Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

二十六夜の月

2019年05月30日 23時20分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は2日のイベントの準備を終える予定だったが、本日の昼間に資料がもう一種類明日でないと手に入らないことが判明し、中止。明日また昼頃に関内駅まで出かけることになった。
 夕食後に予定していた作業がなくなり、拍子抜けがして、先ほどからボーッとしていた。テレビは野球を放映しているチャンネルにしていたが、妻は読書中。私も特に何もせずにうつらうつらしていた。テレビの音がいい子守歌になっていた。野球も終わり、結果も見ずにテレビの電源を切ってしまった。妻に結果を聞かれたがまったく記憶にないので答えられず。

 明日から読む本は「絵を見る技術-名画の構造を読み解く」(秋田麻早子、朝日出版社)にとりあえず決めた。根拠は特にない。強いて言えば読み易そうな感じが何となくしたから。そんな予想はだいたいが外れる可能性が高い。

 夜のウォーキングは45分ほどで切り上げてきた。明日は湿度が高くなるという天気予報であった。

 本日は二十六夜の月、逆向きの三日月である。早朝4時頃が月の出。この月の出まで起きていて月を待つのを「二十六夜待ち」ともいう。私にはとても見ることはかなわない月の出である。これから月はさらに細くなって、6月3日が新月である。


本を2冊ゲット

2019年05月30日 20時39分28秒 | 読書
 本日は実に爽やかな日和であった。湿度も低く、気持ちよく歩いた。そして注文していた2冊の本が入荷し、本日神大の生協まで取りに行った。

・「絵を見る技術-名画の構造を読み解く」(秋田麻早子、朝日出版社)
・「マネの絵画」(ミシェル・フーコー、ちくま学芸文庫)


 本を手に入れたあとは、JRの最寄り駅まで歩き、電車で組合の会館のある石川町駅へ。関内駅周辺でもいくつかの用事を済ませた。

 さて、明日はどちらの本から読み始めるか。


「荘司福・荘司貴和子展」感想2

2019年05月30日 19時37分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 作品が大きな転換を経たと思えたのが「物化」(1976、左)と「生々」(1977、右)だと感じた。


 私が以前に見て惹かれた「風化の柵」(1974)とも同じ流れの作品だと思う。
 「物化」の解説に作者の言葉として「風化して行く古い仏像と、風化して行く樹根の構成。樹根であり仏像であるのも一刻の形象」、「生々」には「朽ち果て化石化しようとしている樹幹や草花と、そこに芽吹く新芽を描いている」と記されていた。
 その芽吹いている新芽が画面中央の下側の根をともなっている。新芽よりもさらに生を感じる。また左側には海の生物のヒトデも描かれている。
 「物化」では中央と右に青、左に微かに赤が描かれ、これが生のシンボルと思われる。「生々」では色ではなく、芽やヒトデなどでそれに変えたのであろうか。いづれの作品も黒い背景から浮かび上がる白が樹根や古仏の質感・存在感を際立たせている。



 「刻」(1985)は「一乗谷の朝倉氏居館跡に取材。織田信長に滅ぼされた」とある。
 作者は「石以外は何もない白い空間の中に、多くのものが重なり合って充満している虚の空間、石を見てそんな空間を描いた」と書いている。
 苔むした石の中に、朝倉氏の繁栄の何者かを読み込んだのか、あるいはその石を取り巻く「白い空間」に繁栄の時間の累積を認めているのか。
 苔むした岩・石に拮抗する白い空間、その白い空間が何の象徴なのか、いろいろと詮索したくなる。