


先日浜名湖を訪れた時、ホテルの傍にある「舘山寺浜名湖美術博物館」という小さな美術館で尾形光琳の「十二カ月花鳥図屏風」という作品を見ることが出来た。収蔵品の図録が300円という安価な音で手に入るのはとても嬉しかった。ちょっと残念なのはこの色彩は実際の作品の色合いとは大きく違う点。こんなにも日焼けしたような茶色くくすんではいなかった。
多分普段はあまり目にする機会はないと思われるので、ありがたい鑑賞時間であった。この作品、12ヶ月の花鳥を描いているが、12ヶ月の構図を同じような構図にしないで、飽きさせないということは画家に求められる力量だと思われる。私が区になったのは、五月牡丹、七月木槿(むくげ)、九月菊の構図が似通っていること。
木を十字に組み合わせた簡素で古くなって倒れそうな垣根にそれぞれが描かれている。よく似た構図である。これは「光琳さん、手抜きかな」とふと笑いがこぼれてしまった。
一月と二月と屏風の折れで向き合う月は見合いとなるように、奇数月は左むきに空間を、偶数月は右向きに空間を持ってきている。多分そのようなことは約束事なのだろうと想像してみた。だが鳥は基本的にはすべて左を向いている。また七月、九月と十一月の三枚は鳥の配置も実によく似ている。
素描ではないし、彩色がしっかりしているように思えるので、大作の下絵でもなさそうである。光琳がどのようないきさつでこの作品を描いたのか分からないが、あまり気張った状況で制作したものではないことが想像される。

他に、谷文晁の作品もあった。私は谷文晁の作品を意識的に見てきたことはないので、この作品がどのように鑑賞していいのか、手掛かりすらない。しかし解説に記載のある、長崎で西洋画を習得した時期以降というのは頷ける。しかしこのように色彩の鮮やかな作品を描いていた画家ということは知らなかった。設色楼閣山水図を見ても色彩感溢れる作品だと思う。
以下に国立天文台普及室長による詳しい記載がある。
⇒【http://bylines.news.yahoo.co.jp/hidehikoagata/20161111-00064335】
★叫びたし寒満月の割れるほど 西武雄
★軒を出て狗寒月に照らされる 藤沢周平
始めの句の作者は「元死刑囚」。無罪を訴え続け、再審の要求もかなえられず1975年6月17日の朝、刑が執行された。享年60歳。
事件の内容と経過について詳しくは⇒【http://ameblo.jp/haiku-de-moemoe/entry-12131049799.html】。是非ご一読を。叫ぶということについて以下のような記載がある。
「ここで気に留めて欲しいのは「叫びたし」と詠んでいることね。決して、本当に「叫んだ」のではありません。より正確に言えば”叫びたいが叫べない”状態と読み取るべきでしょう。大声を上げて叫びたいのに叫べない。それはね、本当に叫び声を上げるよりも遥かに辛く苦しいことなんだよね」
次の藤沢周平の句は作者が色紙を請われると必ず記載していた自慢の句であると聞いた。私は狗と表記されているので、子狗を思い出してしまうのだが、鑑賞としては犬の方がいいらしい。それというのも犬であれば寒さというのがイメージとしてわいてくるのだという。確かに老いた痩せ犬が月夜に歩いて出てきたら、寒さがいっそうつのる。
さて、14日は夕方から飲み会が予定されている。退職者会の幹事会のあとの1300通のメール発送作業の慰労会のようなもの。持ち込みのツマミやお酒で500円(ワンコイン)パーティーである。月の出の時に石川町・関内という低地にいて月を見る場所にたどり着けるだろうか。心もとない。
赤い月、大きく見える月、心の中に描く月、人の気持ちによってさまざまな表情はあろうが、私は爽やかさや、晴れやかさは感じない。いつも何かどろどろとした過去の経験、負の体験、ささやかなことであってももどかしく果たし得なかった事柄などが、怨念のように浮かび上がってくる。ようやく最近はそれらのことを冷静に、回想できる。しかし決して晴れやかにはなれない。それでもそれが浮かび上がってくることから逃げ出そうとは思わない。逃げ出して耳を塞ぎ、目を覆いたくなる衝動が弱くなってきた。歳を重ねるにしたがい、そんな気分になってきた。
