Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ひとりで横浜駅地下街を歩く

2018年09月27日 20時20分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 雨がほとんど止んだこともあり、本日はストックなしで妻の所用に付き合って、近くの私鉄の駅まで。昼食にはうどんとコーヒータイム。買い物ののち、思い切って一人で横浜駅まで電車で行ってみた。地下街を特に目的もなくゆっくりと一回り。ついでに地上の繁華街も少しだけ歩いてみた。
 帰りはいちばんあるかないで済むバスにて帰宅。やはり随分疲れた。帰宅後1時間半ほど睡眠。バスを待つ間と社内では「尾崎放哉句集」(岩波文庫)の解説と初期の句を少々。

 「時間」というキーワードとして句に目をとおしてみた。放哉の句が自覚的に「時」を繰り込もうとした形跡はないが、その視点から見るのも面白いかと思った。他の俳人の句もそのような視点で見るのもいいのだが、なぜか今回思いついた。それをキーワードに何か私にとっていい視点が確保できるかもしれない。あるいはまったく無駄なことなのかもしれない。

 帰宅して見たら岩波書店の「図書10月号」が届いていた。新書刊行80年記念の「はじめての新書」も同封されていたが、これはパス。「10月号」は早めに目をとおす予定。

読書予定

2018年09月27日 10時05分59秒 | 読書
 横浜市域には昨日からずっと大雨・強風注意報が出ている。深夜にはいったん雨があがり、現在は私の住んでいる地域では1ミリ未満の雨が降っている。当初の予報よりは雨は強くない。

 午前中に妻の所用があり近くの私鉄の駅まで。私も一緒に出掛ける。歩くことと人の多いところに慣れる練習である。頭の回転も入院時の時間の進行速度から現実の時間の流れに合わせるようにしなくてはいけない。退職者会のスケジュールや団地の管理組合の課題を頭の中へ再度インプットしておく必要がある。少し時間はかかるかもしれないが、慌てて齟齬をきたさないようにしたい。

 吉田秀和の「セザンヌ物語」はもう少したってから再開予定。今はあの小さな文字と文章はなかなか読み進めるのが難しい。
 本棚の未読の棚を物色していたら、「迷路」(野上弥生子、岩波文庫)と「背教者ユリアヌス」(辻邦生、中公文庫)、「官能美術史」(池上英洋、ちくま学芸文庫)が目に入ったものの、やはり字が小さすぎて今は無理。「官能美術史」は文庫版だけに字ばかりか図版も小さく、やはり今は無理。

 俳句の棚に「尾崎放哉句集」が岩波文庫と春陽堂放哉文庫の2冊があった。自由律の句はあまり読む機会がないので、これを読んでみることにした。字の大きさが気に入った。

富士山の初冠雪

2018年09月26日 23時33分36秒 | 天気と自然災害
横浜では大雨・強風注意報が発令されている。強風注意報は本日の4時から、大雨注意報は10時から。今は20ミリの雨が長時間やむことなく降り続いている。

明日も降り続くらしい。そして明日は本日よりも気温は下がるとのこと。本日19.6℃、明日の予報は19℃。冨士山が今年の初冠雪。

雨の音を聞きながら、就寝。

劣化した政治に追従する愚‥

2018年09月26日 20時48分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 新潮社は「新潮45」ですっかり味噌をつけ、謝罪にならない謝罪で「休刊」を宣言し、さらに悪評を自ら招いた。あまりに情けないものがある。だが、新潮文庫も、先ほど読んでいた「古典集成」もなくなっては困るものばかり、これ以上自ら悪評を吐き散らしてさらに自らを落し込めることはみっともない。

 人を一方的に傷つけておいて、無責任に放り出して廃業などということでは困る。

 確かに「古典集成」などではもうけは出ず、赤字であろう。しかし値段はどんどん高くなっているが、それなりに手軽に、そして持ち運び易いこの「集成」は私にはとてもありがたいものである。出版事業でこれだけのものを出した以上は当初のその出版に対する理念や熱意はなんとか継続してほしいと思う。その為にはあの雑誌の発行や、あの「休刊」に至る経過、意思表示は足枷である。

