Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「雪村」展で気になったこと

2017年04月12日 23時04分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先ほど横浜市内でも一部雨が降ったようだ。雨の区域は北島方面に多摩地域から埼玉県の方に抜けて行った。私の住む地域は降ら無かった。明日は特に予定は無いが、本日見て来た「雪村」展の感想を仕上げたいが、まだ頭の中が整理されてはいない。
 ただ気になったことを1点。「時には本の話でも…」(http://blog.goo.ne.jp/mnmymkym)の管理人の葦原の山姥さんが記載しているが、地下2階の第二展示室での映像。あれはどうにもならない。山姥さんは音に辟易とされていたが、私は場面の展開の速さに眼がついて行かず、頭痛がしてすぐに見るのを止めた。あんな素人撮影のような映像はなんのためのものなのか。さっぱり意図がわからない。出来上がりのチェックをした人は誰なのだろうか。人に見せる映像ではない。人間の視覚特性を無視している。

読了「ミュシャ アール・ヌーヴォーの美神たち」

2017年04月12日 21時13分27秒 | 読書
   

 本日、上野駅までの往復を利用して読んだのが、「ミュシャ アール・ヌーヴォーの美神たち」(島田紀夫、小学館)。
 この本はミュシャ(1860-1939)の伝記的記述が中心で、しかもパリ・アメリカ時代が主である。1928年プラハに移ってからのことはほとんど触れていない。またパリ時代の作品は多数収録されているが、スラブ叙事詩についての記述少ない。図版が多いので、それはとても嬉しい。
 国立新美術館の「公式図録」は横浜の書店でも販売しているのを見つけた。こちらは税込みで2399円ということで、こちらを先に購入することも考えている。
 人出はかなりたく多いらしい。予備知識がそれなりにあった方が良いとも云われた。


藝大美術館の「雪村展」へ

2017年04月12日 18時44分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日は上野にある東京芸術大学美術館で開催している特別展「雪村-奇想の誕生-」を見に行った。
 国立新美術館の「ミュシャ展」とどちらにしようか、さんざん迷ったが、出かけるのに手間取ったために展示の規模からすると時間が足りないことが予想されたことと、ミュシャについては事前に少し予備知識を得ておいた方がよさそうな点から、本日は雪村を選択した。また大作が並ぶという展覧会に足を向けるだけの気力にも自信はなかった。
 むろん雪村についての予備知識については、ミュシャと同様、私には予備知識はほとんどない。
 しかしとても満足した展覧会であった。予備知識がなくとも十分に楽しめた。地下2階の映像を除いて‥。
 感想は後日できるだけ早めにアップする予定。

「私の万葉集」(大岡信)から -3-

2017年04月12日 09時18分02秒 | 読書
 萬葉集巻三から。

 太宰帥大伴卿、酒を保讚(ほ)むる歌
338 験(しるし)なき ものを思はずは 一坏(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし
 ・もの思いにふけったところで甲斐はない。それくらいならいっそ、一杯の濁り酒を飲んだ方がましだろうよ。
339 酒の名を聖(ひじり)と負(おほ)せし 古(いにしへ)の 大き聖の 言(こと)の宜(よろ)しさ
 ・酒の名を「聖」と名づけた古き世の大いなる聖人の、その言葉の何というみごとさよ。
340 古の 七(なな)の賢(さか)しき 人たちも 欲(ほ)りせいものは 酒にしあるらし
 ・古き世の、かの竹林の七賢も、欲したものはまさに酒であったらしいよ。
341 賢(さか)しみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔(ゑ)ひ泣きするし 優(まさ)りたるらし
 ・賢者ぶってものを言うより、酒をくらって酔い泣きする醜態の方が、まだましだとおれは思う。
342 言はむすべ せむすべ知らず 極まりて 貴(たっと)きものは 酒にしあるらし
 ・どう言いようもなく、どう仕ようもなく、極上にとうといもの、それこそ酒というものらしいよ。
343 なかなかに 人とあらずは 酒壺に なりにてしかも 酒に染(し)みなむ
 ・なまはんかに人間であるくらいなに、いっそ酒壺になりたいものよ。酒に全身浸ってなあ。
344 あな醜(みにく) 賢(さか)しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似る
 ・ああ見られたものじゃないよ、訳知り顔をして酒を飲まない人間は、よく見れば猿に似ているようではないか。
345 価(あたひ)なき 宝といふとも 一坏(ひとつき) 濁れる酒に あにまさめやも
 ・たとえ値のつけようがないほど尊い宝珠でも、一杯の濁り酒にどうしてまさろうか。
346 夜光る 玉といふとも 酒飲みて 心を遣(や)るに あにしかめやも
 ・たとえ夜光る貴い玉でも、酒を飲んで憂さ晴らしをするのにどうして及ぼうか。
347 世間(よのなか)の 遊びの道に 楽しきは 酔ひ泣きするに あるべかるらし
 ・この世の中のいろいろの遊びの中で一番楽しいことは、一も二もなく酔い泣きすることにあるようだ。
348 この世にし 楽しくあらば 来(こ)む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ
 ・この世でさえ楽しく暮らせるなら、来世は虫にでも鳥にでもなったっていい。
349 生ける者(ひと) 遂にもしぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな
 ・生者必滅のさだめである以上、この世にある間は楽しく暮らしたいものよ。
350 黙(もだ)居(を)りて 賢(さか)しらするは 酒飲みて 酔(ゑ)ひ泣きするに なほしかずけり
 ・黙りこくって分別くさく振る舞うのは、酒を飲んで酔い泣きするのに及ばない。


