
朝からテレビやラジオでは、「令和」初だの「平成」最後だのという人為的な区切りを、しかも日本国だけにしか通じない時間の区切りに自らを同調してしまう学芸会程度の芸を見せられている。墓参りに行く前も帰宅後もどう考えても私には同調できない嫌な世界である。
プロ野球の中継ですら「令和」初の本塁打だのとアナウンスするのを聞いて腰が抜けそうになった。
そんな報道に背を向けて昨日から読み始めた岩波の広報誌「図書5月号」の続き。
・藤野先生の「ノート添削」をめぐって(下) 三宝政美
「このままの師弟関係が続いていけば、仙台医専の校史に清国留学生第一号卒業生として周樹人の名前が刻まれることは夢ではなかった。だが、やがて当時の時代思潮の影響を受けた級友らによる中国人・魯迅への心ない差別や偏見がクラスに波紋を巻き起こし、魯迅は退学を決意し、先生に別れを告げる。思えば、魯迅が先生の本気度を知ったときに同時に襲われた「ある種の不安」が、的中したのであった。」
この2回連載の論考は大変興味深かった。藤野厳九郎氏は「藤野先生」という作品で造形されたイメージしかなかったが、その背景となる当時の「外国人特別入学規定」の存在、それを受けた仙台での受け入れのはじめての留学生「周樹人」の無試験入学・学費免除の背景、藤野先生の当初からの周樹人に対する学校側からする役割・背景など初めて分かったことばかりである。解剖学の講義のノートの添削の背景なども理解できた。また「藤野先生」にこめた魯迅の「思い」も少し理解が深まったようにも思う。
・海の幸の賑わい 三浦佑之
この論考はできればまとめて出版してもらいたいと思っている。
まずは地理の復習から。
「斐伊川が流れ込むようになったのは江戸時代に行われた付け替えの結果である。縄文時代前期頃までは島根半島は島だったが、堆積によって南の海はしだいにラグーン化し、海水が封じ込めらて宍道湖ができた。しかし、風土記の段階では、まだ十分に海とつながっていたことは、産物からもわかる。」
さらに
「オホクニヌシが、服属の誓いをたてるために「天の御舎(みあらか)」を造り、タケミカヅチを饗応する場面である。天つ神がオホクニヌシを祭っているとする本居宣長以来の解釈も根強いが、明らかに誤読である。この場面は、配下のクシヤタマ(櫛八玉神)を料理人として贄を準備し、それを捧げてオホクニヌシが唱えあげた寿詞(よごと)である。」
・北欧のアイコン、世界のアイドルとなる。 冨原眞弓
一応読みたいものはこの3編で終了。三宝政美氏の「藤野先生」についての論考は印象深かった。「外国人特別入学規定」などの存在を知ると、現在の「外国人受入れ」問題の扱いの政府側の発想がひょっとしたら明治時代の魯迅を受け入れた頃の発想と変っていないような気がした。
また、今回の司修の「悪魔が見える人の夢」という作品、これもまたとても惹かれる作品である。何度も見入っている。