Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜美術館でモローの作品

2019年05月17日 22時22分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 横浜美術館を出た後、喫茶店で美術館で仕入れたチラシや、持参していた文庫本を読んでいたらいつの間にか17時半を過ぎてしまった。みなとみらい地区で働いている人が大勢横浜駅に向かって歩いている。混雑で横浜駅が込み合ってしまうのであわてて人を掻きわけながら横浜駅まで歩いた。
 しかし東口の地下街も自由通路も通勤客でいっぱい。やむなく流れに身をゆだねるように混雑の中を歩いて西口にたどり着いた。工事の為、西口の地下街に通じる通路はとても狭く、混雑時には人と接触しないでそこを通過するのが困難である。本日はかろうじて2回ほど接触しただけで通過出来た。

 横浜駅から歩いて帰宅したかったが、夕食時間に間に合わないので、地下鉄で帰宅。それでも汗ばんで帰宅した。



 横浜美術館の展示を見ていたら、ギュスタープ・モローの「岩の上の女神」(1890)が展示されていた。ショップではポストカードも販売していた。
 裸体の女性のポーズは「デリラ」にそっくりである。特に下半身の足の組み方は同一である。初め見たときは、午前中に取り上げた「デリラ」の完成作といわれる1896年の作品かと勘違いした。
 よく見ると、女性の右手に蛇が絡まり、頭の上を鳥が飛んでいる。髪の毛の形も違う。さらに背景は室内ではなく、屋外それも崖下ないし洞窟の中のような雰囲気である。題名も「女神」であるので、デリラとは違うのがわかった。表情も少し若い雰囲気である。しかも1980年の作品とされていた。
 しかしここまで同じポーズというのも不思議に思えた。



横浜美術館「meet the collection」展

2019年05月17日 20時23分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は横浜美術館で「meet the collection -アートと人と、美術館」を見てきた。展覧会の概要について、次のように記されている。

2019年に開館30周年を迎える横浜美術館で、年度のスタートを飾る展覧会として開催する、全展示室を使った大規模な企画展です。
1万2千点を超えるバラエティ豊かな横浜美術館のコレクションの中から、「LIFE:生命のいとなみ」「WORLD:世界のかたち」の2部構成のもと、絵画、彫刻、版画、写真、映像、工芸など400点を超える作品を展示します。
また、4人のアーティスト[束芋(たばいも)、淺井裕介(あさい・ゆうすけ)、今津景(いまづ・けい)、菅木志雄(すが・きしお)]をゲストとして招き、彼らの作品を収蔵作品と並べることで作品同士の出会い(Meet)の場を創出し、アートの自由な見方、アートとの多様な関わり方を提案します。
くしくも本展会期中に、平成というひとつの時代が幕を閉じます。平成元年に開館した当館は、文字通り平成の30年間と軌を一にして、作品の収集活動を基盤としながら、アートを通じた無数の出会いを生みだしてきました。個性溢れる作品たち、それをとりまくアーティストや市民、それらを結びつけて豊かな関係を育む、磁場としての美術館――。横浜美術館にとっての大きな節目となる年に、コレクションとの出会いの場としての美術館の役割と可能性を見つめなおします。


 今回の展示は膨大である。いつもは企画展とコレクション展を同時に開催しているのだが、今回は両方の展示室を利用している。全展示室を見て回ることになる。
 本日は1時間ばかりをかけて駆け足でとりあえず何が展示されているのか、見て回るだけであった。

 いつも見慣れている作品もあったが、はじめて見る作品もある。「この作品も所蔵していたのか」というものもいくつもあった。
 今回気になった作品は、「幼きキリスト」「狂った男」(濱田知明)、「自画像」(河野通勢)、「本を読むジャクリーヌ」(パブロ・ピカソ)、「岩の上の女神」(ギュスタープ・モロー)、「関東震災火災木版画集」から10点(川崎小虎。西澤笛畝、磯田長秋、田村彩天、桐谷洗鱗)、沢田教一のベトナムの報道写真、浜口タカシの「成田闘争」、土田ヒロミの「ヒロシマ・モニュメント」等々。
その他、駒井哲郎や長谷川潔の作品もまた時間を少し仕掛けてみてきた。

 会期末の6月23日までもう2回ほどは出かけて、じっくりと見たいと感じた。

「ギュスターブ・モロー展」 感想3

2019年05月17日 11時41分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 モロー展、私としては久しぶりに充実した気分を味わえた。



 デリラという旧約聖書に登場する女性も今回の展示では大きな比重を占めている。サムソンという英雄の髪を剃り落とすことでその力を削ぐ、という物語のクライマックスを描いている。やはりさまざまな下絵、構想が示されている。この作品も下絵のひとつであるらしいが、完成作に近いようだ。
 モローの作品は赤と青の配置が独特で効果的だと思う。暗く抑えた色調の中で、中心的な色ではない配色であるが、目立つ。そして具体的に何かを表現しているのではなく、配色のバランスとして、二つの色を配置しているようにもみえる。
 残念ながら完成作ではないし、図録でも1896年の完成作と思われるものはモノクロで小さく印刷されているため詳細はわからない。しかしデリラは明るく浮き上がるように描かれている。ポーズはほぼここに掲げたものと変わらない。背景の空間はもっと広がってい見える。



 こちらの「トロイアの城壁に立つヘレネ」も完成作ではないと思われるが、トロイア戦争の原因となったスパルタ王メネラオスの妻のヘレネを描いたとされる。
 トロイアのパリスが掠奪したことでトロイア戦争が起こったとされる。父系社会と母系社会のせめぎ合いの中で成立したギリシャ神話の中のさらに象徴的な物語りであると私は理解をしている。
 ここではヘレネの足元には死者が描かれていると解説されている。自らが原因となった戦いで命を落とした男たちが、血の象徴としての赤を添えて描かれている。沈む(?)太陽が空を赤く染め、ヘレネの立つ台座のような城壁にも血の垂れるような赤が配色されている。またヘレネの着物も太陽に赤に染まっている。
 男を誘惑する女、というだけではなく救いとしての女性像、マリア像的なとらえ方もできる。足もとの男性の死者たちの血を浄化して救いの象徴のように立ち上がる女性と捉えるか。男性の犠牲の上にその美貌を誇る女性からの転換であるのかもしれない。
 ここではヘレネの後ろ側に青い着色が見える。具体的には何を表現しているかは不明であるが、私にはさまざまな象徴的な赤の配色にバランスを取った配色のために添えられた青だと思った。
 さまざまな目的をもって「男を誘惑する女」というのとは違う女性のイメージだと思う。神話の発端そのものがヘレネの意志とはかけ離れている。ヘレネは受け身であった。サロメやデリダのように自らの意志を強く表す女性ではない。それが古代的なのか、現代的なのかはまったく別の評価軸であろう。