 私はあの「休刊」となった雑誌は手に取ったこともないが、政治家に利用されることや、人を傷つけることで販売数を増やすなどというど素人のトンデモな経営判断など恥ずかしい限りである。

 劣化した政治に追従する出版社、これでは出版文化もまたおおいに劣化することを免れない。社会全体の劣化に歯止めをかける出版事業であって欲しい。


新古今和歌集から

2018年09月26日 17時07分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 午後から本降りの横浜。朝からずっとボーっとしていた。本棚から新潮日本古典集成の「新古今和歌集上」をひっぱり出して、秋歌上をパラパラとベッドでめくってみた。

★ひとよりも 心のかぎり ながめつる 月はたれとも わかじものゆゑ
                  秋歌上 384 堀河右大臣

・月は誰にも分け隔てなく照らしてくれる。だがしかし見る方の私は人よりも心を尽くして月を見つめ、心が掻きむしられるほど物を想っている。

 訳にはなっていないが、大意はこのあたりだと思う。学生時代、この歌を読んで平安末期・鎌倉初期の時代の支配層の人びとの月に対する思いはここら辺にあるのかと思った。今も私の理解は変らない。
 それから発して、自分の心によって月に雲がかかるようになる、というところまでになるようだ。これは少し飛躍しすぎるとは思うが、20歳の私にはとても魅力的な思い付きだと感じた。

★憂き身には ながむるかひも なかりけり 心にくもる 秋の夜の月
                  秋歌上 404 前大僧正慈円

・こんなわが身の状態で見る月を見つめるのはつらい。私の心によって曇って見えるので。

 政争によって浮き沈みの激しかった慈円は、政治の表舞台の政治家以上にその僧としての地位が揺らいだ。不死鳥のように復活し模したであろう。生身の政治家以上の政治家であったと思われる。
 現代のわれわれにしたら、自分の気持ちで月が雲に隠れたり、雲から顔を出すなどという人間の思い上がりも甚だしいのだが、当時の人びとにとっては人の心と自然のあり様はどこかで綱かっていた。

★たのめたる 人はなけれど 秋の夜は 月見で寝(ね)べき ここちこそせね
                  秋歌上 408 和泉式部

・訪れると言って寄こした人はいないけれど、秋の夜は月を見ないで寝てしまいことなどできない。

★宵のまに さても寝(ね)ぬべき 月ならば 山の端近き ものは思はじ
                  秋歌上 416 式子内親王

・宵のうちに寝てしまえるような月なら、西の山に沈んでしまうのを惜しんで嘆くようなことにはならない。

 この二人の女性歌人が「月」になぞらえているのは、むろん思い人、通ってくる男であると想像することはたやすい。秋の歌におさめ理のではなく恋歌に納めるのが相応しいようだ。

体力と回復力の低下

2018年09月26日 10時21分39秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日は歩数計で約6600歩を記録した。ただし、杖を突きながら歩幅も小さくユックリ歩き、ふだんは1000歩ほどの距離を1800歩ほどもカウントした。これまでの歩数に換算すると3700歩ほどしか歩いていない。荷物ははじめはごく軽いリュック、横浜駅からバスに乗った時に分担した荷物は2キロ程の買い物袋。

 帰宅した直後は特に疲労感はなかった。ところが夜になって脹脛と両肩の筋肉に疲労感と若干の痛み。運動ののちの心地よい疲労感ではなく、微熱の出たときのだるさに近かった。慌てて体温を測ったのだが、36.3℃と平熱であった。用心して風呂・シャワーは止めて早めに就寝。明け方に寝汗をかいた形跡はなかったことに安堵。
 久しぶりに横浜駅界隈の人混みの中を歩いたための疲労感だったのだろうか。病院内を歩くよりも数倍は精神的にも肉体的にも疲れたのであろう、と推察している。

