Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の外出は短時間

2016年12月29日 23時13分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日はすんでいるところの近くのスーパーへ妻と。半月板損傷疑惑この方、妻と連れ立って外出している。私は、お屠蘇用の4合瓶の日本酒2本と、酔いにいいという干し柿と、八つ頭をリュックに背負い、杖を突いてお供。妻はその倍の重さの買い物袋を両手に持って帰ってきた。私の両親は八つ頭を料理する習慣はなく、結婚して初めて妻が八つ頭の煮しめを作ってくれた。それ以来私は病みつきに。これだけは正月は欠かしたことがない。

 購入した日本酒は「一ノ蔵 無鑑査」と「菊勇 原酒」。ともに屠蘇散につけるのはもったいないことは承知をしている。一ノ蔵の半分にあたる2合だけは屠蘇用に使うつもり。一ノ蔵の残りと菊勇原酒は、大晦日から三が日にかけてじっくりと味わうつもりである。本日は菊勇をお猪口で3杯ほどの「味見」で我慢した。

 さて、左の膝はあまり痛みが走ることはなかった。痛みは和らいでいる。炎症自体はおさまっているが、足を伸ばそうとすると膝の裏がやはり痛い。そして伸ばしきれない。

人間の顔が見えなくなった社会

2016年12月29日 20時18分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 有名な電通の「鬼十則」なるものを読んでみて、何か気がつかないだろうか。
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

 私は数年前にたまたまこの「鬼十則」を読んで二つのことに気が付いた。
 まず、この十則には「組織」という概念が何ら反映していない。勤め人がこなす仕事は一人でやるものではない。どんな仕事も相方もいるし、組織で取り組むものである。かろうじて「組織」についてかすかに言及しているのは最後の10番目だけである。それも組織的な摩擦を恐れるなというだけである。6番目など組織そのものを否定している。
 次に、仕事がうまくいかないのはすべて個人せいである、と感じないだろうか。この十則の基本姿勢は、仕事ができないのはすべて個人の努力の至らないことに還元させているところである。組織で仕事をして、組織の意志として業務をこなしているのに、責任はすべて個人に還元される。責任と労力は個人持ち、利益だけは企業で吸い上げる、では個々の社員は単なる奴隷でしかない。社員一人一人は無限に責任と労力をひたすら提供するだけの機械でしかないと思われる。そのように経営者も社員を見ているだけである。経営者-管理職-末端社員-新人職員-下請け業者と責任は下部に押し付けられていく。戦前の帝国軍隊のように。社員の働き甲斐や達成感などどこにもなく、疲労だけが残されるのは目に見えている。また企業に働く社員には家族がおり、そして仕事を離れた時の自己というかけがいのない個人の世界が存在する。しかしそれを何ら前提にしていない。
 これは「企業」という組織の集合体の組織の在り方を規定しているとは思えない。それが社訓として大手を振っている「企業」組織とはとても恥ずかしいとは思わなかったであろうか。私が経営者なら、こんな恥ずかしい「社訓」を掲げることはしない。
 この「十訓」は成功したことのある経営者の仕事に対するこれまでの個人的な処世訓・姿勢を組織全体と組織の構成員に強引にすり替えたものでしかない。個人の論理と組織の論理を混同するという、子どもにでもわかる間違いを犯している。

 職人といえども相互関係の中で、つまり人間の集団の中でひとつの仕事を達成するのである。ひとり親方、ひとりでこなす職人もいるかもしれないが、それは自分で業務全体の計画から完成までをすべて見通しながらこなすことが出来る。仕事の達成感も見通しも自分の力量でこなす芸術家肌の職人技もあるであろう。あるいは会社経営が自己目的であった人の処世訓であるのだろう。これを一般化するのは個人の思想の押し売りでしかない。
 勤め人の場合は、仕事では自分ですべてを見渡して自分のペースで、こなすものではない。いつも切羽詰まった期限と、相手側の都合にあわせたスケジュール、そして利益という企業の論理の前に押しつぶされかねない無言の圧力に常に心身をすり減らしている。

