Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は「ギュスタープ・モロー展」

2019年05月10日 23時42分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「絵の教室」を読み始めたばかりであるが、最初から「宿題」が10問設定されている。思わず笑ってしまったのだが、問1は「想像上の島のアウトラインを描くこと」、問2は「山の稜線を想像して描くこと」、問3は「石垣を描くこと」と続いて、問10が「風車を描くこと」となっている。
 「時間のあるときに試してください。」ということなのでこの宿題をしないと先を読んではいけないというわけではないが、学生になった気分で試してみるのもおもしろそうである。
 どんどん先に先に読み進めるだけの私の読書からはちょっと異質な読書の仕方を求められそうである。

 明日の電車のなかでは宿題は出来そうもないので、明日は読むだけで我慢。

 明日は「ギュスタープ・モロー展 -サロメと宿命の女たち」(汐留ミュージアム)の鑑賞会である。ギュスタープ・モローはとても気になっている画家なのだが、これまでまとめてみることも勉強することもなかった。鑑賞のポイントを教えてもらえればありがたい。
 モローは絵画の教師でもあり、マティスとルオーの詩である。そして聖書やギリシャ神話を題材とした画家である、以上の事しか知らない。ルオーとモローという師弟関係があるといっても、両者はあまりにかけ離れた印象の作品である。
 図録も購入してじっくりと鑑賞したいものである。

家にいると緊張感がない‥

2019年05月10日 22時15分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 家に籠って静かにしているのだが、落ち着かない。しかし明日出かけるためには本日はおとなしく回復をはからないわけにはいかない。そうはいっても、というか、団地内の植栽の業者が来て立ち合いのために団地内を一周はした。それ以外は家の中でグズグズしていた。
 家の中で閉じこもっていると本を読んでも先に進まない。どこか緊張感がない。
 明後日の団地の会議の資料をだいたい仕上げた。明日の夕方近くに家に戻り再度点検。今回の資料は、わたしもよく理解できていない点もあり、難しそうである。

 いくつかのメールをこなして本日の業務は終了。少し読書にいそしみたいものである。

本日からの読書「絵の教室」(安野光雅)

2019年05月10日 20時39分20秒 | 読書


 本日から読み始めた本は「絵の教室」(安野光雅、中公新書)。これまで実際の画家の本は、藤田嗣治の本くらいしか読んでこなかった。幾人かの読んでみたい画家の本はいくつかあるのだが、いづれも単行本であまり手に入らない。今回は古書店で見つけた新書版である。
 そして嬉しいのは、実際に「描く」という行為、ノウハウについて記している点である。

 「描く」ということに私は惹かれる。自分が出来なかったからである。今でも。

 小さい時から常に「不器用・不器用」と耳元で、あるいは声高に人前でも云われ続けてきた私には、何を作るにも、何を描くにも自信がなくなり、臆病になるばかりであった。
 自由に絵が描けたり、宿題の工作をなんなくこなしてしまう同年代の近所の児や、級友をうらやましく思うばかりであった。だからますます描けず、作れず、引っ込み思案であった。

 子どもは自信を無くすと消極的になる。引っ込み思案になる。人前で自分を表現できなくなる。言いたいことも云えなくなる。これを自ら克服することは膨大なエネルギーと精神的な葛藤が必要である。
 もしもこの文章を読んだ若い方は、お子さんには常に自信を与え続けて欲しいと心からお願いしたい。子どもはいったん自信を無くすと、その精神が回復するには一生かかるもの。小さいうちに傷つけてはいけない。

 私は中学に入って、はじめて美術の時間が少しだけ好きになった。しかしそれは色彩学や美術史を習ってからである。「つくる」ということにやはりなかなかなじめなかった。それでも見るのが好きにはなれた。このときの美術の教師には今でも多大な感謝をしている。見ることの楽しさを教えてもらったと思う。



 ひとりで初めて鎌倉にあった今は閉館しとなってしまった県立近代美術館に、中二か中三のときにふらっと行って、いくつかの作品を見た。特に佐藤哲三の作品が気に入った。暗い絵だったのを覚えている。2005年にここで「佐藤哲三展」を開催しており、その時のカタログを見ると「クンセイ」(1942)が同館の所蔵となっている。同館がいつ所蔵品としたかは不明であるが、これを1966年くらいに私が見た可能性はある。
 どんな絵だったか記憶にはないが、佐藤哲三という名は覚えた。そして大学も卒業間際になってから、古書店で洲之内徹の「絵のなかの散歩道」(1973)を見て、その名を見つけて懐かしかった。私の見た絵についてはわからなかったが、洲之内徹という人の、佐藤哲三の生き方と作品、その評価と批判はあたっていると思えた。
 この本は実は仙台から横浜に戻ってくるときにどういうわけか無くしてしまった。もう何年も前になるが、三毛猫の子猫様からこの本をいただき、それ以来大事にしている。