Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日から読む本は‥

2019年02月26日 23時43分22秒 | 読書
 明日は夕方までは予定が入っていない。夕方までに何とか新聞の原稿作りに目処を浸けたい。原稿を依頼した記事3本を除いた分は仕上げてしまいたい。
 明日の最高気温は11℃で北風が強いとのこと、本日よりはだいぶ体感温度は低くなりそうである。しかも深夜の降水確率が40パーセントと高い。
 夕方からは出かける。

 明日からの読書は何にするか。本日持って出かけた「星の文学館」(ちくま文庫)より先に読みたい本がいくつもある。まずはパウル・クレーの「造形思考」(ちくま文庫)がある。しかし手ごわそうである。理解できるか、はなはだ心もとないが、挑戦はしてみたい。
 次の候補は「北斎 富岳三十六景」(日野原健司編 岩波文庫)、昨年図書館で借りた本である「観察力を磨く名画鑑賞」(エイミー・E・ハーマン)の続き。後者はもう一度図書館から借りなければならない。

 明日の朝起きたときの気分で決めることにした。

かんむり座

2019年02月26日 21時48分18秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 夕方喫茶店で「ギリシア神話」を読み終え、棚からひっぱり出した「星の文学館 銀河も彗星も」(和田博文編、ちくま文庫)をめくってみた。
 昨年の7月初めに発刊されて、どういうわけか購入していた。山口誓子、川端康成、三島由紀夫、大江健三郎、谷川俊太郎、埴谷雄高など35名の星に関する文章を集めている。
 その中で本日は、山口誓子「星空をながめて」、埴谷雄高「宇宙について」。前者は初めて目にする。後者は「薄明の中の思想」に収録をされていて再読。他にも多分いくつか既読のものもあると思う。

 山口誓子の文章には、誓子の俳句

★冠座の真下にゐたり蛍狩
★蛍獲て少年の指みどりなり
★脂粉なき少女とともに蛍狩


の3句が記されていた。1947年の句らしい。誓子45歳か46歳である。年令を知るとびっくりするが、句はとてもみずみずしく、そして若々しい。20代の頃の句かとも思った。
 かんむり座とは、北斗七星の柄杓の曲線をうしかい座の方向にたどった先のアルクトゥールスの傍にある小さな星座。半円形に星が並び、小さな王冠のように見える。むかし変光星を見るために観測を続けていた先輩がいた。その方に教わった星座である。
ギリシア神話では、クレタ島の怪獣ミノタウロスが、ミノス王に毎年7人の美しい少年と少女を生贄に捧げてさせていた。勇者テセウスがその怪物を退治した。このとき、ミノス王の王女アリアドネがテセウスに恋をし助力。2人は島を脱出するが、離れ離れにな。悲しんだ彼女を元気付けるため、酒神ディオニュソスが彼女を妃に迎え、冠を贈った。この冠がかんむり座となったという伝説がある。
 そんな伝説を背景にこの句を読むと、みずみずしい句と思えるのだ。

雨水という季語

2019年02月26日 14時44分50秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 新聞の編集作業は少しははかどっている。何とか28日までに形にしてしまわないといけないのだが、そのようになるかまだまだ不安である。
 しかし根を詰めてもだんだん効率も悪くなる。本日はとりあえずここまで。

★書道部が墨擦つてゐる雨水かな     大串 章

 雨水の時候は、雪が雨に変わる頃であり、氷がとけて水となる時分。「水が柔らかく感じられる」事項であるともいわれる。この季節、墨をするときもその水の柔らかさというものが感じられるのであろうか。私は書道はからっきし苦手で墨を摺ることも筆をもつこともあのれなかったが、それでも小学生のころは書道という授業があり、冬休みの宿題に書初めがある時代に育った。
 あの墨を摺る時の独特の匂いは、鼻がきかなくなった今でも記憶に残っている。私の通った中学・高校では書道という時間も、書道部というクラブもなかった。
 小学生の頃、近所の中学生が。墨もどことなく柔らかくなり暖かくなると墨が硯に引っかかることもなくなる、と言った記憶がかすかにある。その原因は墨自体の柔らかさなのか、水の感触なのかは私には未だにわからない。
 この句、書道部というのが気に入った。姿勢を正して静かに墨をするという行為に集中する時間。静寂の時間が「雨水」という時候にマッチしている。今ではそもそも書道部といものが、以前のような雰囲気では存在していないらしい。ダンス部と見まがうばかりのパフォーマンスを見せつけられ、唖然としている自分を見つけたことがある。静寂な時間に身を浸すという琴はもはや絶滅でもしたのではないか。