 繰り返してはいけない新人社員の自死という痛ましい事件があり、この「鬼十則」は一気に有名になった。しかし悲しいかな、このような自死に至った惨劇は数知れずあった。新人だけでなく、あらゆる世代の勤め人が現役時代に数多く見聞きしてきた。
 この「鬼十則」を読んで、日本の経営が当初のイギリスの産業革命の時代、それに意義を唱えたマルクス・エンゲルスの時代のように人間性を否定した先に、労働というものを捉えているとしか思えない状況がこの21世紀に日本という国で生きていることに茫然としている。たぶんそれが現代の社会なのであろう。
 人はなんのために働くのか。むろんなにがしかの仕事をこなした時の「達成感」というものも大切である。その仕事が「社会」との関係の中で有意義なものだったという思いが強ければ働き甲斐も強まる。
 同時に人は仕事だけで生きているのではない。家族を持ち、そして自己の趣味や理念などの個人の領域に属することで、生きがいをさらに強く感じるものである。8時間労働というものが、社会の進歩に従い労働時間が短くなるのではなく、社会の進展とともに労働時間が長くなり、責任ばかりに追い詰められるとは、社会の退歩ではないのか。

 人間性を否定した企業社会、個人個人の生き生きした人間の顔が見えない社会、これは根底から見直さなくてはならない。そこに抵抗するのは、それでいい目を見ていると勘違いしている人々と、奴隷であることに慣れ親しんでしまった奴隷だけである。この社会でいい目を見ている人やこの社会を作ってきた人は、意外とこんな社会では先行きが不安であると思っているのではないか。
 勘違いしている人は、次の社会では奴隷になるかもしれない、明日には奴隷になるかもしれないから、と這いあがるために周囲の人や自分よりも弱い立場の人を奴隷扱いする人でもある。自分の立場に対する不安が勘違いを増幅させている。この手の人々がもっとも手に負えない害悪である。

杖を突いて外出

2016年12月29日 12時27分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 医者からの指示は「安静にしてやむを得ず歩くときは杖を忘れずに」ということであった。昨日は散髪に行きたいと思っていたので、登山用のT型トレッキングポールを使って歩いてみた。このトレッキングポールは以前膝のお皿のうらの軟骨の炎症を直した時につかったが、登山では使ったことがない。横浜駅まで歩きたい気分を抑えて普段なら12分ほどで到着する私鉄の駅まで歩いてから電車を利用した。
 登山と違って左足にかかる力をセーブするためなので、左足が着地すると同時にポールを突く必要がある。右手でポールを持つときは普段腕を振る時と同じ要領だが、左手でポールを持つときは普段歩き時の腕の振りとは反対にする必要がある。妻に同伴してもらったが、要領を飲み込むのに時間がかかり、結局妻のスピードには追いつけない。ゆっくりと歩いてもらった。
 横浜駅で妻と別れ、私だけ1000円の理容店に行くとなんと12人待ち。年末のかき入れ時である。それでも一人10分かからないというのが売りでもあるので15分ほどで順番が回ってきた。一人10分以内といっても私などは髪の量が少ないので5分ちょっとで終わってしまう。
 横浜駅地下街を人の流れよりもゆっくりと歩いてバス停まで到着。いつもは人を追い抜くばかりだが、昨日は追い抜かれる立場。

 さて、私の症状の場合ポールを突いているが、足を曲げるのが辛いのと、立つときに面倒なのでできれば立ったままでいたい。多くの方が席を譲ってくれるのはとてもありがたいのだが、2駅や3駅では立ったままの方がずっと楽なので申しわけないがお断りすることになる。それが煩わしいが、昨日はガラガラだったので助かった。
 しかし降りる時が怖かった。ドアの端についている握り棒を掴んだまま降りようとしたが、全員が降りる前に強引に脇をすり抜けて乗り込もうとする中年の女性にぶつかった。そして握り棒から手を外さざるを得なかった。とても怖い一瞬であった。あれだけ空いていれば最後に乗っても十分座れるし、あの強引さがあれば体力は十分なので座る必要もないものだが‥。座ること自体が価値があと勘違いをしているようである。座らなければ電車賃の元が取れないと考えているのだろうか。
 帰りのバスは安全のため座った方がいいと思い、後ろの方の前向きに並ぶ二人掛けの席に座った。ところが前後が狭いのでポールの処置が難しい。座る時も立ちあがる時もポールが使えないのでお尻の移動が難しい。
 なかなか難しいものである。

 横浜駅で別れた妻は買い物の後、元の駅に戻り駅前商店街の和菓子店に予約していた餅を受け取って帰ってきた。例年なら私が荷物持ちで運ばされるもののひとつである。

 膝用のサポーターの緩めのものを使っていたが、丸二日着けっぱなしにしたらさっそくかぶれてしまった。サポーターというものが、どこの部位でも私はかぶれてしまう。