Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「雨の言葉」(立原道造)

2020年05月17日 02時33分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 結局日付が変わっても降っていた昨日。ようやく1時頃に降りやんだようで音かしなくなった。
 眠れぬまま、「雨」についての詩をいくつかの詩集から探してみた。こんな詩が目に入った。岩波文庫の「立原道造詩集」には1935~36年にかけての作品を収めた「拾遺詩編」に入っていた。

  雨の言葉
                              立原道造

わたしがすこし冷えてゐるのは
糠雨のなかにたつたひとりで
歩きまはつてゐたせゐだ
わたしの掌は 額は 湿つたまま
いつかしらわたしは暗くなり
ここにかうして凭れてゐると
あかりのつくのが待たれます

そとはまた音もないかすかな雨が
人のゐない川の上に 屋根に
人の傘の上に 振りつづけ
あれはいつまでもさまよひつづけ
やがてけぶる霧にかはります……

知らなかつたし望みもしなかつた
一日のことをわたしに教へながら
静かさのことを 熱い昼間のことを
雨のかすかなつぶやきは かうして
不意にいろいろとはかります
わたしはそれを聞きながら
いつかいつものやうに眠ります

 これまで読んだことが無く、初めて読む作品なのでキーボードをたたきながら意味をさぐった。

 雨などの自然現象に対してこの詩人は受け身であるが、その刺激を受け入れることに躊躇がないということがわかる。それは第3連の「知らなかつたし望みもしなかつた一日のことをわたしに教へながら」に表れている。
 作者は受け身である。異論も自己の主張も放棄して「いつものやうに眠り」につく。異論も主張もない、そればかりか自分は「雨」をきっかけに何かを考えることをはじめた、ということもない。
 このような自己放棄を若い頃の私が読んでいたならば、その視点を否定して読むのをやめたかもしれない。でも今は、受け身に徹して楽しむ、ということもまた楽しくなった。

 第1連、「いつかしらわたしは暗くなり」にも始めは引っ掛かった。周囲が暗くなったことを「わたしは暗くなり」と周囲と自分の境界意識が希薄である。これもまた不思議である。

 また第2連、「あれはいつまでもさまよひつづけ」も不思議な表現だと思った。「あれ」は「雨」のことであるが、このフレーズを「雨はいつまでもさまよひつづけ」とするのは雨を直に擬人化した表現である。この表現であれば、「雨」と「作者」は分離している。しかしあえて「あれはいつまでも‥」とすると、雨を擬人化するほどには作者と雨が分離していない印象を受ける。ここでも自然と作者とが未分化に処理されている。

 この未分化は作者があえてこの詩のためにとった視点であろうと理解したい。

 自然観照の仕方の提示が、意外と古典的な和歌の世界を引きづっているのかもしれない、などと結論付けるのは早計だけれども、印象として記しておくのも悪くない。「自己」の提示を避ける必然は、どういう背景によってもたらされたのか、興味がある。


あっという間に23時

2020年05月16日 23時09分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 終日微かに聞える雨の音を聞き入っていた。雨の音以外には耳を澄ませてもその他の音は聞こえなかった。雨の日にでも聞こえる雀の声も聴こえず、さらには救急車の音も、2キロ先の列車の音もしなかった。

 体を動かしていないのに、夕食後とても眠くなり、気持ちよく寝入ってしまった。目が疲れていたのかもしれない。

 雨が街の音を吸収しただけではない。街そのものがまだじっと息を潜めている。


梅雨入りのような‥

2020年05月16日 21時31分02秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日は雨。終日降り続いた。この時間もまだ降っている。強い時でも20ミリ未満の雨だったと思われる。雨の音もしずか、団地の中も子どもの声は聞こえず、静かな一日となった。
 平年並なら梅雨入りはまた一カ月近くも先であるが、強くはないが終日降り続ける雨は梅雨入りの気分であった。気温も21℃程度と昨日に比べると低い。本日は長袖で一日過ごした。

★樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ   日野草城
★語り部の遠野の話梅雨に入る      土井桂子
★うら木戸にまづは梅雨入りの重さかな  宮川直忠

 「(樹も草も)しづか」というのが眼目だと思った。梅雨の始まりは身のまわりがすべて「しづか」なうちにはじまる。
 遠野では雨がいい。河童も雨が好みである。
 裏木戸、雨で濡れて開閉が重いだけではない。蝶番の錆もまた原因である。その重さに梅雨入りを見つける。こんな風に自然を実感できる暮らしにどこかあこがれるのである。 