339~344 大岡信「私の万葉集一」(講談社現代新書)から。
345~350 伊藤博「萬葉集釋注二」(集英社文庫)から。

 大伴旅人の作で有名な「讃酒歌」十三首である。このまま歌を額面通りに解釈すれば、大伴旅人はどうしようもないほどの飲んべである。万葉集の編集をこなし、藤原氏の隆盛の中で没落する大伴家の政界での舵取りを必死に行った歌人の面影など感じられない。お酒に酔い痴れ、奈良からは遠い九州の地で火の粉を避けながら、呑気に御曹司のように振る舞っている姿が目に浮かぶ。
 だが大岡信は「私の万葉集一」で、「大伴家は旅人の時代には、すでに藤原鎌足・不比等父子が天皇家と密接に結びつき、政界の巨頭としての藤原家の勢力を着々と拡げつつあった時勢に乗ずることができす、藤原家の後塵を拝する失意の家になって」いた。しかし「これが酒のうまさを容器に讃えるものでは全くなく、逆に酒が人生の憂さ、わりなさをわすれさせ、一時でも心に救いをもたらしてくれるという意味でその徳を讃える歌で占められている点にあります。‥中国の老荘的な自由の思想や体制離脱者たちの境涯を引き合いに出しながら、みずからの憂悶の吐け口としています。‥古代社会では酒は神と人との間を結びつける神聖な飲み物だったからです」と記載している。
 最後に「陰鬱な物思いにふける大宰府長官の厭世観の表明という印象が私には強いのです。‥この讃酒歌を通底して流れている気分は、‥陽気な気分とは、むしろ正反対のものです。‥「酒ほがひ」を刊行した吉井勇の場合とは大いに違っていた‥。もう一人の近代化人の‥若山牧水のそれにむしろ近い」、「このような見解は、大方の注釈書や鑑賞者の見解と、異質かもしれません‥。洋の東西、古今を問わず、酒の歌がつくられる動機には、陽気と陰気という対照的な場合があることも思わせられます」と、この十三首の解説を終わらせている。
 私にはとても興味ある、そして惹かれる解釈である。

 一方、「萬葉集釋注二」(伊藤博、集英社文庫)では、この13首は大伴旅人、沙弥満誓、山上憶良、小野老、大伴四綱の5人の宴席での作として、全13首が旅人の作とは考えていない。詳しい説明は省略するが、338~340、341~343、344~346、347~349と3首ずつ4つの組をなし、最後の350がまとめの歌である、という。確かに13首は充分に計算された構成をもっている。歌も酒と同様、座の中で作られている。これもまた魅力的な詩的である。
 さらに、旅人の妻大伴郎女の死、藤原氏の謀略による長屋王の死という事件を受け、「もろもろの悲しみを託し、その苦しみから解放されようとして詠んだのが讃酒歌十三首だと思われる」、「人間の普遍の悲しみをこめることに有効にかかわった十三首の綿密な構えには、中国飲酒詩に匹敵する人生のされ、文芸の酒としての高まりがあるといってよいであろう。十三首をともに味わった一動の感慨が尋常ではなかったことは、想像にかたくない」と締めくくっている。
 どこかで大岡信の解釈と通底しそうな指摘をしている。