Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「自選 大岡信詩集」から -2-

2017年04月21日 22時57分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「光のとりで」(1997年)の「音楽がぼくに囁いた」と「光と闇」という詩が目についた。本日は「音楽がぼくに囁いた」を綴ってみる。

 音楽がぼくに囁いた

私は静かな涙だから
鼓動するざわめきのきみを載せて
非現実の遠い岸まで
ゆりかごのやうに運んでゆく

私は深い闇だから
きみといふ瞬く光を囲ひこみ
きみといふ発行体を守つてやらう
きみのまはりがせめて仄かに明るむやうに

そして私は 音楽にすぎないから
人間にすぎないきみと共に遊ぶ
だからと言つて 私と所有できると思ふな
私は音楽だから
音楽をさへ超えて拡がる

私はいつでもまたどこでも
きみの腕の外側に溢れてしまふ
それが私の 音楽である宿命だから-
かの「沈黙」さへ 私があるから存在するのだ。


1997年というと大岡信は66歳。このようなみずみずしい相聞の詩と思われる作品を含む詩集を刊行する若さにちょっと驚きと羨望を感じた。
 第2連の「私は闇だから/きみといふ瞬く光を囲ひこみ/きみといふ発行体を守つてやらう/君のはわりがせめて仄かに明るむやうに」を読んだとき、声に出して読んで見たくもなった。しかし私はこれが自分の娘に向かってであっても、それは人に聞こえないように、どこかに隠れて声に出すと思われる。
 相聞の歌は、共同体の中でおおらかに発する時代から、対関係・家族の中でひそかにかわす時代である。
 私がわからないのは「沈黙」という括弧でくくった理由。この「沈黙」は何を意味しているのか、分からない。単に沈黙という言葉の意味ならいろいろ想像できるが、括弧付の「沈黙」がわからない。

つくられた危機

2017年04月21日 20時11分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 北朝鮮の軍事冒険主義には誰もが眉を顰める。血筋による王朝継続と若い「指導者」ならぬ御曹司とそれを担ぐ政権にはうんざりである。しかしもっとうんざりするのは日本の政権である。今回の緊張について、米軍の軍事圧力に同調して合同の訓練などを当たり前のように推進する政権に私はどうしようもない嫌悪感を抱く。米軍と同調して「圧力」をかけるという、北朝鮮の政権と同じ土俵に立っては緊張関係は改善されることはない。日本の米軍基地が、日本そのものが攻撃目標となるだけである。軍事圧力しか念頭にないアメリカの現政権の危うさに便乗しては、東アジアの緊張緩和はあり得ないのではないか。結局アメリカもあの軍事路線を拡大する中国の北朝鮮への影響力行使に頼むばかりである。
 経済の基盤が脆弱で、幾度も食糧危機を招いてきた北朝鮮は必ずどこかでSOSを発しているはずである。これに乗じて、何らかのイニシャティブを発揮してこそ日本の存在価値が、国際社会で発揮できるのではないか。
 日本の政権は中国敵視政策の結果、今回も中国の北朝鮮への影響力行使について情報はアメリカ政府経由でしかない。中国との独自の外交チャンネルを喪失しているとしか思えない。これだけ敵視を繰り返し、靖国問題、侵略戦争問題、南京事件、領土問題をはじめとした過去の清算がなされないままである。そして北朝鮮との緊張関係の打開策を独自には展開できていない。危機を煽る政治は、三流以下の政治である。戦前の日本の幼稚な外交と何ら変わることはない。危機は自国の政権の無能の反映の側面もある。
 北朝鮮も、中国も、米国も緊張を緩和する方向を持っているとは思えない。信頼に値する政権ではない。危ういこと限りない。だからこそ日本がそれらの危うい政権と同調してはならないのではないか。

明日に備えて‥

2017年04月21日 18時45分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中は編集作業。午後からは連絡待ちと所用のため外出。携帯電話への着信を気にしながら横浜駅周辺で所用を済ませ、買い物の後は、調べもののために書店で立ち読み。ようやく帰宅。夜からは再び編集作業。

 明日はようやく退職者会の総会である。朝から夕方まで、極めて慌ただしい。参集者の顔ぶれは現役時代につきあいのあったかたや先輩ばかりである。総会などの会合のやりかたなどは、現役時代の延長なので特に難しいことや、新しいことは無い。新しい世界に踏み込んだわけではないし、人のつながりや会議の持ち方なども基本は変わらない。変わったのは、現役ではなく第一線を離れた「退職者」「労働組合員のОB」であること。
 気をつけていることは、現役世代に偉そうに処世訓を垂れないことと、あくまでも現役世代の活動を少しだけ支えることと、「敬老会」であり、互いの生存確認と親睦・交流をはかることに徹すること、これを忘れないことであろう。
 ある意味気楽と言えるかもしれないが、そうはいっても1300人ほどの会員を擁する組織を40人に満たない幹事で運営するエネルギーと人の動きはそんなに楽ではない。何しろ年6回の通信と個人的な連絡網が頼りの、ほとんど無償の善意と信頼で成り立つ組織である。少額とはいえそれでも会費を払ってくれる会員の信頼を裏切るわけにはいかない。幹事と会員との信頼関係を維持するには、厳しい緊張がなければ組織は解体する。
 総会や新年会やメーデーなどは100人規模で人が集まるので、役員は慣れているとはいえ、毎年疲労困憊になる。それでも懐かしい人に会える楽しみは、それをおおきく上回るものがある。

 40年以上引き受けた人間関係、それも厳しい組織再編成を体験した人間関係は、やはり退職したからといって捨てることは出来ない。お互いの生きかたの行末を最後まで確認し合いたいものである。

句集「吹越」(加藤楸邨)から -3-

2017年04月21日 10時24分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連
「吹越」から
(1974年作者68歳)
「樹下石上」
★葉の裏にひぐれの暗さかたつむり
★でで虫の前は匍ふべき面ばかり
★うすはかげろふ産みゆくその身切に曲げ
「陶の朱」
 流火草堂主人、古美術の数々を取棄てたるうへ、いままたおのが著作をも取棄つるよしを聞けば
★凄まじや君が負ひたる秋の暮

 1972年に続き、この年もアフガニスタンなど西域を訪れている。いったん帰国した時の句を並べてみた。
 乾燥した西域の自然を体感してきた作者の、帰国後の湿気を含んだ気候の受け止めが現われているのであろう。「樹下石上」の句は、一見初心者風の句が並ぶ。私もこのような句を作っていたころを思い出す。気候・風土の大きな違いの体感のあとの俳句そのものの原点回帰への一瞬でもあろうか。
 そして季感は、象徴的なイメージをもたらされ、句調が転回する。これは作者ならではの原点へと再度転回する。