Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

青嵐(あおあらし)

2019年05月09日 23時47分23秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 「青嵐」は5月ごろの青葉の季節に吹く強い南風。「あおあらし」と訓読みにする。

★荒磯や月うちあげて青あらし      大島蓼太
★濃き墨のかわきやすさよ青嵐      橋本多佳子
★うごかざる一点がわれ青嵐       石田郷子


 第1句、大島蓼太(1718-1787)は蕪村の頃の江戸の人であるが、作者を見ずにこの句を見たら、現代の人はロケットの発射の情景でも思い浮かべるのではないか。現に私も先ほどおやっと思って慌てた。現代人は「打ち上げる」と聞くと条件反射でロケットを思い出してしまう。
 月が荒い波から少し上ったところを、浪、あるいは青嵐の強い風が月を「打ちあげ」たと表現したのだろうが、江戸時代にそのような表現があったのだろうかと首をひねってしまった。 青嵐と色のついた季語を使ったとしたら、「打ちあげて」なので、この月は日の出の直前の下弦の月だと解釈できる。
 第2句、この青嵐、湿度が高いとは感じない。確かに乾き易い風であるが、書に親しむ俳人の確かな感覚だと感じた。


読了「印象派の誕生」(古川節子)

2019年05月09日 21時06分09秒 | 読書
 本日読み終わった本は「印象派の誕生 マネとモネ」(吉川節子、中公新書)。読み易く幾つかは新しいことも仕入れることができた。



 しかしわかりづらい箇所もあった。それは第3章の中盤。ゾラによるマネ論からの引用である。このゾラの文章はマネもかかわっており、マネの個展で販売されたものである。マネの思いが詰まった文章と私は理解した。引用された個所は次のとおり。引用の文章は別段わかりにくくはない。

「いかなる対象を前にしても画家は対象の様々な色調を識別する自らの眼に従う。それは、壁を背に立つ人物の顔は灰色の地に塗られた白っぽい円に過ぎず、顔の横に見える洋服は青みがかった色斑でしかない、といった具合なのだ。‥多くの画家たちは絵画で思想を表現しようと躍起になるが、この馬鹿げた過ちを彼は決して犯さない。。‥複数のオブジェや人物を描く対象として選択するときの彼の方針は、自在な筆捌きによって色調の美しい煌めきを創り出せるか否かというとだけだ。」

 そのうえで著者次のように続ける。

「ゾラのマネ論は『主題を離れ純粋に造形的な問題に取り組む画家』という‥マネ解釈の先駆けであった。絵画は何らかのテキストが持つ『意味』を表現するのではなく、純粋に色彩と形態を追求するものだという『絵画の自律性』をめざし、モダン・アートへの新しい扉を開いた画家としてのマネ像の発端が、『精神的つながりの希薄な人物像』にあったというのは特筆に値する。‥けれども〈鉄道〉で見たように、マネは対象に対して決して無関心ではなかった。マネ自信が対象に対して無関心であったのではなく、マネは対象の人間のなかに拡がる無関心さに気付き、その実態を描こうとしていたのである。人物を『もの』のように描く画家として指摘した当時の人びとマネの絵の核心に気付いてたのだが、単純にそれを画家の欠点とみなしてしまった。『近代』という時代の本質を、このような形で表現することこそマネ絵画の本質であったとは、誰も想像しなかったのである。」

 ここはもう少し丁寧に記載してほしかった。「純粋に色彩と形態の追求」と「対象の人間のなかに拡がる無関心という近代の本質」との架け橋が不明な感は否めない。

「芸術家は“欠点のない作品を見に来てくれ”とは言わず、“真摯な作品を見に来てくれ”と言う。この真摯さゆえに、画家はひたすら自分の印象を描いているにもかかわらず、作品は図らずも抗議の色合いを帯びてしまうのである。」(マネ)

 問題はここでマネ自信が言っている「印象」である。「純粋に色彩と形態の追求」と「対象の人間のなかに拡がる無関心という近代の本質」とが混在しているように思えるのは現代からの感想である。当時はこの「印象」が明確でなかった。あるいは「近代の本質」・「時代の本質」は後世の人間から見える「結果」に過ぎないという言い方もできる。しかし同時に「時代の本質」を表現しようと意図的に獲得しようとする努力もまた芸術に携わる人間の営為でもある。

「意図的に遠近法を無視したマネの世界観は、人間を中心に据えた世界観が急速に崩壊しつつあった時代を反映するものだった。近代化が猛烈な勢いで進むバリで、人間性は退化し、疎外感は拡がっていた。それこそが近代社会に対してマネが抱いた「印象」であった」

 だが、これがマネの本質的な意図なのか、家族関係から発した疎外感によって色濃く作品に現われてしまったという現代からの結果論なのか、私にはこの本だけでは結論はできない。
 さらに日本で森鴎外と坪内逍遥の論争ついてはこの書をいくら読み込んでも新書という紙数の限られたものでは限界もあるのだろう。高階秀爾の本や森鴎外の文章に直接触れながら勉強した方が懸命のようだ。



9時間15分の収穫

2019年05月09日 19時50分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝11時の予約で病院に着いたのが、9時少し前。診察が終わったのが18時15分。9時間15分。さすがにくたびれた。
 この間に採血と造影剤CT。採血が11時少し前だったから予約の時間でもあり、ここまでは順調だった。ところがCTが13時の指定だったのだが、実際には15時直前。造影剤注射ができる人が配置されていないようで、CTのみの人がどんどん先に終わっていった。さすがにこの時点で草臥れてしまった。
 さらに受診科にもどったのだが、CT室からデータが送られてこないということで、16時半にいったん診察を受けて、血液検査の報告を受け、データ待ちなのでもう少しまって欲しいといわれた。
 この時点でもう何も言う元気もなくなり、待合室のベンチで寝転がってしまった。正面入口も閉まった後ようやくデータが送られてきたものの、症状の原因の特定に至らなかった。
 こんどの月曜日に再度担当医に診てもらうように云われて予約手続きをして、会計に回された。

 帰宅してから24時間ぶりに湯豆腐3切れと柔らかいお粥を1杯。少し落ち着いた。吐き気も胃の痛みもなくなり、背中の痛みも消えた。
 9時間15分かけて、結局採血とCTだけであった。それが終わったら帰ってしまってもよかった。症状がおさまったのは、病院でひたすらおとなしく待っていた成果ではないのだが‥。

 新書を1冊読み終えたことが本日の収穫ということにしておこう。