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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

一年間の閲覧に感謝いたします

2020年12月31日 21時03分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 今年一年の閲覧、ありがとうございました。本年はこれにて終了します。といっても明け方には新年の最初の投稿を始める予定です。

 この一年、コロナ禍のもとでのブログでした。新型コロナに対処するに政治とそこに現れる論理と言葉のとどまることを知らない劣化が、いつの間にか「当たり前」と思えるような状況になってしまいました。カルト化したような政治とともに、社会の閉塞感も強まり、先が見通せなくなっています。

 これまで「国家」の論理が全世界的に規模で前面に出てきています。残念ながら、日本は先頭集団に位置しているのではないでしょうか。他文化との共生はおろか、他者・他文化・他国に対する非寛容へ至っています。そしてその結果として、「戦争」が露出してきているのではないかと危惧しています。

 新しい年が、コロナ後の明るい世界を見通すことができる年であることを願っています。さらに政治の劣化を食い止め、社会の閉塞感を吹き払うための一歩となる年になってほしい思います。


活字中毒

2020年12月31日 20時02分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど目を通し終わった「マックス・エルンスト」展の図録で本日の読書は終了。理解できずに「読了」というのも残念であるが、やむなし。
 これで年間53冊ほどを読了できた。といっても再読してものや、月刊雑誌などでは全体を読んではいない。必要な個所を読み終わって「読了」とししたものもある。

 このほかに推理小説を7冊ほど。今年の読んだ推理小説は赤川次郎の三毛猫ホームズのシリーズを2冊と、ポール・アダムの「ヴァイオリン職人」シリーズを3冊。そして中山七里のヒポクラテスのシリーズを2冊。
 頭がくたびれているときに読んでいる。ヴァイオリン職人のシリーズは推理小説しての展開というよりは、ヴァイオリンの名器や過去の名演奏家、作曲家をめぐる知識を得るのが楽しい。ヴァイオリンについての蘊蓄を楽しんでいる。
 中山七里のヒポクラテスのシリーズは後続の3冊目がまだ文庫化されていない。三毛猫ホームズのシリーズは膨大にあるうちの5冊ほど読んだので、そろそろおしまいにする予定。

 推理小説は中学3年のころに、シャーロックホームズとエラリー・クイーン、アガサ・クリスティのシリーズなど翻訳ものばかりをむさぼり読んだのがとても懐かしい。小遣いも足りないので、伊勢佐木町の有隣堂で立ち読みで読んでしまったものも随分あった。しかしわずか1年、100冊ほどで推理小説そのものに飽きてしまった。

 今は立ち読みで読み飛ばしてしまうことはできなくなった。足が疲れてそんなことはとてもできない。目もそんなに根を詰めて読むと視力が続かない。1時間もしないうちに活字を終えなくなる。

 しかし活字中毒は一生治らないと思われる。活字を追えなくなったらどうなるか、考えることもしたくない。
  


「マックス・エルンスト」展の図録を読む

2020年12月31日 17時56分22秒 | 読書

 1977年に西武美術館で開催された「マックス・エルンスト」展の図録をようやく読み終えた。とても難解な解説が並ぶ。

 まず、マックス・エルンスト本人の「シュルレアリスムとは何か」、「ダダ」、そして「マックス・エルンスト:自伝メモ」という詳細な亡くなる前年の1975年までの自伝が掲載されている。

 解説には、
・マックス・エルンスト(1921)       アンドレ・ブルトン
「相へだたった二つの現実に手をのばしてそれらを接近させ、そこから何か光芒を引き出すこと、また具体的なものと同じ強度、同じ起伏をもってよびおこしたさまざまな抽象的形体を、私たちの感覚の範囲内におくこと、身許保証のすぺてをうばった上で、私たち自身の記憶のなかへ追放すること--これらの不思議な能力こそ、一時的にでも彼を引きとめているものなのだ。」
 主語と述語が一致しない文章で、全体を読んでも私の能力を超えている。
・侮蔑された絵画(1930)          ルイ・アラゴン
・絵画の彼岸(1939)            ポール・エリュアール
・光輝く使者(1942)            ヘンリー・ミラー
・幻覚について(1948)           ロベルト・マッタ
・哲学者マックス・エルンスト!(1959)   ジョルジュ・バタイユ
・ヴェルナー・シュピースへの手紙(1976)  フランツ・パルケ
など12名のエルンスト評の抜粋が10ページも並んでいる。
 また「エルンストと現代」という坂崎乙郎の解説が並んでいる。

 これらの解説を読みながら「シュルレアリスム」について理解をしようとしたが、理解には至らなかった。
 いくつか引用しようと思ったが、理解できていない文章を引用・掲載するのもいかがなものか、と思い断念。

 シュルレアリスムの理解は今年は断念。来年以降に何かの折に再度挑戦することにした。

 文章での理解と作品を見ての理解、ともに一筋縄ではいかない。