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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日も寒い予報

2016年11月24日 22時50分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 私のる団地では11時ころには雪に雨が再び混じり始めた。雪は小降りになり、団地の中の道路の雪もほぼ融けた。雪かきをしないで済んだ。雪と雨が小降りとなった時点で、所用があったので妻と横浜駅まで出かけた。丘を下り、谷沿いの幹線道路にでるともう雪は降っていない。道路にも屋根にも雪は残っていなかった。団地と向かい合わせの小高い岡の上では屋根に雪が残っている。たかだか標高差30メートルでも谷沿いと山の斜面で雪の状態にずいぶんと差が出るものである。
 横浜の中心部の横浜駅周辺や関内・石川町付近は埋立て地で標高が低い。本日の雪も横浜では積雪とはならなかったらしい。横浜でも北部方面では数センチの積雪にはなったと思われる。
 気温が上がらず寒い1日であったが、今も寒い。明日の明け方の予想最低気温は横浜で2℃。寒い上に路面は凍結するのは間違いなさそうである。
朝、セキセイインコの世話をするために籠をベランダに出した途端にセキセイインコは羽を膨らませて寒さをしのごうとした。熱帯地方の鳥だけに本日の寒さはやはり驚いたようだ。陽が当たっていれば多少寒くてもそのようなことはしないのだが、余程寒く感じたのだろう。掃除を餌の取り換えを素早くすませてすぐに部屋に戻してやった。

 夜に「辻征夫詩集」をとりあえず読了。
 
 さて明日は午後から本郷台駅傍のアースプラザで講座がある。


「辻征夫詩集」から その3

2016年11月24日 20時28分47秒 | 読書
 「遠い花火」という詩がある。『ボートを漕ぐおばさんの肖像』(1992)という詩集におさめられている。
 その冒頭に

唇には歌でもいいが
こころには そうだな
爆弾の一個くらいはもっていたいな


 また『萌えいづる若葉に対峙して』(1998)という詩集に「ワイキキのシューティングクラブ」という散文詩がある。その最後の方に

私は両手で銃を銃を持ち、一発々々に思いを込めて数十発撃ったが、それでもなお胸に残るうち足りない思い、あの列島での日々を思うたびにこみあげてくるもの、この思いのたるめに私はさらに新しい詩集を出そうと思った。

 という一節がある。

 谷川俊太郎は「辻さんの言葉を頼りに」の中で、「二〇世紀の日本という国で、穏やかな家庭生活を送りながらも<労働>と<詩>の相克を生きたわけですが、時代と社会の圧力に苦しみつつ、辻さんは個人にひそむ<業>とでもいうべきものを無視する人ではなかった、と私は思います。辻さんは趣味や、スポーツや、賭け事に気を紛らわすことのできない人でした。」あるい、「爆弾は爆発すると<ぼくがいなくなってしまう>ほど強力な爆弾です。でも爆弾を抱えて生きることが、詩の原動力にもなっていた。辻さんは実生活とバランスを取りながら、その<高貴な現実>を繊細で優雅な詩に変換していきました」と記している。

 「爆弾を持つ」ことや「両手で銃を持ち、数十発撃つ」ことが、「実生活とのバランスを取りながら詩に変換していく」、ということが詩に現われた意味合いとは別の意味合いで、私にはかなり現実的な比喩である。
 多分私にとってはそれらはあまりに「現実的」過ぎる比喩である。「爆弾を持つ」「銃を撃つ」という行為が、私には現実の生活ではまったく対極にあり、無関係ではあったものの、「ひょっとしたら」という時代を経て来たことが、生々しく私の頭の中をよぎる。
 私にとっては極めて遠い世界であると同時に、「無関係」といってすましてしまうことなどできない時代を通り抜けてきた。
 そのことをとおして私は「家族」を持ち、「職場の仲間」を持ち、そして40数年のしがらみにがんじがらめとなった人生を送ることが出来た。この「関係の絶対性」がなければ、人生のバランスは大きく対極に傾いたかもしれない。
 そんな微妙な60数年の人生をどこかで揺さぶっている詩が、この詩集にはおさめられている。そんな感想を記しておきたい。

バッハ「ゴールドベルク変奏曲」(キース・ジャレット)

2016年11月24日 12時57分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日のCDはバッハ「ゴールドベルク変奏曲」のキース・ジャレット盤。録音は1989年。
 グレン・グールド盤と違うのは、ピアノではなくハープシコード(1988年製)を使っていること。
 私はこのキース・ジャレット盤で初めて「ゴールドベルク変奏曲」を聴いたと記憶している。いつ購入したか忘れたが、多分ブログで紹介されて購入したと思う。10年もたっていないような気がする。
 この曲はやはりハープシコードの音の方がずっといいと思う。グレン・グールドのピアノの演奏は決して標準的な響きではないといわれるので、一般化してピアノの演奏にこの曲はなじまない、と断定はしてはいけないが、やはりハープシコードにふさわしい曲だと思う。もっともキース・ジャレットのハープシコードも決して標準的な演奏ではない、という意見もある。
 主題のアリアの出だしを聴いた瞬間に、こちらはホッとする。グレン・グールドのピアノは緊張を強いられながら聴いている苦痛がどこかにある。それがいい意味での緊張感という人もあるが、「カイザーリンク伯爵の不眠症をいやすための曲」という意味では、こちらの方が気分をリラックスさせてくれることは間違いがない。それはピアノとハープシコードという楽器の差であると同時に、演奏家のスタイルに起因もしていると思う。
 

明日は雪の予報

2016年11月24日 10時56分52秒 | 天気と自然災害
      

 私の住んでいる団地では22時ころから雨が降り始めた。気温もかなり低いようで窓ガラスの結露はかなり広い。
 ウェザーニュース社の明日の朝の雪の様子だと横浜市内はかなり広範囲に雪が降るようだ。しかし市の中心部の雪は微妙である。
 団地の中の雪かきが必要かもしれない。早めに就寝としよう。