ようやく「フェルメール 作品と生涯」を読み終えた。この本に惹かれたところは、文庫本なのであるが、フェルメールの作と云われる全作品35点のカラー図版が巻頭にまとめられていることである。1頁に1作品、文庫本としては最大サイズである。また全作品について解説があり、図版としては小さいが十分に堪能できる。
年代を追った作品解説で、フェルメールが何にこだわり、どのような意図が作品に込められているか、構図上の特徴、彩色の在り方などから推論を重ねている。とても魅力的な解説であると感じた。いつものように覚書として。
1666~67年に比定される「絵画芸術」について、
「現実と表現の間にあった微妙な均衡が、僅かではあるが、崩れ始めているようだ。なお抑制は利いているものの、変化の兆しは確実に頭をもたげつつある」
「確かに美しくあるが、絶妙な再現と表現のバランスが崩れ始めている。深化なき洗練、この変化の兆候をこんな風に言い表すことができる‥」(「天文学者」)
「再現と表現のバランスは眼に見えて崩れ始めている。‥しかしこの作品の表現の香情勢には何かしら見る者を和ませる‥。‥構図の大胆さと視点の近さ、これらが絶妙に絡み合い、極端な様式化を忘れさせるよう働いている。‥「地理学者」以降の他の作品から区別され、フェルメールの傑作の一つに数えられる。」(レースを編む女)
「1670年頃からオランダ絵画は日常の視覚経験に重きを置くことをやめ、むしろ既存の枠組みを繊細化することの方に関心を抱き始めた。風俗画でいえば、より豪奢な衣装を着た人物たちが主人公となり、高価な調度を備えた部屋で、型通りの優雅な情景を展開する。仕種は自然らしさを失い、事物の上に輝く光は装飾性を強めていく。‥オランダ社会が変質を始めていたことがこうした転換の一因をなしている。‥オランダ市民社会も、徐々に階層の固定化が進み、活力を失いつつうった。絵画を購入しうる層は、‥貴族のように華やかに装った人物が演ずる風俗画こそが彼らの求めるものであった。‥フェルメールもまた、こうした時代の変化に決して無関心ではなかったはずである。」(「手紙を書く女と召使」)
「もし彼がレンブラントほどの寿命に恵まれていたなら、つまりあと20年ほど長く生きることができたなら、自己脱皮を遂げた新生フェルメールの姿を見ることができたかもしれない。」(「ヴァ―ジナルの前に据わる女」)
「フェルメールは新たな意匠が他の画家により取り上げられると、間もなくそれを取り入れ、実験を繰り返し、自分のものにしてゆくタイプの画家であった。‥風俗画で培った事物の緻密な質感描写、光の精妙な配分、求心性と操作性をともに備えた構図法を存分に生かした。その結果、類例を見ないほど色鮮やかで魅力的な細部に富む都市景観画が生まれた。吸収と実験と変革。フェルメール作品を一貫して貫く特徴がここに見事に結品している。」(第5章「歳へ向けられた眼差し」)
いままで知らなかった1600年代のオランダを取り巻くヨーロッパ社会での地位、そこに規定されたオランダ社会の変質・変化を踏まえた作品論、作家論として記憶にとどめておきたい著作だと思った。
策に最後に文庫ように付け加えられた「新版補論 様式選択の背景」は新鮮であった。
「フェルメールの晩年の様式を決して凋落とは呼ぶまいと思う。それは、王侯貴族不在のプロテスタント社会の中で、美術マーケットの動向を考慮することなく画業を綴られなかった17世紀オランダ画家フェルメールの、新たな様式へのたゆまぬチャレンジの軌跡であった‥」
ふと1600年代の江戸時代、オランダ貿易が継続された時代の文化動向などを思い出しながら私は、この本を読んでいた。