 この歳で3週間近く入院をしていると、体力が元に戻るのはなかなか難しいようだ。50歳の頃に1週間40℃を越す発熱に疲労困憊し、さらに3週間と少し入院したのだが、杖をついて歩いたのは2週間、その閑数千歩歩いて体力の回復を図った。3週間目には職場にもどり毎日1万歩近くは歩いていた。
 あれから17年、残念ながらその頃に比べて回復力と体力は確実に低下している。本日は終日雨の予報でもあり、何か心持ちせかされるものもあるが、我慢して家で静かにしていようと思う。

★萩の風何かに急かるる何ならむ      水原秋桜子

 風に揺れる萩、何かに追い立てられるような心持ちになり、心の一隅がざわめく。秋櫻子還暦直前の句であるらしい。還暦になっても何かまだ達成感が湧かない自身の句の世界に対する苛立ちなのだろうか。焦燥感というのは、具体的な目標やめざすものが明確なものがない時に生まれる。具体化したものに対する未達成感よりも、何かもやもやして進路も分からないときの焦燥感というものは胸を掻きむしられるようなものである。特に自分で旗を大きく立てたものほど、焦燥感は強いのではないか。だが、秋の萩ならではの感慨でもある。春のユキヤナギではこの感慨は結びついてこない。
 体がついていかない、回復後の世界がうまく想定できないという時の焦り、焦燥感というのは倍加する。

無月・月の雨

2018年09月25日 22時32分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 旧暦8月15日の名月が曇って見えない状態を無月、雨が降って月が見られないときに月の雨・雨月という。通常は使わない言葉なので、私はあまり好まない季語である。しかし気分はなんとなくわかる。冴えわたる月や雲に見え隠れする月を詠むことが多かった和歌の世界から、全く見えない月の状態や雨で月が隠れてしまった情景に、情緒や感慨を見つけた世界は当初は斬新だったのであろう。

★街灯の丸く光りし無月かな      宗廣貞芳
★高層の明かりに人影月の雨      庄司 猛


 秋晴れという言葉があり、秋は晴れわたった日が多いと思われがちだが、雨の日が多いのが実際である。街頭や信号が湿気や水分を多く含んだ空気によってボーっと丸く見える。ふとそれが月と思ってしまうこともある。
 また高層ビルの下をとおるときにふと、高いオフィスビルの窓に人の気配を感じると、なにがしかのドラマを感じることもある。それは秋の名月ならではの印象ではないだろうか。


本日は満月だが‥

2018年09月25日 19時57分20秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は満月だが、あいにくの雨模様。厚い雲に遮られて月を見ることなどできない。そこで西行の山家集をめくって、月の歌を読んでみた。実に十数年ぶりにめくってみた。

★なにごとも変わりのみゆく世の中に同じ影にてすめる月かな     西行
「社会のすべてが今迄とは変わってゆく無常の世界だが、月は昔と変らず同じ光に澄んでいる」

 むろん「なにごとも」には人間社会の仕組みや人の盛衰だけでなく、西行自身の人生の変化もむくまれているであろう。もののふとして宮仕えしていた時の自分と、出家後の西行の心の変化、政治にかかわった様々な人々の盛衰、あらゆるものが変化しているとの感慨として読んで間違いではないと思う。
 人が内省的になるには、寄って立つ何かの定点が必要である。定点は、しかしあまりにこの定点を固定的に考えると天動説に固執するあまり、物差しの不具合に眼をつむってしまうこともある。みずからの基準=定点もまた相対的に、変化するものとして見極めながら、自分の周囲と時間軸を見極めたいと思う。

 特段優れた自然詠でも、心境を詠った歌でもないが、月が内省的であることに極めて自覚で着であった西行ならではの歌と感じている。

本日の診察結果

2018年09月25日 15時35分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 病院に向かった8時半ごろは曇り空であった。採血と診察終了後会計を済ませて外に出たら弱い雨が降り始めていた。妻と横浜駅で待ち合わせて、昼食後の買い物は杖を突きながらゆっくりと歩いた。
 バスに乗ろうとしたら外は強い雨。大雨・洪水・雷注意報が出ていた。軽いとはいえ買い物の袋を持って傘をさし、杖を突くというのは面倒であった。杖は短く畳んでリュックへ。だが、強い雨のため運動靴には水が入り込み、靴下はビショビショになってしまった。

