春の山は雪崩の遭難も多い。雪が春の日や雨を受け、禅僧雪崩を引き起こす。そんな雪崩を見つつ、自分の中で何かが崩壊していく。1983年作者が78際の時の句である。「部屋の前にわが若き日の如く雪嶺たつ」の詞書がある。眼前に春の雪山を見ている作者の目の前で雪崩が生じたのであろうか。若き日の情念が蘇ってきたのだろうか。
第2句は1943年、戦時中の句で楸邨38歳。自己の新年に対する強い自負を感じる句である。私がその年齢の時、ひとつの人生の大きな屈曲点にいて、人生の岐路でもあった。厳しい選択、信念にどのように向き合うか突き付けられた年でもあった。
体験は別だが、人生の岐路というのはひょっとしたら同じような突き付けられ方をそのような年にするものなのかもしれない。そのような岐路に自覚的に処することができたことは今考えればうれしいことであったのだろう。
★春寒し山のなだれとわがなだれ 加藤楸邨
★春寒き世に遠くゐて枉(ま)げざりき 加藤楸邨
第2句は1943年、戦時中の句で楸邨38歳。自己の新年に対する強い自負を感じる句である。私がその年齢の時、ひとつの人生の大きな屈曲点にいて、人生の岐路でもあった。厳しい選択、信念にどのように向き合うか突き付けられた年でもあった。
体験は別だが、人生の岐路というのはひょっとしたら同じような突き付けられ方をそのような年にするものなのかもしれない。そのような岐路に自覚的に処することができたことは今考えればうれしいことであったのだろう。
★春寒し山のなだれとわがなだれ 加藤楸邨
★春寒き世に遠くゐて枉(ま)げざりき 加藤楸邨