Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夜の荷物運び

2019年05月23日 23時25分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夜の打合せは一時間ほどで終了。近くのドラッグストアで買いたいものがたくさんあるとのことで、いつものとおり荷物運びで雇われた。われたといってもお小遣いはなし。ビニール袋二つをぶら下げて往復3000千歩ほど、ウォーキングよりも疲れた。雇アイスキャンディの1本でもねだってもよかったかもしれない。
 これから深夜にかけて、「縄文土器・土偶」の記事をいつものように覚書風に記載したい。

 明日は朝から退職者会の会議。早めに家を出なくてはいけない。


冷麦、冷やし素麺

2019年05月23日 20時58分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 夜になりいっとき風が強くなった。今はまたおさまって無風状態。
 昼食は久しぶりに家の近くにあるイタリアンの店を訪れた。実に4か月ぶりくらいだろうか。たまには昼のイタリアンも悪くない。とはいえ二人で2000円余の贅沢となってしまった。その後、妻は歩いて15分ほどのところのスーパーへ、私は横浜駅までの往復のウォーキングをおこない、途中30分ばかりの読書タイムを確保した。読み終わってすぐに百円ショップで頼まれた買い物をいくつか。ついでに300グラム100円の島原素麺を二つ購入。夏の昼食用である。

 冷麦も冷し素麺も夏の季語。

★冷麦に朱の一閃や姉遠し      秋元不死男

 冷麦には赤や青の色を付けた一~二本がかならず一束に入っていた。師弟で取り合いをしたか、姉が分けてくれたのか、敢えて何も言っていないが、思い出があるのであろう。多分やさしい姉だったのかと推察した方が良いかもしれない。おとなになり、行き来も少なくなり疎遠になる肉親との関係、私よりも家族のきずなが強い一世代も二世代も上の人には言い知れぬ淋しさがともなう感情なのだと思う。まして私は一人っ子である。


夏掛け

2019年05月23日 11時57分24秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 爽やかな秋のような朝、名は知らないが小鳥の声での目覚め、なかなかいい気分である。梅雨入り前の束の間の過ごしやすい日々なのだと思う。
 昨晩から掛け布団を夏用にした。とても軽く感じる。例年ならば、梅雨が明けるとそれも止めて、うすいタオルケット1枚に変える。夏の暑い季節も好きであるが、暑がりで汗かき、かつ冷房・扇風機嫌いの私は、真夏の睡眠時間が嫌いである。生物が生きて行くための基本的な要素をしないのは、生存そのものの否定であることは承知しているつもりである。でも夏は寝ないでも済ませたいほどである。
 明日は、朝から退職者会の会議。昨晩、読書も趣味もちょっと横に置いて‥と記載したものの、本日は読みかけの本を読んでしまいたい。翌日には前言撤回、これではとんでも政治家を馬鹿にできないか。

★夏掛けの男のごとく頼りなき      小林貴子
★暁の足にさぐるや夏布団        青木月斗


 所詮男など頼りにしてはいけないのだ、と男である私がいうと逃げになるのか。頼る心がもとよりいけないのだ、と開き直ってしまう私である。一方で頼りないなら始めから相手にしてもらえなかったのにその期待に応えていない、という後ろめたさもある。男とはどんな存在であるのか、いつまでも自問自答が続く。