沢信男著)

2016年12月28日 12時02分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日病院に行ったついでに、足を引きづりながら横浜駅の有隣堂を覗いた。そこで購入したのが「俳句世がたり」(小沢信男、岩波新書)。みすず書房の月刊誌「みすず」に2010年から約7年の連載記事をまとめたもの。
 俳句をマクラにしたエッセイ。なかなか軽妙でおもしろい。「パウロ 十字架の使徒」(
青野太潮)と「漱石のこころ」(赤木昭夫)も触手は伸ばしたが、遠慮した。
 ブログに引用するのも面白いと思った。このような軽妙な文章というのは私にはなかなか書けない。
 真似をするのも勉強の内、かもしれない。「しなやかに世を斬る練達の筆」、そんなしなやかさが私にもほしいものである。ということで、これから読み始める。