友人のブログ「昭和音楽の風景」より

2020年05月16日 18時47分16秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 私と付き合いの長い友人のブログがある。
 「昭和音楽の風景―昭和の歌謡曲を通した若干の社会批判ないしは考察」【⇒https://blog.goo.ne.jp/shouwa3kayou4】(雁坂透)という表題である。あまり更新頻度はないが、社会批判・政治批判として的を射ていると思う。
 最近では38「喜びも悲しみも幾年月-星を数えて波の音聴いて」【⇒https://blog.goo.ne.jp/shouwa3kayou4/e/07c52673749d65fd965db454ec3e3c9d】と、37「愛ちゃんはお嫁に-愛ちゃんはおいらにウソついた」【⇒https://blog.goo.ne.jp/shouwa3kayou4/e/999c39e7a0475f3355457af019167524】は秀逸だと思う。
 昭和歌謡に触れているというよりもそれを引き合いにして政治批判を展開している。

 さて、「こんな時だから政府批判はするな」だとか「あなたがあなたの国のために何ができるのか」などという頓珍漢が多いが、現「政権」が「われわれに何もしない、したくない、する気もない、能力もない」という前提に口をつぐんではいけない。
 「国」と「政権」とを混同してしまう過ちを「日本」は明治維新以降の近代のスタートラインから犯してしまった。その呪縛から完全に抜け出していない。抜け出すチャンスは1945年から日本国憲法成立までのごくわずかの期間しかなかった。しかも真の意味で憲法の理念や近代的な民主主義の「理念」が定着したか、敗戦後75年の歴史を真摯に捉え直さなくてはならない。またその理由も解明しなくてはいけない。多くの人が苦闘している。それに学びたいと思う。
 すくなくとも「政権トップ」のいう「美しい国」とは、コロナ禍でいまだに「アベノマスク」という不衛生的なマスクすら配布できず、休業補償すらする気がない、一律10万円の給付すら満足にできていない「国」である。「危機管理」のときほど政権の実力が問われる。ここ何年も自然災害下でも宴会に明け暮れる今の政権・政治家の無能は天下に示されている。平安時代後期の中央貴族の無能を地で行っている。さらに産業界も災害禍に対応する応用力や活力、たくましさを失っている。
 欧米に比べ少ない罹患者にすら検査も満足な医療も提供できず、従事者に特攻隊のような過酷な労働を強いている「政権」に対しては、キチンと批判をしなくてはいけない。それでなくては「国」は亡ぶ。
 「国」や「国という論理」が私たちの頭上に覆いかぶさってきたら、それは個人にとっては極めて危険な時代・状況であると先行世代から学んできたと思う。歴史を忘却してはならない。

 そんなことを念頭にこのブログに目を通すのがいいのではないか。


昼食後は贅沢に昼寝

2020年05月16日 15時00分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 Zoomによる講座、慣れればいいところもたくさんある。面と向かったほうがいいという思いもあるが、生徒同士でのその場での雰囲気の中でお互いに成長していく過程はとても大切である。だが、成人した大人の教室ではこれでも十分こなしていいものだと思うようになった。

 本日は雨の一日となりそう。昼にかけて親の表院の付き添いと買い物につきあい、雨の中を5千歩ほど。ドラッグストアには車がたくさん注射してあったが、店の中は車の数にしては人は少なく、静かであった。

 昼食後、贅沢に昼寝。これより読書タイム&コーヒータイム。


明日は雨&肌寒い予報

2020年05月15日 22時14分49秒 | 天気と自然災害

 

 本日は昨日とは違って暑くは感じなかった。空気も湿り気が多く、そして何よりも陽射しが無かった。厚い雲が空を覆い、気分的にも晴れやかな感じはしなかった。
 15時過ぎに疲れたので、関内の大通公園で缶コーヒーを飲みながら車止めに寄りかかって一服した。一服するには陽射しが無いほうが嬉しいのだが、湿気が気になった。

 明日は横浜は朝から雨の予報。気温も18-19℃と最低・最高気温に差がない。本日の最高気温よりも8℃も低く、肌寒いという予報。
 半袖のTシャツでは寒い。長袖のポロシャツをもう一度奥からひっぱり出してこなくてはいけないようだ。

 明日は朝からパソコンを利用したオンラインの美術の講座。なかなか面白い試みだと思う。美術館に足を運べないので、いい刺激になる。
 それにしてもパソコンの修理がこの講座の開講に間に合ってよかった。

 


シャクナゲ(石楠花)