月の出の時は18時15分。目の錯覚であるが、空高くある月よりも月の出、月の入りの方が大きく見える。この理由についてはなかなかわかりづらいが、人工物や自然の山などと比べてしまうので大きく見える、という説明がなされる。だが、海の水平線など比較するものが何もない時でも大きく見えるのはなぜか、と問われることが多い。
大気の屈折と反射の影響で月が赤く見えるのだが、赤いと膨張して大きく見えるとも言われる。果たして色彩の影響がそれほど大きく錯覚されるものとなるのであろうか。
⇒【http://bylines.news.yahoo.co.jp/hidehikoagata/20161111-00064335】
★叫びたし寒満月の割れるほど 西武雄
★軒を出て狗寒月に照らされる 藤沢周平
始めの句の作者は「元死刑囚」。無罪を訴え続け、再審の要求もかなえられず1975年6月17日の朝、刑が執行された。享年60歳。
事件の内容と経過について詳しくは⇒【http://ameblo.jp/haiku-de-moemoe/entry-12131049799.html】。是非ご一読を。叫ぶということについて以下のような記載がある。
「ここで気に留めて欲しいのは「叫びたし」と詠んでいることね。決して、本当に「叫んだ」のではありません。より正確に言えば”叫びたいが叫べない”状態と読み取るべきでしょう。大声を上げて叫びたいのに叫べない。それはね、本当に叫び声を上げるよりも遥かに辛く苦しいことなんだよね」
次の藤沢周平の句は作者が色紙を請われると必ず記載していた自慢の句であると聞いた。私は狗と表記されているので、子狗を思い出してしまうのだが、鑑賞としては犬の方がいいらしい。それというのも犬であれば寒さというのがイメージとしてわいてくるのだという。確かに老いた痩せ犬が月夜に歩いて出てきたら、寒さがいっそうつのる。
さて、14日は夕方から飲み会が予定されている。退職者会の幹事会のあとの1300通のメール発送作業の慰労会のようなもの。持ち込みのツマミやお酒で500円(ワンコイン)パーティーである。月の出の時に石川町・関内という低地にいて月を見る場所にたどり着けるだろうか。心もとない。
赤い月、大きく見える月、心の中に描く月、人の気持ちによってさまざまな表情はあろうが、私は爽やかさや、晴れやかさは感じない。いつも何かどろどろとした過去の経験、負の体験、ささやかなことであってももどかしく果たし得なかった事柄などが、怨念のように浮かび上がってくる。ようやく最近はそれらのことを冷静に、回想できる。しかし決して晴れやかにはなれない。それでもそれが浮かび上がってくることから逃げ出そうとは思わない。逃げ出して耳を塞ぎ、目を覆いたくなる衝動が弱くなってきた。歳を重ねるにしたがい、そんな気分になってきた。
月の出の時は18時15分。目の錯覚であるが、空高くある月よりも月の出、月の入りの方が大きく見える。この理由についてはなかなかわかりづらいが、人工物や自然の山などと比べてしまうので大きく見える、という説明がなされる。だが、海の水平線など比較するものが何もない時でも大きく見えるのはなぜか、と問われることが多い。
大気の屈折と反射の影響で月が赤く見えるのだが、赤いと膨張して大きく見えるとも言われる。果たして色彩の影響がそれほど大きく錯覚されるものとなるのであろうか。
昨年の5月に、俵屋宗達・尾形光琳、酒井抱一の3者の風神雷神図を比較して次のように述べた。

私なりに感じたのは、まず第一に宗達に比べて光琳の絵では雲があまりに濃い。濃すぎるのである。黒が強いことで宗達の絵よりもおどろおどろしさを強調しているようではあるが、風神も雷神も目立たなくなってしまっている。それゆえに動きが伝わってこない。二番目には宗達の雷神に比べて光琳の雷神は下に少し降りてきたので風神と雷神が同一の高さになってしまった。このために雷神の下に降りていこうとする動きと、風神の左に横切ろうとする動きが、屏風の真ん中で交差する緊張感が希薄になってしまった。宗達の絵に比べて光琳の絵は、雷神・風神がそれぞれ今いる場所で地団駄を踏んでいるようにすら見えることがある。それは雷神の眼が下方を見ていないで風神を見ているから余計そのように見える。
