Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

静かな喫茶店が欲しい

2019年05月15日 21時25分56秒 | 読書
 本日は喫茶店で「絵の教室」(安野光雅)の第5章を読んでいたが、後ろの席に陣取った3人ほどのグループのあまりの煩さに喫茶店を逃げ出した。近くの公園のベンチで読みかけの第5章は読み終わり、トボトボと家まで歩いて帰ってきた。

 せっかくのコーヒーも半分も飲まずに置いてきてしまった。歩いて帰る途中のコンビニで暖かいお茶を購入し、イートインコーナーで喉を潤した。腹を立ててはせっかくの読書の内容も忘れてしまうので、自重。

 帰宅後は缶チューハイに梅酒を垂らして夕食を摂りながら飲み干した。そして先ほどまで寝ていた。
 イライラした時は寝てしまうに限る。


「カメラが撮らえた横浜」展

2019年05月15日 13時06分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 先日開港資料館に寄って「カメラが撮らえた横浜 -古写真にみる開港場とその周辺-」という展示を見てきた。いつものとおり65歳以上は無料である。
 今回は特に旧神奈川宿の写真が数点あり、権現山、洲崎神社の先の船着き場などが移されており、興味深く見ることができた。できればもう少し顔を近づけて細かく見たいところもあった。双眼鏡・単眼鏡が必携であった。
 さらに従来からよく見かける古写真は外国人が住んだ山手からの眺望の写真が多いのだが、今回は野毛の高台からの写真もあり、興味深かった。
 6月15日の解説講座「吉田新田と神奈川宿」は聴講したいのだが、予定が入っている。何とかしたい。

   

   


「ギュスターブ・モロー展」 感想2

2019年05月15日 10時02分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 「モロー展」では最初のコーナーは「モローが愛した女たち」である。そこで母親ポーリーヌや27年間連れ添った伴侶のデュルーとの関係を示すデッサン等が並んでいる。このコーナーの最後に掲げられた「パルクと死の天使」(1890)に私はとても惹かれた。
 はじめ、遠目に見たとき、この作品ひょっとしてルオーの作品かとふと思ったからである。私はルオーはモローからどのような影響を作品から受けたか気になっている。、あるいはモローはルオーに関してどこに可能性を見たのか、共鳴したのかということである。
 絵具の厚塗り、荒いタッチ、強い輪郭線、暗い画面そして丸い太陽‥共通点を見つけた思いがした。その技法の先にどのような表現意識を嗅ぎ分け、可能性を見出したのだろうか。

 図録の解説でマリー・セシル・フォレスト氏(モロー美術館長)は以下のように述べていた。
「ラグナル・ヴァン・ホルテンはこの作品と、モロー美術館の初代館長を1928年まで務めた弟子ジョルジュ・ルオーの画風とのつながりを最初指摘した一人だった。厚く、高密度で、暗い、モローがあこがれ「泥」とよんだ「マティエール」はレンブラントとルオーの間をつなぐ道しるべである。風景は強力な光線を浴びて焼けたかのようにほとんど消え、荒廃した極限的な絶望のノーマンズランドと化している。」
 私はこの文章を読んで自分の感覚を少しは信じてもいいのかなと思った。

 さて浅川真紀氏の作品解説では「パルクは冥府に属する3人の運命の女神で、老女としてあらわされることが多い。ラケシスは運命の糸を割り当て、クロトは運命の糸を紡ぎ、アトロポスは運命の糸を断ち切るとされるが、画面中央でうつむいて馬の手綱を手にしているのが、3人の中で最も恐ろしいアトロポスである。騎乗する死の天使は不気味なシルエットで表わされ、その表情をうかがい知ることはできない。」と記されている。
 母を失い、続いてデュルーを失ったモローが死の幻影の中で構想した作品という琴なのだろう。制作年もデュルーの亡くなった年である。

 この死のイメージの色濃く反映した作品が、ルオーの作品の特徴と重なるという思いと同時に、私はこの作品の右下に描かれた赤い太陽がとても印象に残った。理由はわからないが、以降の作品にもこの赤い太陽が繰り返し描かれる。赤い枠とその中側は赤と白とがまじりあい渦をまいているかのようだ。
 風景を焼けつくす強力な光線を発する太陽なのか、暖かいニュアンスの夕日なのか、分からないところもある。なんのシンボルなのだろうか。これがとても気になってしまった。

               


 太陽が目についた作品は、「セイレーン」、「セイレーンと詩人」、「トロイアの城壁に立つヘレネ」、「エウロペ」。追加で「サッフォー」(1870?)も上げてみた。

【サロメについて補足】
 サロメは聖書に書かれた範囲では、母親がヨハネに義理の弟であるヘロデ王と再婚することは倫理的に許されないとして異議をとなえられ、そのことで母親がヘロデ王の意をたいしてヨハネの斬首を娘サロメの踊りの褒美としてサロメの口からヘロデ王に求めたことになっている。
 十代と思われるサロメは母親の言いなりにヨハネの首を所望した、という受け身である。しかし近代になりサロメはヨハネを誘惑する主体となり、それがかなえられずサロメはヨハネの首を所望するように解釈される。斬首の主体としてサロメが浮上するのである。
 母親の許されざる婚姻を指弾したヨハネを抹殺しようとする母子から、自らの生存の根拠を否定しようとするヨハネという存在に迫ろうとする主体の逆転がこの作品の存在根拠となった。そのためにはサロメは弱々しい存在であることは許されないのであろう。
 自らの存在の根拠をかけてヨハネに対峙しようとする若い女性。この造形にモローはさかんに試行錯誤をくり返していることがわかる展示であった。サロメの強い存在感がこの作品にはあふれている。