Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日から師走、とはいえ時間の感覚が‥

2016年11月30日 22時41分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほどようやく帰宅。日付の変わらないうちに帰宅出来た。東京都内で呑むと、そしていつもの仲間と5~6人で呑むと、24時を回るか回らないかということがある。情けない年寄りの集団である。他の客に迷惑はかけていないと思っているが、思っているだけで実際のところは何とも言えない。つい声が大きくなって煩いと思われている可能性は大きい。
 いつものとおり私は横浜駅で降りてからは30数分かけて歩いてきた。それなりに酔いは覚めた。歩きながら500ccのウーロン茶を飲み、家でさらに熱い煎茶を2杯ほど飲んで落ち着いた。お酒を呑んだ後にウーロン茶と煎茶は欠かせない。特に夏に飲む冷えたウーロン茶は喉と食道に心地よい。

 以下、とりとめのない、そしてまとまらない思いをだらだらと‥。

 飲みながら「明日はもう12月、早いもんだな」という感想をみんなが述べていた。私は同意も反論もしなかったが、みんなとはちょっと違った感想を持っている。
 現役の頃は確かに「もう年末、師走だな」という感慨が多かったが、退職後は「もう年末」という気持ちとも、「まだ一年が終わらない」ともちがう。割と自分の脳内の時計、体内時計と物理的な時間の流れに差がない。もう334日経ってしまった、あるいはまだ365日経たないのか、という感慨がわいてこない。この感覚は退職後5回目の年末であるが、あまり変わらない。友人と話をしていても特に相手感覚に異論はない。異論があっても感覚の問題なので議論にはならないので、頷いているだけである。
 生まれて初めて日記をつけるような感覚でこのブログに毎日記事をアップしているからなのか、「仕事」を離れて「責任」がなくなったからなのか、原因はまったくわからない。時間の流れに感想を述べること自体が興味の対象でなくなったのかもしれない。
 気にならないことは、気にしない方がよさそうなので、あえて時間にこだわらずにこれからも息をし続けたいと思っている。
 ただし、正月を迎えると「今年はもう〇〇歳になるのだな」という感想は重く頭に湧いてくる。来年は66歳である。あと何回、意識がはっきりして正月を迎えられるのか、切実になってきた。そういった意味では、正月になるのを厭う気持ちは毎年強くなっている。それが「もう年末」という感慨の根拠なのだろうか。そこらあたりはどうもよくわからない。

本日は外呑み

2016年11月30日 14時59分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日はだいぶ寒いようだ。南西の方向に本の申し訳程度に青空が見えるが、残り98%は厚い雲が空を覆っているように見える。風は弱いものの北風。気温が昼前で12℃未満。昼以降気温は上がっていないと思われる。東京に住んでいると昼間でこの気温はとても寒く感じる。
 これから横浜駅経由で国会まで。17時集合なので、書店と家電量販店を一巡してから駅構内へ。本日は外食。できれば家で食べたいが、遅くなってからの食事はしたくないし、妻にも迷惑がかかるので、断念。ついお酒を飲み過ぎてしまうのが体にも、財布にもよくないことは分っているのだが‥。


「シベリウス・リサイタル#2」(渡邉規久雄)

2016年11月30日 11時53分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 2007年10月の東京文化会館小ホールでのリサイタルの録音盤。#1が2003年であるから、4年後に開催されている。4つの作品集を#1の最後に収録されていた「10の小品」(作品24)の残り5曲が3つ目に収録されている。
 この4つの作品集はどれも変化に富んだ構成で、魅力的である。私は#1よりもこの#2の方が好みである。おのずと聴く回数も多いと思う。
 「10の小品」は#1に含まれているのも合わせて、私には特に優れた作品集に思える。10曲は特に関連はなく、独立して出版されていた曲を集めたらしい。解説にあるとおり第1曲の「即興曲」はシューベルトの「魔王」のような出だしで印象深い。第6曲の「牧歌」がいい。
 最初におさめられている「6つの小品」(作品94)は、リサイタルの始まりにいい曲なのだと思う。第1曲「踊り」、第2曲「ノヴェレッテ」ですぐにピアノの世界に引き込まれる。
 また最後の「5つの特徴的な印象」(作品103)は晩年の作である。ピアノの5つの表情が広がる。ひとつの曲集の最後「悲しみに沈んで」という葬送行進曲風に締めくくられ、リサイタルで最後に持ってきているのは、余韻があって私には感銘深い。