Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

西行の歌2首

2016年12月24日 21時07分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先ほど印刷会社から退職者会ニュース新年号の最終校正刷りが配信された。1点だけ訂正をお願いして、26日(月)に印刷に回してもらうことになった。どうやらこれで新年の正月10日の幹事会には間に合うことがはっきりした。ホッとしている。
 しかしクリスマスイブのしかも土曜日の夜まで仕事をこなしてもらって感謝してもしきれない。印刷会社は年末はかなり忙しいと思われる。ありがたい。

 さて、本日本棚を片付けていたら、昨日に目にした高見順の「死の淵より」と別の棚に西行の歌の解説書があった。ふとページを開いたところに次の歌が掲載されていた。懐かしくなってメモした。本棚の片づけはこれだからはかどらない。

★うなゐ子がすさみに鳴らす麦笛の声に驚く夏の昼ぶし     西行  聞書集
★竹馬を杖にも今日は頼むかな童遊びを思ひ出でつつ      西行  聞書集

 二つの歌ともに中学校の国語の先生にプリントで教わった。当時はまだ「聞書集」のことはあまり取り上げられることはなかったらしい。とても新鮮な気持ちで解釈を聴いていたことを思い出した。
 うなゐ子:童子    すさみ:慰みごと、たわぶれ    昼ぶし:うたた寝

ちょっと気になった句

2016年12月24日 20時48分25秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 ツィッターで2014年12月8日の日付と共に次の句が取り上げられていた。

★レノン忌より小さき記事なり開戦忌  藤本章子

 そして「増殖する俳句歳時記」に「今日十二月八日はかつての大戦の開戦日であり、ジョン・レノンの命日でもある。日本人にとって、いや世界の人類にとって、どちらが社会的に大きな出来事であったかは言うを俟たない。だが、この日の新聞はレノンの忌のことを大きく取り上げていたというのである。むろんレノン忌のことも風化させてはなるまいが、開戦の日のことはなおさらだろう。だが、ジャーナリズムとは残酷なもので、戦争の記憶の風化を嘆く舌の根も乾かぬうちに、かくのごとくに事態を風化させて平然としている。作者はそのことに大いなる義憤を覚えて詠んでいるわけだが、今日配達された紙面はどうであろうか。来年は戦後も七十年だから、そのことに引っかけて、多少大きめの記事を載せているかもしれない。近ごろの私は万事に悲観的だから、どのような大きな出来事もいずれは風化してしまうと思ってしまう。が、せめても自分の中では風化させないようにとも願っている。開戦日については、敗戦日よりもっと多々論じられてよい。俳誌「苑」(2011年3月号)所載。(清水哲男)」と記されていた。
 私はこの論については大方は賛成するが、ただこの論では抜けている大事なことがあると思う。それはジョン・レノンによる「イマジン」という歌の存在である。
 反戦歌として取り上げられるこの歌について、評者も句の作者も知らないわけではないと思う。
 私は、開戦忌も重要だが、レノンの忌日が語られなくなることもまたまずいと思う。共に語られることによって、「戦争」全体への忌避の思いが重ねられ、豊富かされることの方がずっと好ましいのではないか。それぞれを縁として、いろいろと思いを巡らす日となるといい。思いが余ってかえって広がりを狭くしてはいないか?

部屋の片付け2日目

2016年12月24日 15時46分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 とりあえず本日の部屋の片づけは一段落。明日午前中でどうやら終了できそうである。だいぶ草臥れた。
 私の部屋以外の掃除はすっかり妻におまかせ状態である。妻もかなりくたびれたようなので、本日は買い物がてら、夕食は外食ということにした。

 本棚の整理は、書籍を大胆には息しない限りいくら整理してももう限界である。普段取り出す頻度の高い辞書や年表や図鑑などを除いて半分以上の棚は前後2段になってしかも横積みである。
 美術展の図録も古いものは整理ないし廃棄、あるいは古書店にもっていかなくてはいけないようだ。多分ここ3年以内には実行しないと本棚から本があふれだすことは間違いがない。


高見順「死の淵より」 その2

2016年12月24日 09時27分59秒 | 読書
 次の詩は微かに記憶にある。多分「生き埋めにされた海の執念」、「しつこい執念は見事だ」、「それはそのまま海の中にきえている」などの言葉に惹かれたはずだ。多数派と対峙しながら、私は労働運動の現場に自分の立ち位置を模索していた。多数派も私などのごく少数も、今から思えぱどちらも執念ともいうべき執拗さがあったと思う。この「執念」という言葉が私の心の琴線に響いたのだと思う。
 病と闘い、生死の境を飛び越えようという作者からみれば、些細な意地張り合いにしか見えないだろう「執念」をこんなにも勝手に解釈されたらたまらないと、作者は怒っているだろう。しかしそれもまた読者の側の勝手な都合の世界であり、作者は関係ない世界かもしれない。。

 この埋立地

この埋立地はいつまでも土が固まらない
いつまでもじくじくしていて
草も生えない
生き埋めにされた海の執念を
そこにみるおもいがする
たとえ泥んこのきたなさ醜さでも
しつこい執念は見事だ
雨上がりの一段とひどい泥濘の
今朝の埋立地に足跡がついている
危険な埋立地を歩いたやつがいる
その勇ましさも見事だ
なんの執念だろうか
がぼっと穴になって残っている足跡は
まっすぐ海に向かっている
それはそそまま海のなかに消えている


 現在の私の心境からすると、当時はチェックしていないが次のような詩に惹かれる。私も確実に老境である。

 黒板

病室の窓の
白いカーテンに
午後の陽がさして
教室のようだ
中学生の時分
私の好きだった若い英語教師が
黒板消しでチョークの字を
きれいに消してリーダーを小脇に
午後の陽を肩さくに受けて
じゃ諸君と教室を出て行った
ちょうどあのように
私も人生を去りたい
すべてをさっと消して
じゃ諸君と言って