★悪相の魚は美味し雪催い 鈴木真砂女
★春の雪青菜ゆでてゐたる間も 細見綾子
「綸言汗の如し」とは、皇帝が一旦発した言葉(綸言)は取り消したり訂正することができないという中国歴史上の格言。「綸言」の出典は孔子の『礼記』緇衣篇である。「汗の如し(如汗)」の出典は『漢書』劉向伝。
中国の皇帝にかぎらず、政治家の言、組織の責任者の言は重いものである。責任ある地位にいることを承諾した者の発言は、自由な個人の発言で済ませてしまうわけにはいかない。その言で人の一生が変わったり、生死を左右したり、傷つけたりする。
大臣とまで呼ばれる地位にある人物の発言は、撤回すれば済むというものではない。一度発してしまった言葉の影響力を、充分に理解してもらいたいものである。発する以上、その言葉に責任がともなう。そしてこのような人物を任命した人間の任命責任もまた極めて大きい。ところが日本では、任命権者すらがこの言葉を理解できていないようである。
行政府の長が「立法府の長」と言ってしまう。ひょっとしたら「綸言」などといってしまうと自分が「天子」「皇帝」「王」と思い込んでしまう危うい人間である。「森羅万象」を統べる神とも思い込んでしまわれても困るのである。
ちなみに「武士に二言はない」「君子に二言無し」という格言もある。この格言、どうも誤解をして使っている人も多いようだ。「武士は信義・約束と面目を大切にする」、「君子は軽々とは口に出さないが口にした以上は」、という前提が成立して初めて成り立つ格言である。
やみくもに無責任に言葉を発して、「武士に二言はない」などと他人を睥睨していてはいけないのである。そのような人には「過ちを改めざるを是過ちという」という言葉を進呈しよう。
実はこの手の、頑固で人との対話が満足にできず、応用力のない人間がいちばん交渉相手として困るのである。何を言っても聞く耳を持たず、着地点は自分が設定したこと以外は受け付けず、こちらから「こうするとおさまるし、双方にとっていい結果になるよ」と助け舟を出しても聞こうとしない。労使交渉でもこの手の交渉相手だと大概が「決裂」となる。「あんたでは話にならん。別の人間を出せ」となってしまう。変わりがいれば何とかなるが、いないとどうしようもなくなる。
口に出したことはどんなことがあっても変えるべきではない、ということの云い訳として、この「武士に二言はない」が使われているとしたら、同様に「綸言汗の如し」が使われていたら、その組織の不幸は極まっている。政治家がそうであれば、その国は不幸のどん底である。
発せられた言葉の重みと、発した言葉の意味とを混同されて困るのは、その言葉を受けた人間である。人は発した言葉の重みと意味を常に噛みしめながら生きていかなければならないのである。今の時代、あまりに言葉が軽すぎる。それは責任を取る人がいない、ということと同義でもある。