Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

無情の雨

2024年01月03日 22時28分13秒 | 天気と自然災害

 横浜でも先ほど短時間だが、雨が降ってきた。能登半島の地震の被災地では雨が強いようだ。無情の雨に思える。

 地震災害は深刻の度合いがますます深まっていく。今は、専門家による組織的な支援が必要である。それを見極めたうえで、私は何ができるのか、どこが信頼できる窓口なのか、どんな支援の在り方があるのか、退職者会の中での議論も含めて深めていきたいものである。

 本日で年末年始は一応終了。明日から日常が戻ることになっている。横浜駅周辺の混雑も本日ほどではないと思われる。ただし地震災害や羽田での事故で、帰省や旅行からの帰宅が遅れるかたがいるはずだ。混雑が明日まで伸びる可能性がある。

 明日は短時間ではあるが、いくつかの所用のために横浜駅界隈をめぐる予定。


「奇病庭園」の読書再開

2024年01月03日 19時54分01秒 | 読書

 昨年は一年で32冊ほどを読み終えた。予定していた本の6割ほどにとどまってしまった。読みたい本は山ほどあるが、なかなか進まない。新刊もどんどん出てくる。歳なのであまり新しいものに飛びつくのも如何なものか、という気持ちもあるが、時々は読みたくなるものである。

 本日はいつもの横浜駅傍の喫茶店にもぐりこんで「奇病庭園」(川野芽生、文芸春秋)という若い作家の小説の読書を再開した。年末までに読んだところを再読し、思い出しながら読んだ。
 何に若い作家がこだわっているのか、を読み取るよりも自分が何を読み取るか、が問われてしまう怖さがある。
 川野芽生氏は、今月の芥川賞候補作品に初めてノミネートされたとのこと。

 明日からは岩波書店の「図書1月号」とこの「奇病庭園」の両方を持ち歩く予定。


読了「キリストと性」

2024年01月03日 13時20分35秒 | 読書

   

 「キリストと性 西洋美術の想像力と多様性」(岡田温司、岩波新書)を読み終わった。

旧約聖書の神の「母性」の側面に、あまり光が充てられてこなかったように思われる。ユダヤ教であれキリスト教であれ、本来は性やジェンダーに関してかなり寛容な部分もあったのではないだろうか。・・・・メタファーこそが、わたしたちの詩的で美的で宗教的でもあるような感性と想像力を豊かに培ってきた・・。」(第6章)

わたしたちが生きていくうえで求められているのは、自分とは異なったり反対だったりするような、さまざまな立場の他者の存在をいかに想像し尊重できるか、ということである。パウロはわたしたちが自己のアイデンティティや帰属意識に固執しようとするまりに、ややもすると他者に対して不寛容になることをそれとなく戒めている・・。」(おわりに)

 キリスト教の視点から美術に表された、あるいはその美術の背景の民衆の信仰の有り様から、父性・母性、そして様々な性の有り様について解き起こしている。その目的は本書で達成しているかのように思われる。岡田温司氏の著作は「マグダラのマリア」(中公新書)に続いて2冊目。
 しかし私の視点では、その美術に表れたさまざまな性の有り様は、キリスト教が覆い被さっているキリスト教以前の古代の信仰や性の有り様を匂わせている。人々の生きざまが、教義ととして覆い被さったものから滲み出たり、吹き出たりしたものという視点を手放したくはない。建て前や公式の教義に隠れて、男女のさまざまな形の性の有り様は、伏流のように隠された形で脈々と続いている。
 単純化して言ってしまえば、キリスト教に限らず宗教の教義という軛(くびき)が弱まっている現在、徐々に明るみに出てきているのではないか。宗教の側からの反動もまた強まっている時代でもある。
 そんな私の時代認識を確認した本書であった。