本日は、帰宅直後には読書の気力は無かったが、眠い目をこすりながら「私の万葉集一」(大岡信、講談社現代新書)の「万葉集巻三」におさめられている大伴旅人の「讃酒歌十三首」の部分を読んだ。読んでいるうちに眼が冴え、参考に「萬葉集釋注二」(伊藤博、集英社文庫)と、「萬葉集1」(日本古典文学全集6、小学館)をひっぱり出して来た。
万葉集などを読むときはつい、いくつかの本をひっぱり出してきて、比べながら読んでしまう。だからなかなか前に進まない。専門的に古典文学を研究したこともないので、なかなか前に進まない。
高校生のころに習った古典・古文の授業のおぼろげな知識と、30代のころに強引に読み飛ばすようにして辛うじて眼をとおした日本書紀や平家物語や大鏡、芭蕉の文集などなどの独りよがりの読解の記憶を頼りに、何となく理解したつもりになる。
だから注釈や、現代語訳がないとなかなか正しくは理解できない。ただし岩波にしろ、小学館の古典全集にしろ、新潮社の古典集成にしろ、相互に違いがあったり、わたしでも首を傾げるような個所がいくつもある。間違いは専門家もたくさんあるさ、というのが私の開き直りである。
このような古典の世界に足を踏み入れるのはとても楽しい。ただし余程気分が乗らないと続かない。
万葉集などを読むときはつい、いくつかの本をひっぱり出してきて、比べながら読んでしまう。だからなかなか前に進まない。専門的に古典文学を研究したこともないので、なかなか前に進まない。
高校生のころに習った古典・古文の授業のおぼろげな知識と、30代のころに強引に読み飛ばすようにして辛うじて眼をとおした日本書紀や平家物語や大鏡、芭蕉の文集などなどの独りよがりの読解の記憶を頼りに、何となく理解したつもりになる。
だから注釈や、現代語訳がないとなかなか正しくは理解できない。ただし岩波にしろ、小学館の古典全集にしろ、新潮社の古典集成にしろ、相互に違いがあったり、わたしでも首を傾げるような個所がいくつもある。間違いは専門家もたくさんあるさ、というのが私の開き直りである。
このような古典の世界に足を踏み入れるのはとても楽しい。ただし余程気分が乗らないと続かない。