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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

年賀状の季節

2020年12月11日 22時49分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 師走も中旬、そろそろ年賀状のことも考えなくてはいけないが、今の状態ではとても無理である。退職者会の作業の段取りも考えなくてはいけないし、パソコンの再設定のこともあり、そこまで頭が回らない。考えると余計に頭がつらくなる。

 現役時代から年賀状は切羽詰まらないと作らなかった。ゆとりをもって年賀状を用意すればあわてることはないのだが、それが難しかった。時間のゆとりのできたはずの今も変わらない。年賀状というものはそういうものだ、と思うしかない。

 年賀状には半世紀以上も、干支も、日の丸も、旭日旗も、元号も私は記すことはない。たがだか新年という暦の一区切りの日でしかない。それでも冬至に近い日付から少しずつ暖かくなり、春を迎える気分を表現して気分をあらたにする、ということは大切だと思い、年賀状を記してきた。無沙汰をしている先輩・友人には、年に1回の近況報告でもある。

 そして年賀の挨拶は郵便によるハガキでないといけないなどとはさらさら思わない。電子メールでもいいし、電話でもいい。メールは味気ないとか、年賀状が「日本の伝統」などという頓珍漢なことも言うつもりもない。年賀状という習慣がいつから始まったか、ちょっと紐解けばわかるはずである。
 年に一度の近況報告をお互いにしている、という基本を忘れてしまっては、習慣に押しつぶされている情けない自分を晒しているに過ぎない。気持ちがこもった年に一度の近況報告を楽しく行いたいものである。年が明けてから投函するのも、悪くない。郵便局の都合に合わせる必要などさらさらない。古くからの友人は、いつも12月の初旬に「よいお年をお迎えください」と普通ハガキを送ってくる。仕事が年末を迎えて慌ただしくなる前にあいさつをしたいのだそうである。


「夜明けは近い」か?

2020年12月11日 21時12分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ようやく先ほど帰宅。リビングルームで半分は寝ていたらしい。明日の準備は無事に終了。明日は11時に組合の会館に出向いて、12時からのイベントの準備をすることになった。片付けも含めて全体の終了は13時過ぎ。そののちは準備作業や当日の要員として活躍してくれた仲間と慰労会である。
 慰労会が楽しみでいろいろとイベントを企画している、と言われるのも否定できない。むろん、慰労会は会の会計とは別に、参加者自身の自前の負担である。

 どこそこの「桜」にかこつけて、自分の負担ではなく、他人の金で飲食をしようと思うこと自体がまともではないのである。あの「桜」の情けないイベント自体が、日本の近代の負の遺産である。あのイベントそのものに「おかしい」と思わないこと自体が「負」なのである。5000円であのような接待をしてもらえると思い、意義申し立てをしない限り、日本の近代は達成されないのではないか。

 残念ながら「夜明けは近」くない。とてつもなく遠いようだ。政治家は「たかる」のではなく「使う」のが大切なのではないか。政治家に利用されるのはもうやめたいものである。

 


ミニノートパソコンのフル活動

2020年12月11日 12時11分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 昨日は机の上の書類を片付け、今朝はデスクトップののっていたパソコン台の整理と掃除。だいぶ埃がたまっていた。配線のコードの埃もぬぐってきれいにした。パソコンの困るところはかさむ配線類。
 リスクの分散と必要なデータの持ち運びを考えると、外部記憶装置は多くなる。外付けの機器が増えるとどれもがコードがとぐろを巻いてしまう。USBは便利だが、ハブの電力供給のための電源コードも必要である。たこ足配線でどれがどのコードであるか、もうすっかり忘れている。
 これから二週間、ミニノートにフル活動してもらわなくてはいけないので、その設定がようやく完了。
 リスクの分散の観点からは、このミニノートがあったことと、Wi-Fi環境でこのミニノートがネットとプリンターに接続できていたことがさいわいであった。

 「いつも部屋がすっきりしていない」、と常日頃から妻に言われている。パソコンの買い替えを機に妻は「すっきり」にこだわっている。残念ながらその要望どおりにはならない。