二日の日は、妻に付き添って毎年訪れている1寺1社をまわった。
妻は毎年手に入れる干支の土鈴にご満悦。箱根駅伝は時間的に間に合わず、今年もパス。はっきり言って選手の背後からの監督の怒鳴り声は聞いていて、気分のいいものではない。私には理解できない「日本的」スポーツの有り様である。
私は、世の中と同じように本日から仕事始め。労働組合の私の属する退職者会は、現役時代の支部やブロック編成に従って、ブロック別の組織になっている。私が「代表」におさまっているブロックのニュースの新年号の作成を始めた。
新年の挨拶は、年末までに一応考えていたが、元旦の能登半島の地震や羽田の事故などを踏まえて多少書き変えなくてはならなくなった。明後日までには仕上げたいものである。
A4版で表裏の2面で、しかも字の大きさも一回り大きいので、面積で労力を図るとすると、半分以下である。しかし会員一人ひとりの顔を思い浮かべながら作成するので、より身近なニュースに仕立てたいと常に思っている。
文章も微妙に変えている。1000部と100部ではおのずとニュース・新聞の持つ性格も違う。その落差がようやくわたしなりに身についてきた。モノクロとカラーの違いも大きい。