Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夜の読書は「讃酒歌十三首」(大伴旅人)

2017年04月11日 22時48分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は、帰宅直後には読書の気力は無かったが、眠い目をこすりながら「私の万葉集一」(大岡信、講談社現代新書)の「万葉集巻三」におさめられている大伴旅人の「讃酒歌十三首」の部分を読んだ。読んでいるうちに眼が冴え、参考に「萬葉集釋注二」(伊藤博、集英社文庫)と、「萬葉集1」(日本古典文学全集6、小学館)をひっぱり出して来た。
 万葉集などを読むときはつい、いくつかの本をひっぱり出してきて、比べながら読んでしまう。だからなかなか前に進まない。専門的に古典文学を研究したこともないので、なかなか前に進まない。
 高校生のころに習った古典・古文の授業のおぼろげな知識と、30代のころに強引に読み飛ばすようにして辛うじて眼をとおした日本書紀や平家物語や大鏡、芭蕉の文集などなどの独りよがりの読解の記憶を頼りに、何となく理解したつもりになる。
 だから注釈や、現代語訳がないとなかなか正しくは理解できない。ただし岩波にしろ、小学館の古典全集にしろ、新潮社の古典集成にしろ、相互に違いがあったり、わたしでも首を傾げるような個所がいくつもある。間違いは専門家もたくさんあるさ、というのが私の開き直りである。
 このような古典の世界に足を踏み入れるのはとても楽しい。ただし余程気分が乗らないと続かない。

CDプレーヤー

2017年04月11日 20時40分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕方になって横濱地域には大雨注意報が加わり、「大雨・波浪・強風注意報」となった。昼間の方が大雨・強風注意報が相応しいかと感じたが、朝からは強風注意報だけが発令されていた。
 先輩に誘われて、夕方から居酒屋へ。19時半に切り上げて帰宅。雨は小降りになっている。明日は夜に団地の管理組合の会合があるが、昼間は特に予定はない。できれば家電量販店に出向いて動かなくなったCDの再生装置について探ってみたい。
 2008年に購入したときのことをいろいろ思い出しているが、CDプレーヤーとチューナー、そしてアンプが分離しているものを購入しようとしたが、値段が高くなってしまい、一体型を購入した。やはり多少は高価でも分離型を購入しておけばよかったと反省している。
 チューナーもアンプも使えるので、選択肢としては修理よりもCDプレーヤーを単体で購入して、一体型の入力端子へ接続する方法がある。
 昨晩寝る時にそんなことを思いついた。単体でのCDプレーヤーはいくらくらいするのか、調べてみるのも悪くない。
 明日は晴れ、最高気温20℃。出かけたくなる天候のようである。

「私の万葉集」(大岡信)から -2-

2017年04月11日 10時06分10秒 | 読書
 「私の万葉集」(講談社現代新書)で印象に残っている個所をいくつか取り上げてみる。第4巻は万葉集第13巻から第16巻までを扱っている。第15巻は大伴家持の編集といわれている。ふたつに分かれ、合わせてで208首がおさめられている。
 前半は、「天平八年丙子夏六月、使を新羅の国に遣わす時に、使人等、おのもおのも別れを悲しびて贈答し、また海路の上にして旅を慟みして思ひを陳べて作る歌、併せて所に当りて誦詠する古歌一百四十五首」がおさめられている。
 その冒頭は11首あり、使人と残された恋人ないし妻と贈答歌である。大岡信はこの11首から初めの四首を取り上げている。

三五七八 武庫の裏の 入江の洲鳥(すどり) 羽(は)ぐくもる 君を離れて 恋にしぬべし
 ・武庫の裏の入江の渚鳥のように、私は今まであなたの羽根の中に暖かく包まれていました。そのあなたに別れて、私はもう恋い死にしそうです。
三五七九 大船に 妹乗るものに あらませば 羽ぐくみ持ちて 行かましものを
 ・大船にお前が乗っていくことができるなら、羽に包んで抱きしめて行きもしように。
三五八〇 君が行く 海辺の宿に 霧立たば 我(あ)が立ち嘆く 息と知りませ
 ・あなたが行く海辺の停泊地に、もの霧がたったなら、私が立ち嘆く、そのため息だと思ってください。
三五八一 秋さらば 相見むものを 何しかも 霧に立つべく 嘆きしまさむ
 ・秋になったら二人相まみえることができるのに、なんでそんなに、霧になって立つほどにもお嘆きになるのですか。
(訳は大岡信)

 このときの新羅使は5月に出立し秋には帰国の予定だったようだ。しかし予想を超えて困難を極め、新羅王に会うこと許されず、総勢200名前後もいたが、往路ですでに死者を出し、翌正月に帰国している。そして大使は対馬まで戻ったところで病死、副使も病気で入京できずに2月に帰朝報告をしている。
 高校の日本史の参考書に、「無礼な新羅の対応云々」という記述があり、そのような理解をしていた。しかし大岡信は、このころ不比等の4人の子息で政権の中枢の藤原房前、武智麻呂、宇合、麻呂が天然痘で死亡しており、新羅でもこのような事態があったのか、内紛なのか、切羽詰まった事態が生じていたのではないか、と記載している。
 日本書紀の新羅=悪の記述を鵜呑みにしている歴史観にとらわれない解釈を読んで、わたしたちは万葉集というものを読む目が昔からのあやふやな歴史感にとらわれているか、ということをあらためて考えさせられた。
 さらにこの145首の特徴として「一つは、すべて望郷の念、具体的に言えば妻恋の思いを基調にしており、外交使節団員としての使命感に燃えた歌や、少なくとも前途を思って勇躍しているといった性質の歌は、全く見当たらない」「第二の特徴は、新羅の国に到着し、帰国するまでの、一行にとっては緊張に満ちていたはずの日々のことは、‥1首ものこされていない。‥それ自体謎めいたものを感じずにはいられない。」と記述している。

 歴史学的な視点を踏まえた解釈が散りばめられているところが、大岡信の古典の批評をわたしが好む理由である。