Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

服に体を合わせる

2016年12月09日 23時04分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今度の日曜日に葬式に参列する必要があり、一年ぶりに喪服に袖をとおしてみた。さいわい夏・冬2着ともカビなどは出ていなかったが、悲しいことに冬服はこれまで通りズボンがきつすぎて穿けなかった。夏用はかろうじて穿けた。
 もともと冬でも薄着なので、夏用の喪服を着ることは特に抵抗はない。少し長めのダウンのコートを切れば全く問題は無い。しかし着るものに体を合わせないといけない。これは困ったものである。

 本日は昼間は暖かく感じた。横浜でも13時半過ぎに17.4℃を記録したようだ。ただし明日からは冷えるとの予報が出ている。お通夜に参列する日曜日はかなり冷えるようだ。
 昼過ぎから横浜駅まで歩き、喫茶店で読書。ウォーキングは行わず、往復で少しだけ遠回りをして1万歩でとどめた。さらに夜には近くのドラッグストアに買い物で+5千歩ぼ。一応足の休養日というところ。

フォーレ「ピアノ五重奏曲#1、#2」

2016年12月09日 21時00分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ピアノ四重奏曲と同様、いづれも初めて聞く曲である。第1番(作品89)はフォーレの中期を締めくくる作品で、1945年に生まれだフォーレが58歳の時、1903年から6年にかけて作られた曲という。
 解説では「全体に透明で、静謐な印象」と記載されているが、私にはかなり重々しい、否ア重苦しい。
 第2番(作品115)はフォーレの晩年の1919年から21年、第一次世界大戦後に作られた曲である。亡くなったのが1924年79歳であるから、74歳から76歳にかけて作られている。初演当時も絶賛を博したと記されている。私も好みの曲である。
 第1楽章の出だしはヴィオラだと思うが、このメロディーと響きがピアノの分散和音と相まって特に美しい。ヴァイオリンのすすり泣くようなメロディーに引き継がれていく経過にも惹かれる。私は特に第3楽章、フィナーレが気に入った。楽章ごとの対比も飽きさせない。特にヴィオラの音色に重点があるように思える。

   

12月8日はジョン・レノンの命日

2016年12月09日 12時19分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 1980年12月8日はジョン・レノンが殺害された日でもある。ジョンはこの日、当時住んでいたニューヨークの住宅ダコタ・ハウスの入口で射殺された。ジョンは妻ヨーコ・オノと共にちょうど、レコード・プラント・スタジオから帰宅したところだった。

 Imagineは1971年に発表された。70年代初め、学生の私は特にこの曲には注意を払わなかった。他の人に思いが「甘い」などと言っていた。しかし歳を取るにしたがってそのようには思わなくなった。
 「dreamer」といって切り捨ててはいけない、と思うようになってきた。最近は、人間は「dreamer」であることによって「価値」づけられるといってもいい。「dream」の「気高さ」によって人はそのようになる。「dream」への歩みによって、それが達せられなくとも気高さと心根は語り継がれる。自分の「dream」とのたえざる心の中の対話や自己検証によって人は成長する。志の低い、そして人を蹴落とすことや他人を支配しようとする「dream」は人を堕落させる。周囲の人を不幸にする。


Imagine

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

想像してごらん 天国のない世界を
やってごらん 簡単なことさ
僕らの足元に地獄はなく
上にあるのは青空だけ
想像してごらん 今日という日のために生きているみんなを

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

想像してごらん 国境のない世界を
難しいことじゃないさ
殺すことも死ぬ理由もない
宗教も存在しない
想像してごらん 平和の中で生きているみんなを

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

君は言うかもしれない
僕をドリーマーだと でもそれは僕だけじゃない
いつか、君も仲間になってくれるといいな
そして世界は一つになって生きていくんだ

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

想像してごらん 何も所有していない世界を
やってごらん 君にもできるかもしれない
欲望も飢えも必要なく
人はみんな兄弟なんだ
想像してごらん 世界を分かち合っているみんなを

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one

君は言うかもしれない
僕をドリーマーだと でもそれは僕だけじゃない
いつか、君も仲間になってくれるといいな
そして世界は一つになって生きていくんだ

 こちらより引用しました⇒【http://eylyricsdiary.blogspot.com/2012/03/imagine.html

十二月八日は真珠湾攻撃の日

2016年12月09日 11時01分50秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日は開戦記念日。
★十二月八日の霜の屋根幾万    加藤楸邨
★十二月八日青春欠け初めし    森 洋子
★十二月八日靴音消ゆる壁     寺井 治
★開戦日厨にパンを焼く匂ひ    吉田八重子

 1句目は「十六年抄」所収。真珠湾攻撃の報に接した時の吟と思われる。勇ましい軍歌とともに放送された戦果を聴きつつも、「霜の屋根幾万」を配した。背筋を伸ばし襟を正した感慨、とするには霜とはあまりに冷たいものである。背筋の寒くなる予感なのか、不安なのか、作者の戦中から戦後の生き方を暗示させるものがある。
 2句目、軍人ばかりではなく多くの国民の人生を狂わせた。そして戦争責任の曖昧さだけが残り、今の政治に繋がっている。青春が欠けた、のは戦中派だけではなく、戦後世代も戦争の陰と負を背負い込んでいる。
 3句目、戦後70年経過しても、否70年も経ったゆえにということなのか、世界から発せられる戦の不安な情報。何ものかの靴音が自分の家の前で不意に停まる不安が迫る。やはり戦中派だけではない戦後世代の不安につながる。
 4句目、「大東亜共栄圏」だの「八紘一宇」だのの言葉が平気で墓場から生き返る世に、かたくなに背を向け、パンを焼く日常の一コマにこそ守らなければならない生活がある。それを守れない政治的大言壮語など信じてはならない。

 宣戦布告なき戦争を始めた国の首相が公式にパールハーバーを訪れるという。招いた大統領も広島の原爆慰霊碑の前では謝罪は無かった。訪れる首相は前宣伝で声高に「謝罪はしない」と平然としている。
 政治家というものが「謝罪」ということをしないことが美徳と思っているらしい。過去を忘れて未来志向だという。これは市民社会では成り立たない倫理である。多くの若者から「謝罪」という言葉が辞書から消えるかもしれない。日常生活から消えてしまうかもしれない。すでに日本の政治家の多くは「謝罪」をしない。「そのように受け取られたら誤解です」といって他人を平気で傷つけることが当たり前になった。
 「美しい日本」から「謝罪」と「お詫び」が消えたのが、この首相が政治のイニシャティブを取るようになってからである。それを咎める政治家も力を無くしている。