抱一はこのふたつのマイナスを復元しようとしたのではないだろうか。まず雲がうすくなり宗達のように軽やかな画面に戻った。雷神・風神とも画面の前面に出てきた。また雷神を少しだけ上にあげた。宗達のように太鼓は画面からはみ出るほどではないが、太鼓が上辺ぎりぎりに戻った。風神の右足は光琳では指が上を向いて足を上げる動作だが、抱一では甲が着地の形になり、前方へのベクトルがより強調されている。ただし雷神の眼は光琳と同じく風神を見つめたままである。だから雷神の下方への動きはそれほど復元はしていない。とはいっても宗達の絵のように雷神が風神を無視するように下を向いているのもおかしいものがある。
このように見ると抱一は、光琳が宗達の絵を装飾的に変えたものを、躍動感を戻そうとしたように見える。
抱一は光琳を尊敬していたが、江戸時代後期という時代の精神の中で光琳を越えようとしてもがいていたと私は感じている。光琳を尊敬しあこがれていただけの模写ではなかったと思える。私はそのもがいた形跡が好きである。一見静かな眼を思わせるがその実、夏秋草図からは激しいエネルギーを感ずることがある。それは光琳の風神雷神図屏風の裏に描いたという行為からうかがえるのではないか。

さて、鈴木其一の風神雷神図襖を今回の「鈴木其一」展で見ていていくつか気がついたことを記してみたい。
まず屏風に貼られていた金箔は襖にはなく、地は白っぽい。
次に横8面の襖絵であるので、両者の目の距離が非常に離れている。これまでは目で比べると屏風2枚分離れているだけであったのに比べると、襖で約5枚分離れている。
また、風神も雷神も身につけているヒレようのものが、それぞれ横に長くたなびている。体も、特に雷神はこれまでの先行した3作品に比べて横に長い姿態である。
また視線は、抱一のように雷神の眼は襖の真ん中の鑑賞者を見ている。雷神は風神を睨んでいる。そして雷神の方へと移動している。雷神はその場で踊っているか、あるいは下降のベクトルを持っている。
両者が乗っている雲はこれまで以上に存在感がある。風神は左足が雲の中に隠れている。あたかも風神が黒い雲の中から出てきたような雰囲気である。また風神の方の雲は、岩にぶつかって砕け散る波のような形状で描かれている。風神の起こす風に煽られている雲である。
風神の雲に比べて雷神の雲の方がわずかに濃い。しかし波のように表現はなく、こちらの雲は動きがない。太鼓の音の強弱に沿っているかのように雲の塊がリズミカルに配置され、それが中央へたなびいている。
雷神の筋肉は抱一の作品よりもさらに隆々として誇張している。特に両腕の筋肉の盛り上がりを示す線は異様なほどで、両足よりも太い。風神の筋肉はあまり抱一とあまり変化はない。彩色では地が金泊が施されていない分、風神の緑色がうすくなっているがそれがかえって風神を浮かび上がらせている。これは成功しているのではないだろうか。
このようにして風神と雷神を比べていくと、其一の作品は抱一の作品を基本的に踏襲している。しかし師の風神雷神図屏風の何らかの発展形とはなっていない。また雲に工夫があるものの、風神・雷神の関係そのものに広い襖にしたことによる新機軸は提出されていないように見える。
襖という左右に広い空間を使って、それでもなお緊張感を持った風神雷神図が出来上がったとは言えない。風神・雷神がより鮮明になり、雲の処理が進展しより動きが感じられると思ったが、それ以上の革新的な変化は起きていない。多分其一はこの作品をもって師である酒井抱一への鎮魂としたのかもしれない、と思った。
もっとよく観察比較すれば、あるいは新しい視点があれば、もっと踏み込んだ感想になったかもしれないが、今の私にはこれが限界だと思う。
ひょっとしたら鈴木其一という人は、動きよりも静的な配置でよりその真価を発揮したともいえる。夏秋渓流図屏風のようにわずか数枚の桜紅葉の葉の落下で秋の深まりを匂わしている。このような微妙な動き・繊細な動きに其一の存在が浮かび上がるのではないだろうか。

私なりに感じたのは、まず第一に宗達に比べて光琳の絵では雲があまりに濃い。濃すぎるのである。黒が強いことで宗達の絵よりもおどろおどろしさを強調しているようではあるが、風神も雷神も目立たなくなってしまっている。それゆえに動きが伝わってこない。二番目には宗達の雷神に比べて光琳の雷神は下に少し降りてきたので風神と雷神が同一の高さになってしまった。このために雷神の下に降りていこうとする動きと、風神の左に横切ろうとする動きが、屏風の真ん中で交差する緊張感が希薄になってしまった。宗達の絵に比べて光琳の絵は、雷神・風神がそれぞれ今いる場所で地団駄を踏んでいるようにすら見えることがある。それは雷神の眼が下方を見ていないで風神を見ているから余計そのように見える。
