Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

機関紙の原稿作り

2015年06月18日 21時13分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日も午後からとてもすごい豪雨が横浜市の中心街を襲った。午前中磯子駅まで出向いて仕事をこなした後、横浜市都市発展記念館にて「時計屋さんの昭和日記-一青年のみた戦中戦後の横浜」展を見終わって外に出てみると日本大通り駅の周りは、昨日のような豪雨であった。
 駅から地上に出てきた多くの人が建物の広い出口で立ちどまっている。歩道から2mは鯛物の中にいないと飛沫で衣服が濡れてしまうような雨である。
 まさか本日もこのような雨に会うとは思わなかった。傘は昨日よりも少し大きめで頑丈な折りたたみ傘を持参した。だが足元は確実に濡れるのがわかっているので、地下の喫茶店でしばらく様子を見ることにした。30分ほどしてから喫茶店を出て地上の様子を見たが相変らず降っていたので、みなとみらい線で横浜駅までもどるとすっかり晴れあがって日が射していた。
 そのまま眼科に直行した。ところが視力検査と診察、薬局で点眼薬を処方してもらって終了したのが2時間後の16時45分。午後の講座はもうすでに終了しており、仕方なくそのまま帰宅することにした。

 午前中の仕事は、退職者会の機関紙の印刷をお願いしている印刷所とのはじめての打合せであった。結局今後のことを考えるとA3裏表分のフォーマットを作る方がいいようなので、これから本日中に作ることにした。A4の裏表は現役の頃毎週支部の機関紙を作成していたので、楽に作れるが、A3裏表となると結構のボリュームがある。隔月とはいえそれなりに負担になりそうである。とうとう明日以降来月の機関紙の原稿作りに本腰を入れなくてはならなくなってしまった。
 ということで、東京行きの予定は断念。


「時計屋さんの昭和日記」(横浜都市発展記念館)

2015年06月18日 20時15分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 横浜都市発展記念館で開催されている「時計屋さんの昭和日記-一青年のみた戦中戦後の横浜」展を見てきた。

   

 1930(S5)年という世界恐慌の起こった翌年に信州の伊那地方から横浜・根岸の時計店に奉公に出てきた12歳の下平政煕少年が1994(H6)に77歳で亡くなるまでつけていた日記をもとにした展示。下平氏の生涯と横浜、否、日本の昭和史を重ねて昭和という時代、戦前・戦中・戦後を浮かび上がらせるという企画である。
 華々しい経歴ではないが時代の大きなうねりに翻弄されながらも、誠実に生き抜いて人生を全うした市井の職人の生涯が、時代の流れと重ね合わせて展示されている。
 まずはこのような貴重な長期にわたる資料を提供された下平氏の遺族に敬意を表さなくてはいけないだろう。そして展示にまとめた学芸員の熱意と力量も優れていると思った。
 私の父親より一つ下という年齢の下平政煕氏の人生はとても私にとっては身近な世代である。私の場合は自分の親と重ねながら見るというのではなく、1951年以降については自分の人生と重ね合わせながら見た。特に1964年に中学一年になった私が根岸の不動坂下から学校に通った地域に近かったこともあり、また、横浜市に勤めて組合活動に従事する中で訪れる機会の多かったこの地域については、いろいろの思い出がある。
 同時に、大正デモクラシーから日中戦争、そして第二次世界大戦・太平洋戦争に至る時代は、私が戦前の歴史をいろいろ聞きながら時代を私なりに再構成しようとしていつも具体的なイメージがどこかで明確に作ることのできないもどかしさを持っていた時代である。そういった意味ではとてもありがたい企画展であった。
 「明治は遠くなりにけり」、ではなくもはや「戦前の時代も遠くなりにけり」なのである。戦争に駆り出された世代には、意外と戦前・戦中の体験について語らない負を背負ったという思いがある。私はそれは戦争責任に対する中途半端な清算によってもたらされたと思っている。戦後の冷戦の始まりにともなってあの戦争に至った責任追及が有耶無耶になったことが、負の歴史にさらに負の遺産を押し付けてしまった。
 そして今の政治の流れは、あの戦争を否定しようとしない風潮がまかり通るようになってしまった。
 この展示はそのような風潮に大きな一石を投じることを切に願いたいものである。

