11月11日に豊橋市美術博物館で「NIHON画-新たな地平を求めて-」展を見てきた。たまたま行った出張先で見ることが出来てさいわいであった。
展示は
第1章 戦後日本画の展開-自然・心象・抽象
第2章 革新の諸相-表現と素材
第3章 強度日本画画家の動向
第4章 「日本画」-“越境”の時代から
の4つのコーナーに分けられている。
第1章ではいわゆる「大家」の作品が並ぶ。「雨」(福田平八郎)、「樹根」(東山魁夷)、「夜」(高山辰雄)、「黒い鳥」(加山又造)、「黒いとばり」(工藤甲人)、「山湖」(片岡球子)、「浄夜」(近藤弘明)、「入涅槃幻想」(平山郁夫)、「ガンガ―(ガンジス河)」(秋野不矩)、「交響」(堂本印象)‥‥。この第1章で初めて目にした作品で、印象に残ったのは「寂漠」(山本丘人)と「仮象」(杉山寧)の2作品。
「寂漠」についてはこのような荒涼として寂しい心象風景に私はまずは惹かれる。このような暗い風景を前にすると自然に自分の心が空気の中に解体していくような気分になる。それがどのような画家であろうが、まず惹かれてしまう。理屈はない。
「仮象」はじっと見ていると深夜の街灯をみているような気分になった。杉山寧の筆致はあまり好みではないが、このような作品には惹かれる。
堂本印象の「交響」、工藤甲人「黒いとばり」も良かった。3度目の福田平八郎の「雨」にはどこか惹かれるものがある。
第2章では「裸木」(上田臥牛)、「原爆の図 夜」(丸木位里・俊)、「水芭蕉曼荼羅」(佐藤多持)が印象に残った。「裸木」「水芭蕉曼荼羅」は初めて目にした。特に「裸木」はいつも印象に残る。
第3章では特に惹かれた作品がなかったが、第4章の「道」(土屋禮一)、「PS-9002」(諏訪直樹)、「起源の起源」(三瀬夏之助)は印象深かった。
ことに「道」(土屋禮一)は東山魁夷の作品「樹根」が展示されていた関係で東山魁夷の「道」を思い出しながら比べてみた。確かに東山魁夷の方が作品の完成度は高いかもしれないが、わたしとしてはこちらの荒々しさを内に秘めたような作品に大いに惹かれた。東山魁夷の「道」は私にはあまりにきれいすぎる。若さや持て余した情念などが感じられない。若さが迫って来るほどに作者の内部の情念のようなものを感じる。確かにもっと描きこむものをすっきりと捨象してもいいかもしれない、とは思うがこのような粗削りは総会でもある。土屋禮一という画家は初めて耳にする方なのでこの後、どのような作品世界を構築したかはまったくわからない。
「PS-9002」(諏訪直樹)は屏風絵である。鋭角で鋭い輪郭をと角を持つ方形と、なだらかな円で基本的な構図を作っているが、その上に一見乱雑に塗られた、しかし計算しつくしたような配置の白の形体が私には印象深かった。二つの指向が葛藤して、ひとつの紋様に昇華せずに混在させていることが私にはできない思考方法だと感じた。
チラシの表面に使われた「起源の起源」(三瀬夏之助)は東北の地の習俗の底に降り立とうとする強い意志と、混沌を全身で引き受けるような情念としか言いようのない何ものかを感じた。作者は2009年から東北の地で「東北画は可能か」という活動を始めたという。右側に如来像の頭部と目のような造詣が浮かんでいる。この画家の作品を器械があればさらに鑑賞してみたいと思った。
その外には「帰還XXⅠ」(山本直彦)にも惹かれた。