Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

人生の岐路の自覚

2019年02月12日 23時38分08秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 春の山は雪崩の遭難も多い。雪が春の日や雨を受け、禅僧雪崩を引き起こす。そんな雪崩を見つつ、自分の中で何かが崩壊していく。1983年作者が78際の時の句である。「部屋の前にわが若き日の如く雪嶺たつ」の詞書がある。眼前に春の雪山を見ている作者の目の前で雪崩が生じたのであろうか。若き日の情念が蘇ってきたのだろうか。
 第2句は1943年、戦時中の句で楸邨38歳。自己の新年に対する強い自負を感じる句である。私がその年齢の時、ひとつの人生の大きな屈曲点にいて、人生の岐路でもあった。厳しい選択、信念にどのように向き合うか突き付けられた年でもあった。
 体験は別だが、人生の岐路というのはひょっとしたら同じような突き付けられ方をそのような年にするものなのかもしれない。そのような岐路に自覚的に処することができたことは今考えればうれしいことであったのだろう。

★春寒し山のなだれとわがなだれ     加藤楸邨
★春寒き世に遠くゐて枉(ま)げざりき  加藤楸邨


蕪を美味しく食べる

2019年02月12日 21時14分22秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨晩、蕪と高野豆腐の煮物を食べた。蕪は冬のものであり、茎や葉も一緒に煮含めた。薄味に仕立てて、微かな甘味を引き立てるのが難しい。すぐに柔らかく煮えるのだが、意外と形は崩れない。そのまま口まで運ぶと、歯がスッと蕪に吸い込まれるように入っていく。株を食べるときに醍醐味である。

★大なべに煮くづれ甘きかぶらかな    河東碧梧桐
★蕪まろく煮て透きとほるばかりなり   水原秋桜子


 蕪は同時に茎と葉も食べたい。今回の煮物も茎と葉の色合いと歯触りが美味しさの決め手でもあった。蕪のあの1本だけ伸びている細い根は、どうやったら美味しく食べられるのだろうか。妻はいつも捨ててしまう。私は何とかして食べてみたいと思っているのだが‥。
 セリの根は天ぷらにしたり、鍋に入れると美味しい、ということを知った。蕪の髭のような根で挑戦してみるのも悪くない。

昼間はダラダラと‥

2019年02月12日 20時11分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昨日の会議の整理をだらだらしているうちに15時になってしまった。横浜駅まで往復歩いて、気分をシャキッとしてきた。早目の夕食を食べ、若干の打合せを行い先ほど終了。昼間の「ダラダラ」が本日の敗因。

 外は思ったほどには寒くなかった。寒気が少し緩んだか。
 横浜駅の喫茶店で15分ほどの読書タイムをとり「若冲」の冒頭部分だけは読んだ。