Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雨が再び降り始めた

2019年05月21日 20時26分43秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 夕方近くになり、いったん雨が上がったので、団地内の見回りと巡回をした。途中から再び雨が降り出し、傘を持参しなかったのでかなり濡れてしまった。さいわい風が強かったものの異常はなかった。
 いったん家に戻り傘をさして頼まれた買い物に出かけた。スーパーの特売の品を買って来て欲しいという。一日外に出ていないので、ウォーキングがてら往復30分程度歩いてきた。帰りには雨は上がっていた。

 ひどい風と雨であったのだが、上がった後がスッキリしない。20時くらいからまた降り出した。音をたてて降っている。これでは夜のウォーキングも難しいかもしれない。

 昨日の会議で決まった日程をスケジュール帳に記載。先月・今月とすくジュールはずいぶんとうまっている。そして変更や直前に飛び込んでくる日程がたくさんあった。鮮かな日程を打ち込むだけでなく、打ち出しも何回もせざるを得なかった。週に2回も打ち出した時もある。
 日程が立て込んでいるというのは嬉しいこともあるが、一方でつらくもなってきた。一日の予定が三つも入ってくると途端に面倒になってしまう。それが3日も続くと休みたくなる。一日で同じことをこなすならば耐えられるが、別のことが3つも続くと頭の切り替えが出来なくて、飽和状態になってしまう。
 やはり歳を取ったのだとつくづくと思う。

★風の音朴の若葉に来て消ゆる      稲畑汀子
★ずぶ濡れの少年に会ふ青葉山      雨宮きぬよ


 団地の中の樹林地を巡回してきた私は、雨に濡れて上着はすっかり濡れてしまった。小高い地点に立つとふと少年時代にタイムスリップしている。剥き出しの岩が濡れて少年の頃よりも足元が不安であったが‥。


傘をすぼめるということ

2019年05月21日 12時58分28秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昼近くになり雨が強まってきた。横間市内で一番強い雨の区域は30ミリの表示である。風が強いので、雨がもっと強いのではないかと錯覚してしまう。最大瞬間風速は南南東の風で22メートル、10時前に記録している。
 関東地方では風の影響なのかはっきりはしないようだが、停電も起きていると報道していた。

 テレビのニュースを見ていていつも不思議に思うことがある。風が強いのに傘をすぼめている人が極めて少ないことである。あれでは風に煽られて傘が反転したり、風で持っていかれてしまう。そして危険である。両手で傘の柄をもって、すぼめるだけで風速10mならば十分耐えられはずである。私は小学2年生の頃、担任の先生から傘をすぼめることを教えてもらった。実に鮮明に覚えている。
 傘をすぼめるのと、そのまま持つのとではどれだけ傘を持つ力に差が出るか、ということを「今度風が強い日に自分で確かめてみよう」といわれた。数日たってからだったと思うが、風の強い日に、みんなで学校にあった傘を使って風に向って開いたり、閉じたり、すぼめたりした。短時間だったが、皆すぐに理解した。以来、傘は風が強ければすぼめるのだと理解した。風の力のすごさを実際に知ったことと、傘を大事に使うということを教えてもらった。
 ただし傘をすぐにどこかに忘れてしまうことは中学生になっても治らなかった。それでも風であおられて壊す、ということはしなかったと思う。
 私の周囲では、風が強ければ傘をすぼめて使うというのは、ごく当たり前のように皆が実施していたと思うのだが‥。


横浜は大雨・洪水警報

2019年05月21日 10時04分37秒 | 天気と自然災害
 現在横浜市域には、「大雨(土砂災害・浸水害)、洪水」警報と、強風・雷・波浪注意報が発表されている。
 雨の区域は、昨晩は南から北に移動していたが現在は南西から北東に向って移動している。雨も強いところで20ミリ未満である。富士山・箱根が強い雨の区域を遮断している。

 昨晩は、日付が変わったころから再び雨・風が強まった。風呂の中で雨だれの音、新しい青葉を揺らす風の音を聞きながら、ぬるいお風呂に30分近く浸かっていた。私にとってはこの日付が変わる頃の長湯が至福の時である。特に雨の音を聞きながらの長湯は気分が落ち着く。自然の水の音というのは、川、沢、瀧、湖・海の波、雨の音、どれもが人の気持ちを和ませる。
 私は台風による高潮、津波の音は聞いたことはないが、それらは豪雨・急流・濁流などよりも不安や恐怖を駆り立てる低音の響きであるとのことだ。
 しかし同時にそれらの災害をもたらす水の音を、大気や地球の鼓動のように聞いてしまうのも悲しいかな、人間である。自然から遠ざかって生きていると錯覚した人間に対する自然のしっぺ返し、という把握もされる。
 山登りを続けていると、このような自然の音に敏感になる。特に水の音を聞き分けることは、生死を分ける場合もある。聴覚は生きのびるうえで、重要な位置を占めるのは間違いがない。
 水場の少ない山道で、水場を発見するときというのは、視覚よりもか細い水の音であることが多い。くぼ地やがけ地の小さな穴の先に水の音を探り当てたときのホッとする気分は、何事にもかえがたい。
 水の音に限らず風の音などの自然の音などが、心地よい音から危険な音として認知する境界値というのは存在するのか、と大昔に考えたことがある。だが経験によってもそれは変る。また経験を積んだからといって、それが的確な判断になるかというとそれも怪しい。危険と判断したとしても避けられない場合もある。絶対的な数値予報には変えることはできないし、そんなに単純なものでもない。

 こんなことを考えているうちに、すっかり寝入って朝を迎えた。今朝は強い風と雨の音で目が覚めた。今朝の風の音は心地よい音ではないが、差し迫った危険を予感させる音でもない。だが、外には出ない方がいいという響きである。