予定より少し時間がかかったが、本日読み終えたのは「縄文土器・土偶」(井口直司、角川ソフィア文庫)。
「世界を見渡すと、人間を表現したと考えられる土製品は、新石器時代の農耕社会に存在します。それらには、「産む力」にかかわる女性の特徴が強調された像が多いことから、農作物の豊穣を祈る地母神崇拝と結びつくという考え方か示されます。‥しかし土器と同じく、当時の日本列島史には農耕や地母神に結びつく要素は見当たりません。」
「縄文土器は、かたちも大きさも、発見される地域も様々で沖縄を除くほぼ全国の遺跡から見つかっています‥。前期になると西日本での発見例がなくなり、東日本に偏在します。‥後期になると再び東日本を中心に数が増え、晩期に向けて分布の中心が東北に移ります。」
「土偶は女性像であるといわれています。‥乳房や妊娠した腹部・女性器・臀部など、確かに女性の特徴を象徴的に表現した者が目立ちます。妊娠期の正中線の表現が指摘されている土偶もあります。‥農耕文化の「地母神信仰」が思い浮かびます。‥その中でも「ヘソ」に対するこだわりには強いものがあります。」
「縄文土器の姿は、女や男でなく、「特別な機能を持つ部分」と産まれる命と失われる命に対する強い意識の表れが、新たな命を生み出す男女の性を包括した、超人間的な精霊体を想像した造形であった可能性があります。」
「縄文土偶には、手足や顔よりも、胴部にある乳房やヘソなどに対するこだわりがます。ところが‥前期までは五体の表現が、人間の造形としては不完全です。前期の終わりころになると、板状土偶の胴部に、抽象的な手足や頭を表現した土偶が登場します。」
「中期以前、‥形そのものは裸体のラインとなっています。それに対して、後期の痩身仮装形土偶は、形態そのものが着衣表現に変化します。晩期の遮光器土偶は着衣性を無視でできません。縄文土偶に人間性がより強く組み込まれるようになった変化ではないかと考えられます。」
以下はちょっと飛躍しすぎていると思う。もう少し丁寧な展開を期待したいと思った。ただし土偶が人形でも人そのものをかたどっただけのものではないことは理解できる。
「縄文の人々は、超人間的な力を敬い畏れ、精霊体の化身を創造し、そして融合して分身となり、仮装で「人間化」を強め、ついには自然界から人間を遊離させたのではないでしょうか。その大転換点として、縄文時代の中期と後期が浮かび上がってます。」
いくつか気になった点は、刺青と思われる紋様との断言を著者は避けようとしているように思われることである。後期の仮装形土偶の説明で「髭か刺青」と微妙な表現は出てくるが、断定はしていない。私などは「刺青の風習」として教わったり、読んだりした経験があり、不思議な気がした。
また裸でなければ表現できない「乳房・正中線・ヘソ・女性器」などの要素が後期になり着衣性が否定できなくなっていく展開にもう少しこだわった叙述を期待したかった。これは別の著者の言及を探した方が良いかもしれない。
はじめの第1章と最後の第4章は、残念ながらとてもではないが、ついていけない「日本論」である。これはいただけない。縄文の世界と、現代の日本が、その間の歴史を一切飛ばして結び付けられてしまう。あまりに乱暴で安直な飛躍である。残念ながらこの方の著作はこれ以上は遠慮させてもらう。