Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

テレビ番組への違和感のひとつ

2020年12月27日 22時10分51秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昨日・本日とほとんど読書はしていない。本日も読書はあきらめ、ベッドルームで横になりながら、リビングルームのテレビの音を聞き流すように聞いていた。
 テレビの番組というのは、私に言わせると不思議なものである。視覚と聴覚に作用する音と映像が同時に流れているのだが、聴覚に頼る割合が高すぎるといつも思う。
 試しに音の出力をなくして、映像だけを見てみることと、逆に映像を見ずに音だけを聞いてみることを比べてみることをお勧めする。「しゃべり」と「映像」の「もたれあい」がわかってくると思う。
 優れた演出のバレーの舞台、優れた映画作品などなど言葉がなくとも、字幕がなくとも、眼が吸い寄せられるように画面に釘付けになり、満足感を得られる作品も多い。逆にセリフだけ聞いていてもわかってしまう映画やドラマのなんと多いことか。「役者が体や顔や眼で演技をしていない」ということを聞いたか読んだかしたことがある。きっとこのことを言っているのだと思った。
 そしてテレビ番組を見ていて気になるのが、場面転換のあまりの速さ、視点のあわただしい移動である。時間に追われ、じっくり「観察」することをあらかじめ拒否している。教育番組や科学番組もこの弊害から自由ではない。想像力を働かせたり、自分なりに物語に奥行きを創造するゆとりや自由がない。
 「クイズ番組」が考えることではなく、知っているか否か、だけで優劣が決まってしまうのと同じように、教育・科学番組などが「早急な答え」や「結論」だけを求めていては教育の悪い面の拡大再生産でしかない。

 こんなことを考えていたらもう22時を過ぎてしまった。明日はじっくりと読書タイムとしたいものである。

 


勘違いか、「騙された」か

2020年12月27日 18時19分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 歩いて20分ほどのスーパーに買い物かと思ってついていったら、私の勘違いだったのか、騙されたのかは不明であるが、さらに15分ほど歩いた先のスーパーであった。おいしいコーヒーを淹れてくれる喫茶店でのホットコーヒーが報酬。

 私は徒歩、妻は荷物籠のない電動自転車という状況で、帰りはそれなりの重さのエコバッグを下げて帰宅。東の空に上がってきた十三夜の白い月が夕方の空に貼りついているのを見上げながらトボトボと歩いた。西の空は見通しのない道のため、木星と土星の離れ行く最後の姿を見ることはできなかった。帰宅後、団地の西側の定点観測の地点まで行く元気は消えた。天文ファン失格である。

 今年は大掃除も手伝わずにいるので、文句は言えない。
 


本日のオンライン講座は北方ルネサンス

2020年12月27日 14時22分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日のオンライン講座は「美術の物語(ゴンブリッチ)」の第14回目、「14 伝統と変革2」として15世紀のアルプス以北の建築と絵画。いわゆる北方ルネサンスの始まりの状況。
 ファン・エイクを嚆矢として、展開されているが、建築史を絡めて説明があるとよく理解できると感じた。
 私は取り上げあれた作品の加中ではジャン・フーケ、ウェイデン、クラーナハにひかれた。

 これより買い物に付き合うことになった。歩いて20分ほどのスーパーまで。