Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「息白く」 補足

2019年02月09日 23時26分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 先ほど記した加藤楸邨の句は、以下の述懐(5句)という連作の最後の句であった。

 述懐(5句)
・火の中に死なざりしかば野分満つ
・身に沁みて死にき遺るは謗らるる
・死ねば野分生きてゐしかば争へり
・霜の石踏まれどおしの朝いたる
・ある夜わが吐く息白く裏切らる


 収められているのは句集「野哭」の中の「野哭抄」(自1946年9月 至1947年12月)とあり、初めの方なので1946年秋の句と思う。
 その句の少し前には、

 教員組合闘争委員会後
・曳きて来し野分の影や鉄の扉に


とある。敗戦後の労働組合の体験や社会世相が色濃く反映している句なのであろう。

 先に取り上げた句の「裏切らる」が何を示すかが、分かりづらかったが、多分社会運動の中での「裏切られ」た体験と私は理解した。労働組合指導部の闘争の断念、あるいは交渉相手の妥結内容の反故、はたまたともにスクラムを組んだはずの仲間の背離‥。
 述懐の5句全体から見ると、戦争で死ねば屍は野ざらしで放置され、生きのびては敗戦国民同士の諍いに巻き込まれる。そんなやるせない体験なのかもしれない。そんなさまざまな体験が裏にはあると思われる。

息白く‥大雪は回避

2019年02月09日 20時18分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 朝からの雪はお昼前には止んでホッとした。しかし気温はあがらず、昨晩の0時過ぎの4度が最高気温として表示されたまま。日中は3℃に満たなかったという情報もあるが、はっきりとしない。しかし降った雪はあっという間に融けた。
 最低気温は10時半過ぎの△0.2℃と今年初めての氷点下であった。今も、窓の結露が激しい。

 夕刻からふたたび降り始め。すぐにやんだものの、今も芝生を雪が覆っている。道路には雪は残っていない。近くまで買い物に出かけたのだが、歩道のタイル舗装の個所で凍っており、危なく滑りそうになった。
 午前中で13時には「大雪・着雪注意報」は解除になって、注意報は何も出ていない。大雪が降る、というのは空振りになってしまったが、止むを得ないだろうと思う。空振りで良かった、と思うようにしたいものである。

★戦あるかと幼な言葉の息白し      佐藤鬼房
★ある夜わが吐く息白く裏切れる     加藤楸邨



横浜でも雪

2019年02月09日 10時38分57秒 | 天気と自然災害
 朝起きてみると、北側に植わっているツワブキの葉に雪が残っていた。深夜は雪だったようだ。そして9時前からふたたび細かな雪が降り出した。天気予報どおりである。短時間のうちに団地内の芝生と、北側の路面が白くなった。まだ降り続いている。
 フローリングをして畳がない団地の1階の我が家では、床下の空間とは板1枚でしか区切られていない。寒さが直に足もとから伝わってくる。上の階とは室温が3~5℃は低い。

 横浜では雪が積もる場合はやはり夜に雪が降ったときである。昼間に降っても融けてしまう。本日のように朝から降る雪が「積る」と予想される場合というのは珍しい。それだけ上空も地表部分も気温が低い、ということなのだと思われる。
 横浜市域では海岸段丘の上にあたる南部の海沿いではあまり雪が降らない。雨になりやすい上に、わずかに積ってもすぐに融けてしまう。南部は内陸側、そして北部は内陸部も湾岸沿いも積もりやすい。
 私が勤めていた区は雪がよく積った。異動した隣の区はあまり積ることはなかった。丘陵地をひとつ超えるとこんなにも差があるのかと驚いた。

 今住んでいる団地には雪はよく降り、そして積りやすい。雨もよく降る。