 戦前の奉公人、住み込み職人の生活実態、実家との関係、親方の家族との関係、独立した職人の仕事のあり様、満州開拓団の実態、そして戦後の生活実態、私の中学生時代の横浜の実態等々、あらためて知ったことがたくさんあった。
 私が死んでもこのような生きた市井の市民の資料を残すことができるだろうか。かなり否定的だ。

            

深夜にも大雨注意報・豪雨のお知らせ情報

2015年06月18日 09時25分13秒 | 天気と自然災害
 横浜市内にも2時前に大雨注意報が発令された。3時ごろには市から「豪雨のお知らせ情報」が届いた。予想雨量で見ると私の住んでいる区でも時間雨量30ミリの雨があるらしい。ただし私の住んでいるところよりも西の方らしい。
 今回は予報どおり弱い雨が短時間降っただけで終わったが、同じ区でも西部の方はかなり降ったことになっている。
 明け方には大雨注意報は解除になった。

 気象庁の発表のように大気はかなり不安定なようすである。予報では夕方まで曇で夜から昨日ほどではないが雨が降るようだ。しかしこの分ではいつどっと降るかわからない。困ったことに、本日は一日で歩かなければならない。

 セキセイインコはどうやら危機は脱したようだ。病院に連れていく一週間ほど前から食時も摂らなくなり、じっとしていた。診断をしてもらうと46グラム超と体重が異常に増加し、皮下脂肪、肝脂肪が目立ち、消化器官が拡大していた。処方してもらった薬をスポイトで口に流し込んだが、飲んだのかどうかもはっきりしなかった。5日ほど食事も摂らずにじっとしていたが、擂餌を与えると少しずつ自分から食べ始めるようになった。さらに3日ほどして普通の餌も青菜も食べ始めた。
 再度医者に連れていくと体重は38グラムと標準に戻っているとのこと。人間でいえば二週間で70キロの体重の人が57キロに減量したことになる。見た目にもスマートになり、以前よりも活発になった。
 このまま回復してくれるといいのだが‥。

大雨・洪水・雷注意報は解除

2015年06月17日 22時41分11秒 | 天気と自然災害
 雨に打たれて風邪をひかないか心配したが、さいわい大丈夫だったようだ。明日は午前中は退職者会の仕事、午後は眼科と講座がひとつ、夜にはひょっとしたら東京へ行くことになるかもしれない。
 これから明日の仕事の準備。1時までには終わらせたいものである。

 ちょうど今、横浜市に出ていた大雨・洪水・雷注意報の解除のメールが届いた。あれだけの雨で警報にならなかったのが不思議である。

猛烈な雨に遭遇

2015年06月17日 19時19分49秒 | 天気と自然災害
 ひどい雨に遭遇してしまった。
 神奈川大学の横浜キャンパスでの講座の途中で横浜市からの「豪雨お知らせ情報」が届いたり、大雨洪水雷注意報の通知が来ていたが、あまり心配をしていなかった。しかし講座が終了して外に出るとかなり強い雨が降っていた。本日中に病院に行って降圧剤の薬をもらわないといけないので、小降りになってすぐに講義棟を出て歩き始めた。雲もところどころ切れ目がありうっすらではあるが青空も見えていた。さらに病院が閉まるまであまり時間も無い。病院までは普通なら歩いて15分程度。
 ところが住宅街に差し掛かったところで猛烈な雨に襲われた。緩い坂道の上から大量の水が押し寄せてくる。傘もむろん役に立たない。あっという間に、それこそ1分とかからずに運動靴の中も、さらにズボンからリュックまでびしょ濡れになった。雷はまだかなりの遠くの音であったが、これで雷がひどかったら住宅街なので避難する場所も無い。かなり慌てた。
 予定の半分まで歩いたところでバス停にたどり着き、時刻をみたら3分後にバスが来る予定なので、バスを待つことにした。ズボンもシャツも濡れて肌にこびりつく。さらに気温も下がり寒くなってきた。バス停にいた小学生は唇を震わせ始めたので心配したが、バスは5分遅れで到着。車内が暖かく感じた。
 病院では水が滴り落ちてしまうので、他の患者がいないのを幸いに(むろん受付の方にことわったうえで)ズボンとシャツを脱がしてもらって玄関で絞って水を切った。診察を終えて外を見ると小降りになっていたので、濡れた衣服のまま10ほど歩いて帰宅した。
 シャワーを浴びるついでに運動靴もリュックも洗うことにした。リュックも中まで雨が入って中の書類が濡れたが、大事なものはファイルに入っていて助かった。

