Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夜のウォーキング

2016年12月14日 23時51分12秒 | 山行・旅行・散策
 本日の作業は思っていた以上にはかどったようだ。15時までに退職者会ニュースの第4頁目は一部の記事を除いておおよそ出来上がった。今晩中に9割方仕上げることが出来た。
 あとは新年に向けた会員の声を掲載する2頁目、3頁目だけとなる。すでに大半の声は打ち終わっているので、来週までに何とか編集作業は終わるめどが出来た。
 見通しがたってほっとしている反面、まだ作業は残っているので気は抜けない。

 一段落したので、43分、5800歩ほどの夜のウオーキングを行った。とても寒いが冬の満月の下で歩くのは気持ちが良かった。

冬満月

2016年12月14日 21時42分39秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 さて、本日は満月。空に満月が美しい。地平線・水平線を離れた月は小さく見える。しかし古代から人々は中天の月といえども雲があると月の出のように月が大きく見えることを知っていたと思われることに気が付いた。
 昔から「月に群雲(むらくも)」という言葉がある。群雲に月が隠されたり、出てきたりということの変化を楽しんだとばかり思っていた。それもあるだろうが、大きさを比べるものがあると月の形も大きく鮮明に見えることを言っているのだと思い至った。
 横浜では1時間ほど前までは月の周囲に雲があり、月がその間を縫うように顔を出したり隠れたりという風情があった。今は雲はなくなり、冬の大三角形(オリオン座のペテルギウス、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン)のすぐ横で明るく照っている。
 冬の満月は煌々と街を照らす。月の光は太陽のように人や街を炙りだすことはない。しかし月の光は昼間以上にあまねく街を、人の心を浮かび上がらせる。

★冬の月焦土に街の名がのこり      加藤楸邨


冬の月‥

2016年12月14日 20時37分13秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 夕方、作業につかれてパソコンの傍に置いてある「加藤楸邨句集」を手に取り、第5句集「火の記憶」(1944年秋から1945年夏)に目をとおした。全部で82句、東京で空襲の恐怖下の切羽詰まった生活を綴る句が並ぶ。ここでとても気になった表現がある。空襲のことを記した句が圧倒的に多い区集であるが、各句の前書きに変遷がある。句集の始めから33句目、1944年の12月25日の句では、

 十ニ月二十五日、午前二時半敵機侵入、一・二機か
★冬の月骨髄に悔のこりけり

とあるが、以降は「敵」という語が見つからない。

 十二月三十一日、午前九時半、西北方より侵入、焼夷弾投下
★配給の薯四五本と年を超す

とあり、意識的な「敵」という言葉をさけている様子がうかがわれる。

 ひょっとしたら加藤楸邨も「大本営」発表のニュースに疑問を大いに持っていたと思われる。しかしどのようなことを背景にこのようなことになったのか、大いに興味がある。

 四月三十日、大編隊東京西北西に入る、
★陽炎を負ひて家なき顔ばかり

ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」

2016年12月14日 11時00分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 作業中に聴いている本日のCDはブラームスのヴァイオリン協奏曲。シュロモ・ミンツのヴァイオリン、クラウディオ・アバド指揮のベルリンフィルの取り合わせ。録音は1987年。すでに何回か取り上げている。 フォーレの曲は今日はおやすみ。
 ドイツ音楽の方に耳がなれてしまっているためか、あるいはブラームス好きのためか、聴き慣れた展開の曲は聞き流していても、どこかでちゃんと曲の流れを追っている。
 もしも金銭的に余裕があれば、他のソリストの演奏も聴きたいと切に願っている。いろいろの演奏家の録音を聴いてい見たい。難しいと思うが‥。

雨が強くなってきた

2016年12月14日 01時23分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 国土交通省のXRAINや、横浜市のレインアイよこはまの画像を見ると、雨は岩手県南部から京都府にかけて広い範囲で降っているようだ。特に現在は宮城・福島両県、富山・石川両県、静岡県、北陸地方で強く降っている。横浜でも一部の地域で20ミリ未満のやや強い雨となっている。
 雨の区域は南南西から北北東へ流れている。これから横浜でも強くなるかもしれない。

 先ほど夕食後に、日曜美術館で放映した「クラーナッハ展」と、「ロスト北斎」の録画を見た。いづれも最後の方の10分程をそれぞれ見ていなかったので、少し戻して思い出しながら見ていた。クラーナッハ展も訪れたいとは思っているが、実現できるであろうか。1月15日まで。サントリー美術館の「小野田直武と秋田蘭画」展も1月9日までである。

 円山応挙展の感想を少しずつでも掲載したいのだが、新聞の編集作業が一段落するまでは無理のようだ。パソコンの横に図録が置いてあるが、見るゆとりがない。読書中の本もリュックの中に放り込んだまま。これがストレスと云えばストレスである。最近は少々愚痴が多くなっている。これも危険な兆候か‥。

 せめて読書が出来ないストレスをできるだけはやく解消するために、明日一日で第4面を仕上げてしまった方がよさそうである。