抱一はこのふたつのマイナスを復元しようとしたのではないだろうか。まず雲がうすくなり宗達のように軽やかな画面に戻った。雷神・風神とも画面の前面に出てきた。また雷神を少しだけ上にあげた。宗達のように太鼓は画面からはみ出るほどではないが、太鼓が上辺ぎりぎりに戻った。風神の右足は光琳では指が上を向いて足を上げる動作だが、抱一では甲が着地の形になり、前方へのベクトルがより強調されている。ただし雷神の眼は光琳と同じく風神を見つめたままである。だから雷神の下方への動きはそれほど復元はしていない。とはいっても宗達の絵のように雷神が風神を無視するように下を向いているのもおかしいものがある。
このように見ると抱一は、光琳が宗達の絵を装飾的に変えたものを、躍動感を戻そうとしたように見える。
抱一は光琳を尊敬していたが、江戸時代後期という時代の精神の中で光琳を越えようとしてもがいていたと私は感じている。光琳を尊敬しあこがれていただけの模写ではなかったと思える。私はそのもがいた形跡が好きである。一見静かな眼を思わせるがその実、夏秋草図からは激しいエネルギーを感ずることがある。それは光琳の風神雷神図屏風の裏に描いたという行為からうかがえるのではないか。

さて、鈴木其一の風神雷神図襖を今回の「鈴木其一」展で見ていていくつか気がついたことを記してみたい。
まず屏風に貼られていた金箔は襖にはなく、地は白っぽい。
次に横8面の襖絵であるので、両者の目の距離が非常に離れている。これまでは目で比べると屏風2枚分離れているだけであったのに比べると、襖で約5枚分離れている。
また、風神も雷神も身につけているヒレようのものが、それぞれ横に長くたなびている。体も、特に雷神はこれまでの先行した3作品に比べて横に長い姿態である。
また視線は、抱一のように雷神の眼は襖の真ん中の鑑賞者を見ている。雷神は風神を睨んでいる。そして雷神の方へと移動している。雷神はその場で踊っているか、あるいは下降のベクトルを持っている。
両者が乗っている雲はこれまで以上に存在感がある。風神は左足が雲の中に隠れている。あたかも風神が黒い雲の中から出てきたような雰囲気である。また風神の方の雲は、岩にぶつかって砕け散る波のような形状で描かれている。風神の起こす風に煽られている雲である。
風神の雲に比べて雷神の雲の方がわずかに濃い。しかし波のように表現はなく、こちらの雲は動きがない。太鼓の音の強弱に沿っているかのように雲の塊がリズミカルに配置され、それが中央へたなびいている。
雷神の筋肉は抱一の作品よりもさらに隆々として誇張している。特に両腕の筋肉の盛り上がりを示す線は異様なほどで、両足よりも太い。風神の筋肉はあまり抱一とあまり変化はない。彩色では地が金泊が施されていない分、風神の緑色がうすくなっているがそれがかえって風神を浮かび上がらせている。これは成功しているのではないだろうか。
このようにして風神と雷神を比べていくと、其一の作品は抱一の作品を基本的に踏襲している。しかし師の風神雷神図屏風の何らかの発展形とはなっていない。また雲に工夫があるものの、風神・雷神の関係そのものに広い襖にしたことによる新機軸は提出されていないように見える。
襖という左右に広い空間を使って、それでもなお緊張感を持った風神雷神図が出来上がったとは言えない。風神・雷神がより鮮明になり、雲の処理が進展しより動きが感じられると思ったが、それ以上の革新的な変化は起きていない。多分其一はこの作品をもって師である酒井抱一への鎮魂としたのかもしれない、と思った。
もっとよく観察比較すれば、あるいは新しい視点があれば、もっと踏み込んだ感想になったかもしれないが、今の私にはこれが限界だと思う。
ひょっとしたら鈴木其一という人は、動きよりも静的な配置でよりその真価を発揮したともいえる。夏秋渓流図屏風のようにわずか数枚の桜紅葉の葉の落下で秋の深まりを匂わしている。このような微妙な動き・繊細な動きに其一の存在が浮かび上がるのではないだろうか。