Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ベートーベン「ヴァイオリン協奏曲」

2020年12月20日 23時33分08秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日のEテレで放送されたベートーベンのヴァイオリン協奏曲は、指揮秋山和慶、バイオリン諏訪内晶子、NHK交響楽団で12月11日の東京芸術劇場での演奏であった。端正な秋山和義の指揮らしく、端正なベートーベンであった。とても上品で、このような演奏は初めてのような気がした。

 先ほどの吉田秀和の文章の先を引用してみる。

(ベートーベンの)ピアノ協奏曲第4番とこのヴァイオリン協奏曲の2局は、モーツアルトの意味での協奏曲を書くことを不可能にしてしまった。‥この曲の出現は、協奏曲が、室内楽ではないが、さりとてあまり大げさでないい小ぢんまりした合奏と独創からなる社交音楽だった本来の姿から完全に脱皮して、演奏会用大音楽に変質したということを意味する。
(ヴァイオリン協奏曲とピアノ協奏曲第4番は)モーツアルト流の社交音楽としての協奏曲と、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番(皇帝)以降の名人演奏家の名人芸発揮のための演奏会用作品との合間にうまれ、その転換のシンボルであり、かつ、その転換を実現する原動力として働いた稀有の歴史的モメントとしての傑作なのである。

 このような把握は、私もまったく同感なのだが、この視点からすると、本日の演奏はちょっと異質であったと思う。

 23時からのBSプレミアムで放映されている、次の曲は録画している。
・サイモン・ラトル指揮、ロンドン交響楽団による「交響曲第9番「合唱つき」」
・アンドリス・ネルソンス指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団演奏会による「バレエ音楽「プロメテウスの創造物」から 」


ベートーベン「ヴァイオリン協奏曲」を聞く前に

2020年12月20日 20時40分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日は21時からEテレでベートーベンのヴァイオリン協奏曲が放映される。午後のコーヒータイムでは吉田秀和の「ブラームス」に入っているベートーベンのヴァイオリン協奏曲に関する論考を呼んだ。吉田秀和の文章は不思議だ。文章全体の後半に目的の局の論考が入るが、前半は他の曲の論考で埋まってしまう。どちらかというと、前半のほうが重要な場合が多い。ベートーベンのヴァイオリン協奏曲論を読むために、ブラームスのヴァイオリン協奏曲についての文章を読む必要になった。
 私は何しろ出だしのティンパニーの4つの音の緊張感が演奏のすべてを支配すると思っている。その緊張感を何度も味わいたくて、いくつもの演奏のCDをかつてそろえた。
 そしてオーケストラ全体が4つの同じ音のリズムを繰り返しながら、ヴァイオリンソロを引っ張り出すようにしてソロが始まる。このソロは107小節目のA♯の四分音符がHの二分音符のスフォルツァンドで解決して一気に頂点を迎える。ここまでで十分に堪能できる曲である。
 そして長大な第一楽章に比べて第二楽章は実に繊細なメロディーである。この第二楽章も私は忘れられない。
 第二楽章までの緊張感が、第三楽章に流れ込んでいくのであるが、この荒々しさが演奏ではなかなか納得のいくものが私は見つけられていない。少し羽目を外すくらいの荒々しさが欲しいと思う。

 引用が長くなるが吉田秀和の文章をここに書き留めておきたい。

ベートーヴェンがそれまで前例のなかった、そうしてすごく冴えた、印象的な「開始」の仕方をいくつもやって見せた芸術家だった(例えば第五交響曲、第九交響曲の出だし)ことは、ことわるまでもあるないが、その中でもこの《ヴァイオリン協奏曲》の開始は水際立ったものである。‥まことにさりげない、さっぱりした始まり方のように見えるが、一度それに気がついたことのある人には、もう忘れることのできないもので、‥ポン、ポン、ポン、ポンと四つなる。それだけで息づまるような緊張が生ずる。こんな単純な一つの音の繰り返しだけで、これだけ強烈な緊張のつくられたためしは、ほかのどこにあるだろうか。‥

 


木星と土星

2020年12月20日 19時32分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 昨日はほとんど外に出ず、歩数計はわずか3500歩。本日は近くの駅までの往復を少し遠回りで実行したものの往復1万歩を超えた程度。久しぶりに早歩きであったので、体はかなり温まった。
 明日がもっとも接近して見える木星と土星、本日は目の悪くなった私にはもう一つに見えた。一昨日と同じ場所からスマホを手すりに押し付けて固定して撮影してみた。なんとか二つに分離して撮影できた。二つに見えるであろうか。


「コザ暴動から50年」

2020年12月20日 14時20分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨晩は作業で目が疲れていたが、23時からEテレで放映された「沖縄が燃えた夜-コザ暴動50年後の告白」を最後まで見入ってしまった。
 1970年、19歳の私に大きな衝撃を与えたコザ暴動。当時のテレビや新聞の報道を食い入るように見、そして読んだ日々を思い出した。沖縄問題は新聞報道程度には頭に入っていたが、私に肉薄するように「沖縄」がのしかかってきた印象であった。
 沖縄の置かれた状況説明や激しいデモの報道記事よりも、実際に燃え上がる米軍関係者の車や投石の様子や米軍の発砲音などの様子に、実際に基地の周辺で働く人々の思いや息遣いが伝わってきたと感じた。
 5年前に沖縄に退職者会の友人と沖縄を訪れたときも、当時の現地を短時間だが訪れた。同行者と夜に「当時どんな風にそれぞれがあの事態を受け止めていたか」を話し合ったことも思い出した。
 当時の写真、実に生々しかった。そしてその暴動を「基地反対派の作為」に仕立てようとした米軍と日本政府の対応のひどさが現在の沖縄の置かれた状況、現在の日本の政治の状況につながる。さらに、人身御供のように捕えられ、有罪の判決を受けさせられた4名、当時の写真に写されていた人々等々の50年が重い。

 放送終了後、当時のことを思い浮かべているうちにさすがに疲れていたせいかすぐに寝入ったようだ。結局7時間半も寝た。しかし起きたときにはまだ目がショボショボしており、すっきりとは回復していなかった。顔を洗ってから15分ほどしてようやく焦点があってきたようだ。
 軽い朝食後ただちに一太郎の自分なりの設定と、いくつかのアプリを再インストール、そして一昨日購入したウェブカメラを取り付け、「ズーム」をインストール。ようやくひと段落である。
 ウェブカメラ、あまりに広角なので本があふれ出た本棚などが映ってしまい慌てている。
 本日も退職者会の作業は休止。これよりコーヒータイムと読書タイム。