 診察の結果は、経過良好とのこと。ワーファリンの効き方も一応想定範囲内であった。念のため1割ほど量を減らすことになった。1錠を半分に分割して服用、という指示である。ちょいと面倒。ただし錠剤には半分に割りやすいように線が刻まれていた。
 次回は来週月曜日。短い間隔でに様子を見るようだ。

 杖は用心のために外に出るときに利用するつもりであった。たが、杖はなくともフラフラしたり、つまづいたりすることはなかった。あと2~3日で杖は使わないようにしようかと思った。

中秋の名月

2018年09月24日 22時18分22秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は旧暦8月15日、中秋の名月。本日は十五夜だが、満月は明日。十五夜と満月が一致するは50%以下とのこと。
 横浜では雨ないし曇り空か、と予報されたものの、晴間に月が美しい。この時間になってごく薄い雲が空を覆っているが、月はその雲を胃に会することなく姿を巣せてくれている。

★名月や故郷遠き影法師     夏目漱石

1895(M28)年の作であるから、漱石が東京から逃れるように松山中学校に英語教師として赴任し、正岡子規を知り、俳句を始めた頃の作品。極度に精神的に追い詰められた状況となった東京での生活から「故郷」は東京を指すと思われる。影法師は漱石自身の影と解釈したい。名月に照らされながら松山市内を歩いているのであろう。満月の照らされた俯き加減の漱石の影が、その後の漱石の足跡の厳しさを予感させる。東京という故郷を懐かしむ、という心境とはいえない状況である。故郷を想う、とはこれまでの生き方、松山に来た由来など自身の生の軌跡を噛み締める心境なのだろう。
 中秋の名月には、見る人の心を照らし出し、そして人を内省的にする力がある。

本調子にはまだまだ‥

2018年09月24日 19時09分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前・午後とパソコン上で作業。スケジュール帳の更新のほか住所録の最終整理などをした。しかしやはり目がそれなりに着かれる。入院中はスマホでブログを更新していたので、小さな画面を見続けるのはつらかった。しかし大画面のパソコンでもやはり目は疲れる。疲れ方がちょっと違うようだ。スマホでは地も小さいのでそれを見るために緊張を強いられるのだが、大画面では視線の移動で疲れるようだ。字はそれなりにおおきいのだが、22インチの画面を下から上に、右から左に自在に動かすとやはりそれで疲れる。画面も大きい分、明るい刺激が広範囲に及ぶこともあるのだろうか。
 15時になったらとても眠くなり、2時間ほど寝てしまった。

 本日もお粥にしてもらった。鮭の昆布巻き、見た目以上にボリュームがあり、満足。妻はワインをごく小さなコップで70ccほど、私は烏龍茶で済ませた。

 明日は朝から本降りの雨らしい。しかも病院で採血と診断の予約は9時。行くときはタクシーを頼むことにした。帰りはバスの予定。具合が良ければ、久しぶりにバスを2本使って横浜駅経由で帰ってみたい。

スケジュール帳の更新

2018年09月24日 13時53分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 少しずついつもの作業を開始。本日はスケジュール帳の整理。入院直前からスケジュール帳の更新が滞っていたので、8月下旬から入院中までの経過と、10月初めまでの予定を記入。

 スケジュール帳を更新したり、予定を書きこむことで、日常の生活が少しずつ戻ってくるような気分になる。そうはいってもまだいつもの1割程度の状況。頭と体の反応が一致しない。歳をとると非日常から日常に戻るのも時間がかかる。いったん脱線すると復旧に時間がかかる。

 本日の昼食はお粥を作ってもらった。一昨日の秋刀魚の竜田揚げの残りと厚揚げをおかずにした。普通のご飯よりもお粥のほうが胃に負担を掛けないようだ。未だ腹部を抑えると痛みが残っている。無理は出来ない。お酒もまだ飲まないほうがよいと思われる。