 病院へ行く予定が無ければ、講義棟や生協の書籍売り場で時間をつぶす手もあったがちょっと無理をしたと反省している。雷が遠く、突風が吹かなかったからよかったものの、もう少し慎重に行動すべただったかもしれない。
 妻はほぼ同じ時刻にバスの中でこの雨に遭遇したらしい。最寄りのバス停で下車してコンビニで雨のおさまるのを待ったとのこと。私よりも懸命であった。

 帰宅して横浜市の提供するレインアイや雨量データを検索すると、横浜市でも北部、特に港北区と都筑区がひどかったようだ。南部はほとんど降ってといない。雨はごく狭い範囲に限られていた。


ブラームス「弦楽五重奏曲第2番」再び

2015年06月16日 23時24分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ブラームスが5番目の交響曲を構想したものの、日の目を見ることが出来ず、結果としてこの弦楽五重奏曲第2番が出来たといわれているらしい。ブラームスの死の7年前にこの曲を仕上げて作曲の筆を折る決意をしたとも言われている。しかし翌年以降クラリネットの名手リヒャルト・ミュールフェルトと出会い、クラリネット三重奏曲、五重奏曲、クラリネットソナタ2曲の室内楽曲を作曲している。
 交響曲を構想した結果としてこの五重奏曲が出来たのだというのが正しいとして、再度この曲を聴くと、第1、第4楽章は確かに大きな編成の曲のような厚みのある音に聞こえてくる。
 特に第1楽章の出だしなどはオーケストレーションされればなかなか雄大な曲の出だしに聞こえる。ビオラを重用しているので主観的な感想かと思うが、とても音に厚みがあると思う。しかし第2楽章の出だし部分は静かな曲想で、私拙い頭脳ではオーケストレーションされたら冗長に聴こえてしまいそうである。室内楽だから緊張感が持続するのではないかと思ってしまう。第3楽章も同じだ。悲哀に満ちたこのワルツは室内楽で聴くに限る。
 第4楽章は多彩な楽器で聴いてみたい気はする。実は私はこの第4楽章は何か現代の曲に通じるような気分を味わえると思っている。従来のブラームスとはちょっと違う、新しさ、現代の感覚をくすぐられるような気がする。
 後に書かれたクラリネットの4つの室内楽曲の方は以前のブラームスの延長上に聴くことが出来るが、この弦楽五重奏曲第2番はちょっと異質に聴こえるのは私だけだろうか。

病院に行く時間を逸した

2015年06月16日 20時40分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 浅間山の噴火はごく小規模の噴火であったようだ。しかし今後の状況の見極めは必要だと思う。これで終わりということにはならない。6年ぶりの噴火ということであるが、これまでが静か過ぎたのかもしれない。降った灰の分析結果はどうなっているのだろうか。この分析によって噴火の種類がわかるはずである。そして降灰による被害が最小限であった欲しいものである。
 さて午後に組合の会館から横浜までは歩いた。最高気温は25.4℃であったが、湿度が62%もあった。この高い湿度のため、歩いていて汗をたくさんかいた。関内の大通公園では作業着姿のサラリーマン・職人が木陰で昼休みの最中であったが、湿気にウンザリというような姿と表情であった。木陰の風も湿気のためありがたく感じていなかったと思う。
 14時過ぎに自宅にもどり、先ほどまでかかって退職者会の業務を一段落つけた。ブログのアップ、イベントに向けた写真の補正と印刷。
 根を詰めてやっていたら、いつの間にか18時を過ぎていた。眼科に行く時間を逸してしまった。あす水曜日は病院が休みの日、点眼薬が無くなるかもしれない。しかも木曜日に病院に行く時間がとれるだろうか。

浅間山が噴火

2015年06月16日 11時08分16秒 | 天気と自然災害
 ツィッターのNHKのニュースで、「気象庁はきょう午前10時13分、長野と群馬の県境にある浅間山が、「午前9時半ごろ、噴火したもようだ」と発表。浅間山の周辺には雲がかかっているため噴煙や噴石などの様子は確認できませんが、気象庁によりますと周辺で降灰が確認されたとのこと。今後の気象庁や自治体の出す情報に十分注意を。」が流された。
 降灰の報道もあるようだ。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150616/k10010115951000.html


