「フェルメール 作品と生涯」(小林頼子、角川文庫)はようやく第3章まで読み終わった。全体の約半分である。
この本はフェルメールの作品を主に構図上の変化、遠近法の取り扱いなどを中心に評価を試みていると思う。エックス線写真なども駆使して、構想から完成までの作者の意図を読み解いたりと魅力十分な分析を行っている。私にはとても勉強になる本である。
とりあえず、これまでのところでいつものように覚書風に。
「(フェルメールは)二つのタイプの室内画に精力のほとんどを集中してゆく‥。一つは、ごく近影に造形の重点を置いた風俗画で、‥奥行きが浅く遮断された室内の一隅が舞台‥。物語性を紡ぎ出すような意味ありげな仕種、表情は極力抑制されている。‥フェルメールを待って、カラヴァジスム型の単身風俗画はようやく名実ともに新たな段階に入ってゆく‥。」
「もう一つのタイプでも、空間は画面に平行の壁で遮断される。主要モティーフは中景か壁近くに後退し、‥フェルメール作品のなかで物語性の強い風俗画はたいていこのタイプに属する。第一のタイプに比べ、広くゆったりとした空間が描写されているが、画面が細部に至るまで統一的視点でまとめられているため、‥空間的捩れはかんじられない。‥フェルメールは徐々に透視図法に習熟していったようである。」
「いずれのタイプの場合も、‥(描かれる)主として女性たちは日常生活の何気ない営みに周囲を忘れて没頭する。同時代の風俗画につきものの喧騒や活気、気取りや華やぎはどこにもない。」
「フェルメールは、合理的空間表現と自然な人物配置に注意を集中させるため、モティーフを節約し、画面の複雑化を避けたのではないか。人物の動作が抑制され、形態や輪郭線が単純化されているのも同じ理由によるのではないか。」
「地図も布地も紙も人肌も、光を捉え、光を色彩に転化するための外皮に過ぎない。光は事物に出会い、事物とその周囲の色彩を変えてゆく。‥光と色彩が織りなす静かなるドラマを追って目を凝らし、それを色彩に還元しようとするフェルメールの姿が浮かんでくかのようだ。」
「フェルメールは、瞬間の現象である光が微動しつつ瞬く様子を捉えようとしたのであろう。その筆触は決して表現としての則を踏み外すとはない。現実の視覚経験のなかになお収まるほどに控え目だ。現実と表現、二つは‥おだやかに調和し、互いを引き立たせる。」
「絵画は現実を模倣するばかりでなく、現実を作り出すのだ。絵画とは芸術と現実が双方向に戯れ合う場である‥‥そんなフェルメールのメッセージが聞こえてくるようだ。」
「(「天秤を持つ女」では)通常、描かれた女性の頭部が重なり合うあたりに、秤を手に魂の振り分けに携わる大天使ミカエルの姿が描かれていることだ。助成は、つまり、地上に降り立った天使と一体化して世俗のもろもろを秤にかけている、ということになる。ただし、秤の上には何も載っておらず、ただ、光が反射しているだけだ。世の価値あるものをよそにして、女性は聖なる光の重要なることを見る者に教えているかのようだ。」
この本はフェルメールの作品を主に構図上の変化、遠近法の取り扱いなどを中心に評価を試みていると思う。エックス線写真なども駆使して、構想から完成までの作者の意図を読み解いたりと魅力十分な分析を行っている。私にはとても勉強になる本である。
とりあえず、これまでのところでいつものように覚書風に。
「(フェルメールは)二つのタイプの室内画に精力のほとんどを集中してゆく‥。一つは、ごく近影に造形の重点を置いた風俗画で、‥奥行きが浅く遮断された室内の一隅が舞台‥。物語性を紡ぎ出すような意味ありげな仕種、表情は極力抑制されている。‥フェルメールを待って、カラヴァジスム型の単身風俗画はようやく名実ともに新たな段階に入ってゆく‥。」
「もう一つのタイプでも、空間は画面に平行の壁で遮断される。主要モティーフは中景か壁近くに後退し、‥フェルメール作品のなかで物語性の強い風俗画はたいていこのタイプに属する。第一のタイプに比べ、広くゆったりとした空間が描写されているが、画面が細部に至るまで統一的視点でまとめられているため、‥空間的捩れはかんじられない。‥フェルメールは徐々に透視図法に習熟していったようである。」
「いずれのタイプの場合も、‥(描かれる)主として女性たちは日常生活の何気ない営みに周囲を忘れて没頭する。同時代の風俗画につきものの喧騒や活気、気取りや華やぎはどこにもない。」
「フェルメールは、合理的空間表現と自然な人物配置に注意を集中させるため、モティーフを節約し、画面の複雑化を避けたのではないか。人物の動作が抑制され、形態や輪郭線が単純化されているのも同じ理由によるのではないか。」
「地図も布地も紙も人肌も、光を捉え、光を色彩に転化するための外皮に過ぎない。光は事物に出会い、事物とその周囲の色彩を変えてゆく。‥光と色彩が織りなす静かなるドラマを追って目を凝らし、それを色彩に還元しようとするフェルメールの姿が浮かんでくかのようだ。」
「フェルメールは、瞬間の現象である光が微動しつつ瞬く様子を捉えようとしたのであろう。その筆触は決して表現としての則を踏み外すとはない。現実の視覚経験のなかになお収まるほどに控え目だ。現実と表現、二つは‥おだやかに調和し、互いを引き立たせる。」
「絵画は現実を模倣するばかりでなく、現実を作り出すのだ。絵画とは芸術と現実が双方向に戯れ合う場である‥‥そんなフェルメールのメッセージが聞こえてくるようだ。」
「(「天秤を持つ女」では)通常、描かれた女性の頭部が重なり合うあたりに、秤を手に魂の振り分けに携わる大天使ミカエルの姿が描かれていることだ。助成は、つまり、地上に降り立った天使と一体化して世俗のもろもろを秤にかけている、ということになる。ただし、秤の上には何も載っておらず、ただ、光が反射しているだけだ。世の価値あるものをよそにして、女性は聖なる光の重要なることを見る者に教えているかのようだ。」

