Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

昼間は冬らしからぬ陽気と雲

2016年12月23日 23時49分22秒 | 天気と自然災害
   

 本日始めた部屋の片づけは、取りあえず机の上の書類の整理と廃棄、本棚の一部の整理で一段落。明日の午後には他の棚の整理をしなくてはいけない。明日中には大体終わらせたいものである。
 本日は夕方買い物に付き合っで外に出たが、20℃近くの暖かさの上に、空の雲が低く垂れこめ、その間から青空が顔を出していた。とても冬の空ではなかった。
 夜は、昼間とはうって変わって風がかなり冷たく、気温が低くなっている。

 先ほど夜の軽いウォーキングをした。しかし8日つづけた毎日2万歩を大きく超えるウォーキングは中断。本日は昼間の買い物も含めて合計1万4千歩余りであった。少しは腰を休ませないと腰痛が再発してはまずい。


高見順「死の淵より」

2016年12月23日 22時56分53秒 | 読書
 部屋の片づけをしていたら、1981年以降、私が30代になりたての頃に読んだ高見順の「詩集 死の淵より」(講談社文庫)が出てきた。当時どんな読み方をして、何に感動したかはよく覚えていない。
 この「死の淵より」は作者が1963年56歳のとき食道癌を患い、その病床の中で翌年に発表された詩集である。1965年に58歳でこの癌が原因で亡くなっている。
 いくつかのページに折り目がついていて、惹かれた詩と思われるものだと思う。20代前半に「荒地詩集」を読んだときは詩もおぼろげながら今現在も時々思い出したりするが、この時分に読んだ詩集はあまり記憶にない。
 しかし頁の端を折ってしるしをつけてある詩は、なかなか今読むといいと思う。

 心のけだもの
けだものよ
眠りから早くさめて
兇暴に駆けめぐれ
私の心のなかのけだものよ
おまえの猟場を駆けめぐれ
死の影の下で眠りこけている間に
たちまちそこが占領されたようで
ほかの獣に
死となんらかかわりのない獣たちに
おまえのナワ張りは荒らされてしまった


 しかし30歳になったばかりの私が、60歳を目の前にして食道癌という当時は生還のかなわない病に苛まれた小説家が病床で書いた詩をどのように受け取ったか、またどのような経緯で読み始めたか、今思い出してもまったく記憶がない。ただ、読んだ、という記憶以外に‥。ただ明日取り上げる「この埋立地」は微かにだが記憶がある。


シベリウス「ヴァイオリン協奏曲」

2016年12月23日 18時47分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 本日の部屋の片づけ作業のお供はシベリウス「ヴァイオリン協奏曲」。
1.諏訪内晶子+バーミンガム市交響楽団+指揮サカリ・オラモの2002年盤、
2.五嶋みどり+イスラエル・フィルハーモニー交響楽団+指揮ズービン・メータの1993年盤、
3.レオニダス・ガヴァコス+ラハティ交響楽団+指揮オスモ・ヴァンカスの1991年盤
4.シルヴィア・マルコヴィッチ+エーテボリ交響楽団+指揮ネーメ・ヤルヴィの1986年盤
と、4枚のCDが私の手元にある。1、2、4をすでに取り上げているが、今回も4をかけてみた。
 理由は特にないが、この4の演奏が何となく聴きやすい。私なりのシベリウス像に近いのだろうか。ただしどの録音がどのようにいいのか、惹かれることがないのか、分析したことはない。だいたいが4枚も所有しているというのが、私自身にも分からない。購入するときには以前に購入したことを忘れていたのだと思うしかない。
 3.は1903・1904年のオリジナル版、1905年の現在演奏されるファイナル版とを同時に収録している。その違いはまだ分かっていない。
 第1楽章の闇の静寂から最弱音で浮かび上がってくるヴァイオリンの旋律、それを受けて流れるクラリネットとファゴットの低音を聴いた途端に私はもうこの曲の世界に引き込まれる。第2主題のチェロはじっくり味わうまもなくカデンツァの醍醐味に移っていく。第1楽章の後半のヴァイオリンの低音から高音にわたって求められる粘っこい奏法がこの曲の正否を決めるような気がしている。第2楽章はクラリネットなど木管の美しい旋律から始まる。ソロヴァイオリンの出だしが私はとても好みである。第3楽章はリズミカルだが、オーケストレーションの厚みに圧倒される。そして軽快な旋律の中に不安定な要素、暗い情念のようなものを常に感じ取ってしまう。それがシベリウスの魅力だと思っている。
 シベリウスはヴァイオリンの演奏についてはかなりのレヴェルであったこともあり、ヴァイオリンの美しさを十分意識している。特に重音の美しさに私は惹かれる。

本日より部屋の掃除

2016年12月23日 10時30分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 深夜3時前には雨の音は消え、風の音もほとんどしなくなった。しかし横浜域では今朝になっても強風・波浪注意報は解除されていない。風は強めであるものの、暖かく、そして湿気の少ない心地よい風に感じる。

 今朝ベランダにセキセイインコを出そうとしたら、少し風が強めなので風が当たる室外機の上ではなく直接ベランダの床に籠をおいてやった。驚いたことにベランダにいつもおいてあるサンダルの一組が風でベランダの端まで移動してひっくり返っていた。風で煽られたようだ。
 我が家は1階なので手摺りから外に落ちても特に他の方に迷惑をかけることは無いが、これが2階よりも上であったら、他人のベランダに舞い込んでいたかもしれない。まさかサンダルが風で移動するとは想定していなかった。植木鉢を隅に押しやり、ゴミ入れや箒などは水の入ったじょうろを重しとして隅にかためておいた。こちらは何ともなかったが、サンダルはそのままにしていた。ゴム製のサンダルは重みがあるのか、動いてはいない。今後は注意を要することがわかった。

 本日はこれから私の部屋の片づけに手を付けることにした。約半年の書類の山、シュレッダーを駆使しながら、捨てるもの、残すもの、残したものの整理‥、考えただけでもうんざりする。