Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日からは「若冲」(角川ソフィア文庫版)

2019年02月11日 23時20分35秒 | 読書


 明日から読む本は「若冲」(狩野博幸、角川ソフィア文庫)。果たしてどのような中身か、どのような筆者なのか、どのような論理展開なのか、まったく予備知識はない。ネットで検索すると、伊藤若冲、曽我蕭白、河鍋暁斎についての著作が多い。
 この本、「フェルメール」と同じ角川ソフィア文庫版であり、二冊まとめて購入したことは記憶にある。
 「フェルメール」が2008年に角川文庫として刊行し、2018年にソフィア文庫として復刊されている。この「若冲」ぱ2010年に角川文庫で刊行され、2016年に同じく復刊された。

 若冲については2つの展覧会の図録2冊を丹念に読んだ記憶がある。テレビの番組でもいくつかをじっくりと見てもいる。澁澤龍彦外の若冲についての文章を集めた「若冲」も河出文庫で読んだ。それなりの知識はあるつもりであるが、もう忘れていることもあり、また別の視点の論があれば楽しみでもある。



「フェルメール」(角川ソフィア文庫)読了

2019年02月11日 22時12分30秒 | 読書
   

 ようやく「フェルメール 作品と生涯」を読み終えた。この本に惹かれたところは、文庫本なのであるが、フェルメールの作と云われる全作品35点のカラー図版が巻頭にまとめられていることである。1頁に1作品、文庫本としては最大サイズである。また全作品について解説があり、図版としては小さいが十分に堪能できる。
 年代を追った作品解説で、フェルメールが何にこだわり、どのような意図が作品に込められているか、構図上の特徴、彩色の在り方などから推論を重ねている。とても魅力的な解説であると感じた。いつものように覚書として。

 1666~67年に比定される「絵画芸術」について、
「現実と表現の間にあった微妙な均衡が、僅かではあるが、崩れ始めているようだ。なお抑制は利いているものの、変化の兆しは確実に頭をもたげつつある」

「確かに美しくあるが、絶妙な再現と表現のバランスが崩れ始めている。深化なき洗練、この変化の兆候をこんな風に言い表すことができる‥」(「天文学者」)

「再現と表現のバランスは眼に見えて崩れ始めている。‥しかしこの作品の表現の香情勢には何かしら見る者を和ませる‥。‥構図の大胆さと視点の近さ、これらが絶妙に絡み合い、極端な様式化を忘れさせるよう働いている。‥「地理学者」以降の他の作品から区別され、フェルメールの傑作の一つに数えられる。」(レースを編む女)

「1670年頃からオランダ絵画は日常の視覚経験に重きを置くことをやめ、むしろ既存の枠組みを繊細化することの方に関心を抱き始めた。風俗画でいえば、より豪奢な衣装を着た人物たちが主人公となり、高価な調度を備えた部屋で、型通りの優雅な情景を展開する。仕種は自然らしさを失い、事物の上に輝く光は装飾性を強めていく。‥オランダ社会が変質を始めていたことがこうした転換の一因をなしている。‥オランダ市民社会も、徐々に階層の固定化が進み、活力を失いつつうった。絵画を購入しうる層は、‥貴族のように華やかに装った人物が演ずる風俗画こそが彼らの求めるものであった。‥フェルメールもまた、こうした時代の変化に決して無関心ではなかったはずである。」(「手紙を書く女と召使」)

「もし彼がレンブラントほどの寿命に恵まれていたなら、つまりあと20年ほど長く生きることができたなら、自己脱皮を遂げた新生フェルメールの姿を見ることができたかもしれない。」(「ヴァ―ジナルの前に据わる女」)

「フェルメールは新たな意匠が他の画家により取り上げられると、間もなくそれを取り入れ、実験を繰り返し、自分のものにしてゆくタイプの画家であった。‥風俗画で培った事物の緻密な質感描写、光の精妙な配分、求心性と操作性をともに備えた構図法を存分に生かした。その結果、類例を見ないほど色鮮やかで魅力的な細部に富む都市景観画が生まれた。吸収と実験と変革。フェルメール作品を一貫して貫く特徴がここに見事に結品している。」(第5章「歳へ向けられた眼差し」)

 いままで知らなかった1600年代のオランダを取り巻くヨーロッパ社会での地位、そこに規定されたオランダ社会の変質・変化を踏まえた作品論、作家論として記憶にとどめておきたい著作だと思った。
 策に最後に文庫ように付け加えられた「新版補論 様式選択の背景」は新鮮であった。

「フェルメールの晩年の様式を決して凋落とは呼ぶまいと思う。それは、王侯貴族不在のプロテスタント社会の中で、美術マーケットの動向を考慮することなく画業を綴られなかった17世紀オランダ画家フェルメールの、新たな様式へのたゆまぬチャレンジの軌跡であった‥」

 ふと1600年代の江戸時代、オランダ貿易が継続された時代の文化動向などを思い出しながら私は、この本を読んでいた。

「年度末」から縁が切れない

2019年02月11日 13時03分41秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨晩はいつもよりは早めの1時半に布団に入り、起きたのは10時45分にもなっていた。めずらしく長時間寝た。かといってすっき取した寝覚めというわけではなく、何となく体は重い。5時少し前にいったん起きて、便所・うがい・手洗い・白湯で水分補給。二度目の睡眠の方が長かった。
 9時半頃に「朝ごはん早く食べて、雪が降り始めた」と声をかけてくれたらしく、「返事していた」とのことだが、記憶にはない。
 横浜の雪は細かいもので、30分も降らなかったようだ。路面ももう濡れていない。

 今秋は16日(土)の夜に団地の会議、来週は退職者会の会議やイベントなどが連続している。3月号の退職者会のニュースの原稿作成を始めることになる。
 日程表と睨めっこすると、年度末であることを実感する。年度末という言葉は、「現役時代の言葉で、退職したらほとんど日常生活に無関係化」と思っていたのだが、甘かった。

 さて、本日は2月11日、制定当時からわたしには理解できない「祝日」である。

 余寒(よかん)というには冬よりも寒い、春寒(はるさむ)というには春の気分はまだない。本格的な寒さがやってきたという感じすらある。

★世を恋うて人を怖るゝ余寒かな     村上鬼城
★春寒し靴音にまず雀翔つ        庄司 猛
★冴え返る径熊笹の刃をなせり      山口草堂