 今月11日は、「浅間山に火口周辺警報(噴火警戒レベル2(火口周辺規制))」を発表していた。【http://www.jma.go.jp/jma/press/1506/11b/asamayama150611.html

ブラームス「弦楽五重奏曲第2番」

2015年06月16日 10時52分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日は月に1度の退職者会の幹事会。朝から役員会などの前段会議を三つこなして、14時から幹事会。いつものとおり35名の幹事の出席率100%。毎回のことながらこの会の活力はすごい。作業日ではないので、隣の会議室に移って恒例の「ワンコイン」(500円)の軽い宴会。25名が参加した。その後近くの馴染みの中華料理店での二次会に付き合って、帰宅がすっかり遅くなってしまった。
 朝からブラームスの弦楽五重奏曲第2番を聴きながら、退職者会の作業をしようとしたが、写真資料のコピーでは残念ながら作業が進まない。もう一度組合会館まで出向いて写真を借り受けなくてはならなくなった。
 曲は第1楽章と第3楽章で打ち切り。午後にもう一度聴き直しながら作業を再開することにせざるを得ない。折角全曲とおして楽しもうと思ったが残念。この曲、かなり意欲的な曲である。新しい試みも盛り込まれているとのこと。
 いま、第3楽章を聴いているが、そういわれれば確かに和音や旋律ではちょっとこれまでとは違うのかな、という気もする。もう少し調べてから取り上げたい気もする。


「西洋美術史入門」(池上英洋)

2015年06月14日 23時43分37秒 | 読書
   

 「西洋美術史入門」(池上英洋、ちくまブリマー新書)読了。
 昨日の色彩論とともにふと入門書が読みたくなった。これまで見聞きしてきたことの再確認のつもりで購入した。
 絵画の社会的背景に力点をおいた記述である。
 どこかで読んだことのある気がしていた。どうも以前に本屋で三分の一近く立ち読みしていたようだ。
 もう一冊同じ著者の「西洋美術史入門〈実践編〉」も購入したので、明日からはこちらを読む予定である。

NHKスペシャル「沖縄戦・全記録」

2015年06月14日 22時11分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほどまでNHKスペシャル「沖縄戦・全記録」を見ていた。知っていたこともほんの少しはあるが、ほとんどが知らなかったことばかり。凄惨なフィルムの向こうに、日本という国家が存続するとすれば、戦争ということを決して匂わせてはいけないという進路を見なくてはいけないのではないか、とあらためて思う。
 再放送は、6月17日(水)前0時10分~1時08分(16日深夜)とのこと。
 「一度戦争が起きれば一人の命のいかに軽いことか。20万人の死者たちが突きつけている」

 戦後70年、戦争に学ばなかった人、敢えて学ぼうとしない人が政治の舞台で主流となっている。


明日からは慌ただしい予感

2015年06月14日 20時03分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は明日開催する月に1度の退職者会幹事会に向けて、報告事項と資料を作成。総会後最初の幹事会でもあり、レジュメ作成にはいろいろと気を遣う。もっとも事務局長ではないので担当するところだけなのでまだ気は楽である。
 流していた音楽は、モーツアルトの「木管のための協奏曲」集。この3曲の中ではクラリネット協奏曲が好みだと思う。合間に「西洋美術史入門」(池上英洋、ちくまブリマー新書)を読んだ。さらに「若冲と蕪村」展の図録もめくってみた。
 こんなことを書くと随分優雅な生活をしたように思われるが、家の中でグダグタしていただけかもしれない。

