Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「荘司福・荘司貴和子展」感想1

2019年05月29日 23時17分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先ほどの「読了「美術の力」」に★以下を加えてみた。

      

 さて、以下は「荘司福・荘司貴和子展」の感想を少々。
 展示の概要は図録の表紙の右側に記載してある。
 2009年4月~6月にかけて、神奈川県立近代美術館葉山において、「生誕100年 荘司福展 花、大地、山-自然を見つめて」という全96点が展示された大きな回顧展が開催されている。私はこの展覧会を見損なっている。残念なことをしたと悔やんでいる。2年後の2011年に東京都美術館で開催された「世紀の日本画展」ではじめて荘司福の作品「風化の柵」(1974)を見たときはとても感動した。それ以来、いつか回顧展が開催されないか、期待をして待っていた。
 今回は神奈川県立近代美術館所蔵の作品23点が展示されている。前回の葉山で開催された回顧展の図録でも残っていればとても嬉しいのだが‥。こんど葉山まで足を延ばしてみたいと思っている。以前訪れたときはそのことをすっかり忘れていた。

 今回の展示を見て回って最初に受けた印象は「白」であった。多くの作品で、白く塗られたところが何しろ印象が強いのである。「白」がこの作品群を解くカギなのかとすら思った。



 最初は「千手千眼」(1968)である。京都国立博物館で展示された金戒光明寺の千手観音像に取材しての作品という解説があった。千手観音を見てこのような印象を受け、表現したということに新鮮な印象を受けた。千本の手の印象や千の顔の印象が強く焼き付くのが私の印象だが、千の「眼」と千の手が持つものが作者の眼に強く焼き付いたと思える。そして中央の横に細く鋭く見つめる「眼」が異様である。
 眼の描写では、中央の眼の白目部分だけが白で他の眼の白目部分は黒、手に持つ様々な物のの9点のみが白で他は金、黒目の周囲の虹彩も中央を除いて金という彩色である。
 この白に私はたじろいだ。仏敵に対して厳しく、衆生に対しては柔和な千手観音の一般的な表情が、この眼によって、相対するわれわれを射すくめるようである。手にする様々な品物のうち白と金で色分けしたそれぞれの意味するところは解らないが、中央の白目に視線を誘導するように配置されていると思える。二本の同心円もまた同様の役割を果たしている。
 このように具象と抽象の狭間を飛翔するような表現の作品に私は惹かれる。



 すぐそばに展示されているのが「虚」(1969)。カンボジアのアンコールトムでの取材による。作者は「蒼古とした広大な仏跡の音もなく迫りくるむなしさにうたれ、引き込まれるような息をのむ様な思いであった‥」と記している。
 私この唇のあまりの生々しさ、艶めかしさに驚いた。唇の向かって左側の白い部分がその生々しい、或いは艶めかしいさまを強調している。左右の天女や女神はヒンドゥーの神のようでもあり、さらに艶めかしい。
 「静かに動いていく刻の中で全てのものが形を変え変化して行く、そんな刻々の形にぶつかって、美しいと思ったり、驚いたり、虚しいと思ったり心をゆさぶられる。」
 作者は1967年、67歳で文化大革命のさなかに中国にへ趣き、翌年にインド・ネパール・カンボジアを旅行する。なかなか大胆な行動である。



読了「美術の力」(宮下規久朗)

2019年05月29日 15時07分43秒 | 読書
 予定していた親族の家の工事は早めに終了。助かった。これより日曜・月曜のイベントの資料を揃えに観光案内所まで行く時間が確保できた。明日はその資料の袋詰め作業でイベントのための準備作業は終了となる。

   

 本日工事を見守りながら「美術の力 -表現の原点を辿る-」(宮下規久しい朗、光文社新書)を読み終わった。

 いつものとおり気に入ったところ、気になったところ等々を覚書風に記載してみる。

「子どもの感性や個性を伸ばす自由画教育は、大正デモクラシーの民主的な風潮の下で歓迎され、山本鼎の活躍した信州からやがて日本中に広がった。‥日本の美術教育にもっとも大きな影響を及ぼした思想であったといってよく、一見、子どもの自主性や創造性を伸ばす理想的な理念のように思われる。‥山本は自然という最良の手本さえあればよいと述べているが、子どもはいくら自由に描けといわれても困惑するものである。‥古今の名画を模写する経験は、子どもの技術や鑑賞眼を養うことにもなる。‥創造や個性はいつも模倣から生まれるのだ。‥日本の学校教育の中には、美術作品をどのように見るかを教える「美術史」という科目がない。‥美術とはそのような趣味的なものではなく、文字と同じく、感性だけでなく、知性に働きかけるものでもある。作品の意味や機能、作者や注文者の意図などの知識があれば、鑑賞を深めることができるのだ。日本の美術環境にはこうした技術軽視と知識軽視の伝統が息づいており、それが日本の現代美術がふるわない要因になっている‥。」(第3章 知られざる日本近代美術 クレパスと日本の近代美術 自由画教育運動の功罪)

