Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

酉の市

2016年11月23日 21時30分43秒 | 山行・旅行・散策
        

 本日中に雨から雪になるかと早合点していたようで、雨ないし雪になるのは日付が変わってからということであった。
 夕方から横浜市内では有名な横浜橋商店街の酉の市に妻と出かけた。とくに信心があるわけではないが、あの人混みと熱気あふれるながい屋台の列、そしてそれを照らす電灯の明るさに吸い寄せられるように数年に一度は訪れている。横浜の下町情緒に触れるような気もする。
 昔は屋台で熊手を購入していたが、最近では直接大鷲(おおとり)神社にだいたい30分ほど並んでから境内で簡素な熊手を購入している。
 今年は二の酉までしかないが、二の酉の本日が休日とも重なったため人出は例年よりも多いように感じた。熊手を売る屋台や、食べ物の屋台の写真は撮るゆとりもなく断念した。
 風もなく、寒さも感じることはなく、熊手を購入し、帰りには沖縄料理の店に入って泡盛を飲んでご機嫌になってつい先ほど帰宅。

      

「辻征夫詩集」から その2

2016年11月23日 10時44分39秒 | 読書
 「俳諧辻詩集」から

 慶 州
(慶州城外の
風と埃の街道の
土塀の陰に日ざしを避けて
旅館をさがしに行った友だちを待つうちに
わたくしは眠ってしまったのだろうか
なにか誇り高く風格のあるものが
わたくしの前をとおる気配がして
わたくしは眼を開いた)
蟷螂の肩肘はってとおりけり
杖ついて蟷螂ゆるりと振り向きぬ


 落 葉
落葉降る天に木立はなけれども
(森を歩いたことがあった
七歳だったか八歳だったか
やわらかい腐葉土を踏んで
ここは森だなと思いながら歩いた
パンをちぎって ひとかけらずつ落して行けば
鳥と栗鼠がおおよろこびで巣にはこぶだろう
するとやはり木の枝を
折りながら行かなければもう帰れない
貧しい樵の父母のことを思って
叔母さんのうちのすぐ裏の
鬱蒼とした暗い 森を歩いた
木の葉はたえまなく散っていたが
ありとき散り遅れた幾葉かがあったのだろうか
頭に白髪を置き 子の行末に思い悩みつ
河口近くの道を辿っていたとき
何処かから降りかかり
足もとに乾いた音を立てた木の葉-
童話の森を出てひさしく
生きて来たつもりだったが
半生は
一枚の木の葉が梢で枯れて
足もとに転がるまでの束の間だった)



 多分自作の俳句に( )書きの詩を、思い出風に綴っている。たぶんこれはひとつの試みとして成功しているのであろう。詩については自信はないが、こんな型式は面白い。そして俳句も( )書きの詩も私の好みである。すくなくとも俳句はここに掲げた3句とも単独でも成功している俳句だと思う。
 「慶州」では蟷螂に対して「風格あるもの」と言及しているが、私の解釈では「慶州」という町、あるいは半島の文化総体に対する作者の畏敬の念があると思う。少なくとも風土と風景に親和性をもっていないとこのような句や詩にはならない。「風と埃の街道の/土塀の陰に日ざしを避けて」という表現が、慶州という町全体に対する作者の親和性を描写していると感じた。
 「落葉」では「半生は/一枚の木の葉が梢で枯れて/足もとに転がるまでの束の間だった」にいたる時間の輻輳・捩れをともなった懐古が奇妙であるとともに、不思議な一体感がある。
 森を歩いている時の子どもの時の回想が、いつの間にか「河口近くの道」に場所が転移し、「子の行末」は作者自身の懐古から、作者の子への心配ともとれるような曖昧な表現になって時空が変容している。このような自由で自然な変容が作者の特質なのだろうか。