春の雪崩に遭ったようにオタオタ‥。
その「雪崩」は春の季語。春の雪崩は大規模である。
★夜半さめて雪崩をさそふ風聞けり 水原秋櫻子
★雪崩止四五戸が峯と闘へる 加藤楸邨
夕方に昨日購入した龍井茶を淹れてみた。しかし渋みが出て、旨味を感じなかった。これはウーロン茶よりは丁寧に、そして「正しく」淹れないと美味しくは飲めないらしい。お湯の温度は70℃くらいまで冷ましたつもりであった。また2分ほど急須に淹れていた。この時間が長すぎた感じもする。
しばらくはネット検索などをしながら勉強してみることにした。
横浜駅近くの喫茶店で暖かいコーヒーを飲みながら、「ギリシア神話」(岩波文庫)を読んでいたが、わずか9ページで寝てしまった。喫茶店は混んでいて人いきれで暑いくらい。それが原因だといって言い訳するわけではないが、睡眠の強い誘惑に負けた。中高生のように試験を控えているわけではないので、おおいに寝かせてもらうのは気がひけることではない。
そういえば私は中学3年と高校生時代の授業中は実によく寝た。意地になって寝ていたような気もする。だいたいどの教師もお互いに調整をしていないので、一人の生徒が「宿題」をどれだけ「抱えて」しまっているのか理解しようとすらしない。またキチンと授業をする教師は宿題などあまり出さない。授業の計画が杜撰な教師ほど「宿題」に逃げる傾向が強い。教師の授業計画のいい加減さと宿題の量は比例している、というのが私の当時の結論であった。
ということで、宿題をたくさん出す教師の授業は基本的に寝ることにした。どうせ従業ではろくな話をしない。家に帰って本日の範囲について参考書を見ながら復讐としてノートをとったほうが理解できる。また楽しく理解が進む授業は出来るだけ予習をした。
これを両方こなすとだいたい2時を過ぎた。そして朝6時に起きる。当然睡眠不足である。ということで尊敬できない教師の授業はひたすら寝ていた。
「自習こそ本当の勉強」というのが中学3年の時以来の私の処世訓になった。