「西洋とちがって日本の絵画は、公共性よりは、私的な性格が強かった。絵巻も掛軸も屏風も通常は巻いたり畳んだりしてあり、基本的に内輪の者しか見ることがなかった。仏画も基本的に法要の時期のみに掛けられた。春画も、ひそやかな鑑賞にかぎられたために世界でも類を見ない一大芸術に発展した‥。‥太平洋戦争の時代、画家たちに公的な美術を制作する機会が大々的に与えられた。戦争画は、明治以降の西洋画学習の集大成であり、大画面の群像構成や明暗実現などの成果が示されたのであった。‥軍部の圧力で描くのを強制されたとか、戦意高揚のプロパガンダであったというイデオロギー的な観点から戦争画を批判するのはたやすいが、それらは日本で美術がはじめて公共性を獲得した記念碑であり、日本の近代美術の到達点といさてよい。(藤田嗣治の戦争画は)ルーヴル美術館などで見た西洋の歴史画に倣ったものだが、‥自分の画技のすべてを捧げたようだ。生と死のせめぎあう極限状況を表現した藤田の戦争画は、たとえ想像で描いたものであるにせよ、戦争の真実のある一面をとらえているのはたしかだ。」(第3章 知られざる日本近代美術 藤田嗣治の闇)

「(不染鉄の作品は)彼にとっての愛着のある風土の様々な要素を一つの画面に集めたものである。それは結果的に、富士山に抱かれた日本という国土全体の象徴にもなっているようだ。超越的な神の視点ではなく、生活者としてそこに同化できそうな身近で親密な視点であり、郷愁を誘わずにはいない。」(第4章 美術家と美術館 神の視点と人間の視点)

「本来キリスト教は偶像崇拝を認めていないし、プロテスタントでは聖像を拝むことを禁じていた。布教のために聖像を積極的に用いたカトリックでも、聖像は神を見る窓であって、その中に神はいないと規定している。もし西洋で踏絵が行われたとしてもほとんど効果はなかったであろう。キリスト教(カトリック)に入信した日本人の多くは、神を表した像には何であれ仏像と同じような聖性を認めてしまい、それを踏むことをかたくなに拒んで命を落としたのである。信仰の拠り所としてかたちあるものを求め、そこに生命を見出す心性は、禁教下のキリシタンや日本人だけでなく、そもそも人間の造形本能の根本であり、美術を生み出す原動力となっているのだ。」(第5章 信仰と美術 踏絵と信仰)



★そういえば私も小学生の頃は、「見たままを書きなさい」とだけ言われて具体的な描き方や公図のとり方などの指導は皆無だったことをおぼえている。とても苦痛だった。私のような子供は見たままといわれると、実に細部まで細かく描き分けないと気が済まなかったので、気わら一枚、木の一本、葉の一枚一枚、花の中の雄蕊の一本一本を書いているうちに1時間などあっという間に終わってしまい、翌日までに仕上げて来いと宿題となり、そのたびに重い水彩用具を持ち帰らされて、苦痛だった。細部と大まかな描き方のバランスがどうしてもわからなかった。だから「写生」はとても嫌いな課題であった。

★藤田嗣治の評価は私はもう少し言及が欲しい。藤田がなぜあの軍部のプロパンガンダの片棒を担ぐことにのめり込んだのか。これにもこだわった論考を私もしたい、そして聞きたい、読みたい。

本日は一日部屋ごもり

2019年05月29日 09時22分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩、雨が降る前に軽くウォーキングと思い出かけたのだが、15分ほど歩いたところで急に雨が強くなり、慌てて戻ってきた。小さめの傘を持って出たのだが、ズボンも上着もだいぶ濡れてしまった。

 昨晩は平塚市美術館で購入した「荘司福・荘司貴和子展」の図録を読み終わり、気に入った作品をスキャナーで取り込んだりと、2時過ぎまでかかった。夜静かになると作業がはかどるのがうれしい。
 本日は一日がかりで業者が来る予定。親族の家の壁紙の一部張替えをしてもらうので、立ち会うことになっている。パソコンは持ち運びできないので、その時間は読書タイムということにしたい。