秋の雲

2018年09月23日 23時53分17秒 | 俳句・短歌・詩等関連


 空はすっかり秋の雲であった。夕方近くの店に出かけたときにスマホで撮影してみた。もっと明るいうちに撮影すればよかったのだが、昼食時に出かけたときは空を見上げるゆとりはなかった。ストックをつきながら足もとばかりを見て歩いた。
 夕方日が沈んでから出かけたときは、少し休んだときに空を見上げるだけの気持ちのゆとりができた。それでも2度ほど、ちいさな段差に足を取られそうになった。そして10分も歩くと左膝が少しガクガクになる。
 入院するまでは、1時間ほど歩き続けると少し違和感があったりすることが度々であったところであるが、こんな短い時間で違和感を感じた。歳をとると筋肉の衰えは早いものである。

★ねばりなき空にはしるや秋の雲    内藤丈草
★妻がゐて子がゐて孤独いわし雲    安住 敦
★旅をしてみたく膝抱き鰯雲      高田風人子


 第1句、「ねばりなき」とは言い得て妙な表現である。夏の入道雲とは違う。あの入道雲のような大きな塊は空の粘性に由来するのであろう。それに比べて秋の空は爽やかで、さらっとした感触、見ている人間もまたこだわりなく、飄々と見ているのであろう。秋の雲は小さな塊が続き、遠くの方では長く糸をひくように、かつ線を引いたように伸びている。
 まさか雲が水蒸気であるとは丈草は知らなかったと思うが、この感性には脱帽。
 第2句、第3句、夏の間の身近で濃密な人間関係に浸かれ、ふと孤独を欲しがる。あるいは疲労が孤独を求める。人間、回生のためには孤独と、人間関係から自由に成れたような錯覚の時間が必要である。

退院3日目

2018年09月23日 21時57分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 世間的には日曜日、三連休の二日目。一応退院祝いということで、3人そろって夕食は近くの店で済ませた。秋刀魚の塩焼きを頼もうとしたら「本日はすでに売り切れ」ということで、カマスの開きを注文。これがなかなかいい味で満足した。ご飯は小さな茶碗1杯でお腹がいっぱい。それでも満腹になった。店は連休中ということでかなり混雑していた。
 昼は近くの喫茶店でサンドイッチ。コーヒーはマンデリンと贅沢な注文をしてみた。そして夜も近くの店でカマスの定食。ちょっと贅沢な一日としてしまった。明日は質素に家にある食材で食事をつくるつもりである。贅沢は今回痛めた胃腸によくない、という強迫観念もある。

 今回の病気に至る経過の整理と病気の原因、今後の治療について、医師に言われたことなどをまとめようとしているが、うまくまとめきれない。少々時間がかかりそうである。25日に再度受信するので、それも加味しながら自分なりにうまくまとめてみたいのだが、果たしてうまく出来るであろうか。

彼岸花が盛り

2018年09月23日 16時49分47秒 | 俳句・短歌・詩等関連


 久しぶりに近くの喫茶店まで歩いてみた。妻の付き添いとストックを持ってゆっくりと歩いた。団地の中でも、歩いた住宅街の中でも、黄色のショウキズイセン、そしてシロバナマンジュシャゲも同じところに咲いているものが多い。
 気温は28℃を超えて少し厚いが、ヒガンバナを見ると、もうすっかり秋の風情である。

★群れなして孤立無援の曼殊沙華    吉田静子
★ひとたびは夫帰り来よ曼殊沙華    石田あき子


 第1句、人は「孤立」や「ひとり」を怖れ、そして「群れ」たがる、と考え方である。だが、孤立とは「ただひとり」をさすのではない。孤立すればするほど「群れる」というのも背理だが、現実である。同時に孤立無援であるけれども、「ひとり」ではないということもまた現実である。「群れる」ことも「孤立」であることもいづれも、社会に向かって自ら開かれたものであろうとする限り、無援ではない。孤立を恐れずに、社会に向かって自らを開いていきたい。人は注目する。みずから社会に背を向けると、それは「孤独」であり、独りよがりであり、見向きもされなくなるだけだ。
 第2句、ここで「夫」とは、肺結核でこの句のできた1969年11月に亡くなった石田波郷のこと。もはや退院不能の夫に対する妻、あき子の思いなのであろう。「夫」は「つま」で会ってもよい。連れ合いに対する呼びかけとして相聞の句である。