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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

来年、行ってみたい美術展

2020年12月29日 22時21分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 「日経おとなのOFF 2021美術展」を見ながら、「訪れたい」と思った展覧会を並べてみた。すべて行けるわけでもない。またコロナ禍はまだ続くとすると、「事前予約制」ということで、思いたったら見に行く私は、苦手な鑑賞スタイルを強いられてあきらめることが多いとも思われる。

・没後70年 吉田博展              1.26~3.28  東京都美術館
・琳派と印象派 東西都市文化が生んだ美術       ~1.24  アーティゾン美術館
・河鍋暁斎の底力                   ~2.  7  東京ステーションギャラリー
・古代エジプト展 天地創造の神話           ~4.  4  江戸東京博物館
・クールベと海 フランス近代絵画 自然へのまなざし
                                                            1.10~6.13  パソナニック汐留美術館 
・フランシス・ベーコン パリ・ジュールコレクションによる
                                                              1. 9~4.11  神奈川県立美術館葉山
・テート美術館所蔵 コンスタブル展          2.20~5.30   三菱一号館美術館
・生誕150年記念 モンドリアン展 純粋な絵画を求めて
                           3.23~6. 6   SOMPO美術館
・あやしい絵展                  3.23~5.16  東京国立近代美術館
・カラヴァッジョ《キリストの埋葬》展       3.24~5.10  国立新美術館
・風景画のはじまり コローから印象派へ      6.25~9.12  SOMPO美術館
・ミネアポリス美術館 日本絵画の名品       4.14~6.27  サントリー美術館
・マティス 自由なフォルム            9.15~12.13  国立新美術館
・川瀬巴水展(仮称)                10. 2~12.26  SOMPO美術館
・イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜   10.15~22. 1.16  三菱一号館美術館
・与謝蕪村 「ぎこちない」を芸術にした画家」   3.13~5.  9  府中市美術館
・ゴッホ展                    9.18~12.12  東京都美術館

 この中でも、「琳派と印象派」、「コンスタブル展」、「モンドリアン展」、「カラヴァッジョ」、「風景画のはじまり」、「マティス」、「川瀬巴水展」、「ゴッホ展」は見逃せない。
 果たして、来年はどのくらいの美術展に行くことができるであろうか。
 トライアローグ展が終わると横浜美術館は長期の改装に入るので、近くでのんびり絵画に囲まれる、ということができなくなる。それもまた残念である。

 


「図書1月号」 その2

2020年12月29日 20時30分03秒 | 読書

 本日目をとおしたのは、次の8編

・ガリヴァーの囁き(前編)         吉田篤弘
短い時間の中に多くの経験を詰め込んでしまうと、人間が本来備えている〈時〉に大きな負荷がかかります。負荷は肉体にも精神にも重くのしかかり、‥自らの寿命を全うできなくなるのです。‥わたしたちはそうした当たり前のことも判断できなくなりました。
外の世界を見聞するということは、いつでも、自分の内側を見つめることでした。

・知識と社会の過去と未来 -М・ウェーバーから百年(3)   佐藤俊樹
今回のパンデミックで、感染予測の数理モデルなどの計算社会科学的な用具(ツール)の強力さを実感した人は多いだろう。「数式だけで社会も解明できる」とする語りが、理工系を中心に、これからさらに増えてくるだろうし、それに対抗して、哲学や思想系からは、「コトバによる用具への反省こそが大切だ」といった語りが生み出されていくのだろう。けれども、その対立をくり返すだけならば、、19世紀末の‥自然科学vs.文化科学の図式と変わらない。現代の社会科学はその二項対立を抜け出すことから始まった。‥М・ウェーバーが100年前に始めた研究は、その路を照らす道標としいて、今も私たちに明るい光を投げかけている。

・あれは奇跡だったのだろうか       高橋三千綱
「冷酷な女医なんかに診察してほしくないから退院するんだ。無能力を覆い隠す医者なんかもぐりだとそういってくれ。ああ、これでストレスから解放された」。すると傍にいた男の看護師が笑い出した。私は彼の助けを借りて点滴をはずし、‥」

・瓦礫のなかの「四次元」 -2011年7月、釜石      亀山郁夫

・「俺の自叙伝」             四方田犬彦

・1916年、漱石と李光洙        斎藤真理子
人の評価は棺を蓋うまでわからないとよく言われるが、棺を蓋ってもわからないことはわからないままだ。満鉄の招きで漱石が書いた「満韓ところどころ」や、「門」に出てくる伊藤博文暗殺事件への言及についてはさまざまな解釈がある。だが結局のところ、漱石自身が日本の帝国主義と朝鮮支配をどう考えていたのかは、私たちの想像の外にあるのではないか。‥漱石は死後68年めに伊藤博文に代わって千円札の肖像になり‥

・音の祭り                橋本麻里
音もまた、現世や日常とは異なる、聖なる時空・存在の到来を示し、あるいはそれ自身によって変貌を引き起こす、「かざり」の機能を揃えているのだ。

・いのち、かがやく世界へ         長谷川櫂
 この長谷川櫂の連載は、いつも死のにおいを漂わせている。その死のにおいからさまざまな「生け」が醸し出されていく。今号では平知盛の「見るべき程のことは見つ。いまは自害せんとて‥」の言葉の意味合いを解こうとしている。
 引用の現代の俳句についても、死のにおいが色濃く写っている。

 蛍来よ吾のここめのまんなかに     長井亜紀句集「夏へ」
 春の水いのちにいのち宿りけり          々
 蚕豆やどの子も莢にねむらせん          々

 


損な性格といわれるが‥

2020年12月29日 18時24分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩布団に入ってから、退職者会の記念誌の作業の不備に気が付いた。気になって仕方がないので、早めに起床して訂正を始めたら、他のページにも不備がいくつかあるのに気が付いた。すべて訂正していたら、正午過ぎまでかかってしまった。
 「妥協するのが下手」と昔から仲間に言われてきた。確かに手抜きが苦手である。自分ではきちんとした仕上げをしたつもりでも、プロの校正者にかかれば、私がこだわったところもいとも簡単に改善される。そんなことを幾度も経験してきた。
 しかしそれでも手抜きができない。ここは手抜きをしても印刷所できちんと直してくれるはず、とわかっていても気になって仕方がない。友人には「凝りすぎ」「拘り過ぎ」「損な性格」といつも言われてきた。
 余りに根を詰めすぎて「体調を崩すぞ」と言われて、現に具合を悪くしたことは何回もあるが、あらためることができないまま、とうとうこの歳になってしまった。もう生涯治らないだろうといわれる。

 作業がひととおり終わったら、正月用の花やお酒を買いに行くので昼食の用意をしていない、との宣告。やむなく妻と親の後ろから荷物持ちとしてついていった。買い物の最中に昼食にありつけた。まるで散歩に連れていかれた犬のようにおとなしく付き従った。
 ただしお酒の店ではこだわりの日本酒と焼酎、そして赤ワインを購入。この時だけは顔がほころんだ。帰りがけには屠蘇散も手に入れた。

 帰宅してから「図書1月号」を読了。