 国会の動向もある。明日から来週末まではかなりあわただしいスケジュールになる予感。


モーツアルト「木管のための協奏曲」集

2015年06月14日 14時49分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 実に久しぶりにモーツアルトのCDをひっぱり出してきた。ファゴット協奏曲K191、クラリネット協奏曲K622、オーボエ協奏曲K314/285dの3曲。
 購入したのはCDの発売期日からすると1996年以降だが、覚えていない。ファゴットは18歳の時の曲、クラリネット協奏曲は最晩年の曲。オーボエ協奏曲は中期の作というところか、死後130年も経た1920年に発見されたらしい。
 3曲ともうつくしいいかにもモーツアルトらしい曲である。特にクラリネット協奏曲はよく演奏される。
 このモーツアルトのファゴット協奏曲で私はファゴットという楽器の魅力を知った。短くとも印象深い曲である。
 クラリネット協奏曲の第2楽章は「天上の音楽」と言われるそうだが、なるほどと思う。クラリネットという不思議な音色の楽器である。低音、高音と大きく性格の異なる音質である。特に高音の響きというのは他の木管に比べて厚みが少なく聴く耳に緊張を強いるところがある。演奏家にとっては難しい楽器だと思う。これがごく自然に移り行くメロディは他の作曲家のクラリネットの楽曲を引き離して好まれるゆえんであるとおもう。
 ゆったり過ぎるくらいに聴かせてくれるこの演奏は優れもののように思う。
 オーボエ協奏曲はフルート協奏曲との関係がいろいろと云われているが、オーボエらしい高音に私はとても惹かれる。

 なお表紙の花瓶に挿した花の絵はラトゥールの「青と白の花瓶の芍薬」(1872)と記載されているが、有名なジョルジュ・ラ・トゥールとは年代が合わないので別人であるようだ。ネットで検索したがわからなかった。

      

本日読み終わった本

2015年06月13日 21時53分06秒 | 読書
   

 「色彩がわかれば絵画がわかる」(布施英利、光文社新書)を読み終えた。ほとんど別れかけている色彩学を思い出した方が良さそうなので購入してみた。
 明確には覚えていないが、中学3年の頃だったろうか、美術の時間に色彩学の入門のような授業を受けた記憶がある。光と絵の具の三原色、加法・減法混合、色相・明度・彩度、色相環、補色、膨張色・収縮色、暖色・寒色‥などの言葉と概略は一応覚えている。しかし理科、物理の授業では習った記憶はない。物理では光の屈折・反射など基礎的な光学理論は習った。
 色彩学はそれ以来勉強していないので、すっかり忘れていたり、間違った記憶があるのではないか、と思いこの本を購入してみた。
 一応いろいろなことを思い出したり、記憶を訂正したり、初めて聞くこともあったり、楽しく読むことが出来た。

 勉強になったのはゴッホの「烏のいる麦畑」の色彩論的分析。その上に立って「ゴッホは色彩の理論家であった。(ゴッホは)情念の人とか、炎の人という人物像とはずいぶん違ったものに思えないでしょうか。」「(ゴッホは)狂気ではなく、科学者のような理知的な頭脳を持っていると思わずにはいられない」と結論つけている。私にはとても魅力的な指摘だと感じている。
 千利休の茶室「待庵」と曼朱院にあるという「八窓軒茶室」の両者の分析、さらにラファエロの「アテネの学堂」の分析にも惹かれた。




かくれ脱水だったか?

2015年06月13日 12時27分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昨日は湿度は高くなく、ウォーキングで気持ちの良い汗をかいた。しかし昨日は一転して湿度のとても高い一日であった。午前中の講座が11時半に終わり、午後の講座が始まる15時までみなとみらい地区でうろうろ。雨は上がっていたが外のベンチや階段は乾かないため外で食事が出来ない。喫茶店も満杯。ようやく13時半に喫茶店にもぐり込んで、午前中の平家物語の復習と読書にありつけた。
 このころから汗がよくでるようになった。午後の講座中も体を動かしていないのに汗ばんでくる。講座の終わった16時半から家まで歩き始めたが、足が重い。汗は普段ならばかくこともないゆっくりと歩いたが、汗がよく出る。気温は低いのに湿度が高いので、「ひょっとしたらかくれ脱水、熱中症か?」と疑った。
 横浜駅で喫茶店に入って一服。少し元気になって再び歩き始めた。いつも25分かからずに家につくのに30分を越えてしまった。
 シャワーを浴び、汗でぐしょぐしょになった下着を取り換えて横になった。塩飴を嘗めながら黒酢を1杯飲んで休息をしていたら1時間ほどで回復。食欲も出てきた。やはり「かくれ脱水」だったのかもしれない。

 こんなことを体験したので、退職者会のホームページに「熱中症に注意!」の記事を掲載した。

 本日は晴れあがり気持ちのいい日になった。

 体の弱っているオスのセキセイインコは少しは元気になっているようだが、根本的な治療にはなっていない。餌を少し食べるようになった。気温も上がっており、久しぶりにベランダに籠を出して外の景色を見せている。メスの方は相変わらず元気がいい。