師走も中旬、そろそろ年賀状のことも考えなくてはいけないが、今の状態ではとても無理である。退職者会の作業の段取りも考えなくてはいけないし、パソコンの再設定のこともあり、そこまで頭が回らない。考えると余計に頭がつらくなる。
現役時代から年賀状は切羽詰まらないと作らなかった。ゆとりをもって年賀状を用意すればあわてることはないのだが、それが難しかった。時間のゆとりのできたはずの今も変わらない。年賀状というものはそういうものだ、と思うしかない。
年賀状には半世紀以上も、干支も、日の丸も、旭日旗も、元号も私は記すことはない。たがだか新年という暦の一区切りの日でしかない。それでも冬至に近い日付から少しずつ暖かくなり、春を迎える気分を表現して気分をあらたにする、ということは大切だと思い、年賀状を記してきた。無沙汰をしている先輩・友人には、年に1回の近況報告でもある。
そして年賀の挨拶は郵便によるハガキでないといけないなどとはさらさら思わない。電子メールでもいいし、電話でもいい。メールは味気ないとか、年賀状が「日本の伝統」などという頓珍漢なことも言うつもりもない。年賀状という習慣がいつから始まったか、ちょっと紐解けばわかるはずである。
年に一度の近況報告をお互いにしている、という基本を忘れてしまっては、習慣に押しつぶされている情けない自分を晒しているに過ぎない。気持ちがこもった年に一度の近況報告を楽しく行いたいものである。年が明けてから投函するのも、悪くない。郵便局の都合に合わせる必要などさらさらない。古くからの友人は、いつも12月の初旬に「よいお年をお迎えください」と普通ハガキを送ってくる。仕事が年末を迎えて慌ただしくなる前にあいさつをしたいのだそうである。