2020年05月15日 21時06分47秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

★石楠花に手を触れしめず霧通ふ     臼田亞浪
★石楠花にひびきて深き渓の水      深見けん二
★石楠花の紅ほのかなる微雨の中     飯田蛇笏

 シャクナゲという花を意識したのは、もう30歳に近い頃。奥秩父を登りに行って、たくさんの群落を見て覚えた。私にとってはシャクナゲは山の花である。
 山でその姿を覚えてから、自分の住んでいる界隈にもたくさん咲いていることを知った。なんとも情けない話である。山に行ってみかけるのは6月に入ってから。街の中では4月の初めころ。季節感も違ってくる。私のシャクナゲは5月の末から6月の梅雨入り前の時期なのである。
 シャクナゲはその蕾に圧倒される。今にも花弁の色があふれ出しそうに膨らむ。私にとってはこの蕾がまず第一である。

 シャクナゲは山の中では霧とよく似あう。だが、股の中では太陽のもとでその色がさらに映える。葉にうずもれて太陽が当らない蕾のこもった色合い、そして太陽のもとにその色を晒した花弁、ともに良さがある。


横浜市庁舎移転

2020年05月15日 19時31分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 ようやく新しいパソコン環境を作り終えた。USBハブを一つにまとめ、電源のコードをまとめて一本にできた。パソコンの後ろ側の込み入った敗戦類はずいぶんすっきりとなった。しかしプリンター2台やDVDプレーヤー、予備のハードディスクその他の周辺機器もあるので、それなりの配線類は残ってしまう。
 それでもパソコンのディスプレイとキーボードの間にまではみ出していた配線もなくなり、すっきりした気分である。

 本日は関内の市庁舎周辺まで出かけた。横浜駅からJRを使ったが、横浜駅の自由通路、西口地下街は人出が普段の4割程度と思われた。4月に比べると倍近い人出だったのではないだろうか。
 関内の駅の周辺は市庁舎が桜木町駅近くにほぼ移転してしまったこともあり、人出はまばら。わずかに残っているのは周辺ビルの部所。長年関内に日参した身としては淋しい限りである。旧市庁舎は活用され、民間のオフィスビルとしての機能は残るようだが、働く人は少なくなると思われる。それなりに大きかった経済圏を形成していたが、周辺の商店は大きな影響を受けることは間違いない。しかもこのコロナ騒ぎである。痛手は大きいはずである。世話になった店や利用した店もたくさんある。
 今後どのように変わっていくのだろうか。その変わり方興味もある。


パソコンの使い勝手の変更

2020年05月14日 22時28分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日までできなかった退職者会の宿題の第2弾を片付けた。この際だからパソコンの設定をいくつか見直して、いろいろと操作しやすいように工夫しているところである。主に外部記憶装置の整理である。内部のハードディスクと外部のハードディスクに二重に同じものを記憶されている。この歳だから、内部の記憶領域は使わないことにして、外部のハードディスクと新たに外部取り付け用のSSDを外部記憶装置にシテみたい。

 すでに外部ハードディスクはその領域の内、7割近くを使用しているので、今年度からは新規にSSDに記憶させることを考えた。ハードディスクよりは高いが、モータードライブを使うよりは毀れるリスクは少ないと思われる。

 明日にでも1テラバイト程度の値のあまり高くないSSDを購入して取りつけて見ることにした。とりあえずそのための準備作業をこれから深夜にかけて実行することにした。

 


パソコンの修理完了

2020年05月14日 15時05分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 パソコンの修理が終わり、本日届けてもらった。2年前だったかにハードディスクを取り換えてもらった業者の方に直してもらった。一体型のデスクトップのパソコンであるが、ハードディスク内部の埃がひどかったとのこと。
 今は支障なく快調に動いてくれている。

 やはりスマホで文章を作成するよりも拡大に早く打てる。そして退職者会の宿題であったA4の文書も今しがた作成が終了。
 問題は、キーボードの指の感触が忘れかけていて、キーの打ち間違えがかなりの頻度で起きる。これは慣れるしかない。

 しかしホッとした。これで日常が戻ったような気分である。

 


夏野菜

2020年05月14日 11時12分28秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 陽射しが眩しい。南側のベランダの外では雀、四十雀、山雀(ヤマガラ)?等の囀りがにぎやかである。
 昨日は妻が私の親と片道25分ほどのスーパーまで強い日差しの中を買い物にでかけた。日差しでだいぶ疲れたようだが、歩いて戻ってきた。随分回復している。
 本日は買い物は無いという。
 本日戻る予定のパソコンは無事修理が終わったのだろうか。連絡がないのが不安。

 スーパーの野菜売り場で何でも揃うのであまり季節感はわかないが、それでもありがたく感じる。
 野菜に季節感を付加してありがたいと思うのは、あべこべであるが、良しとしよう。

 飯田蛇笏の茄子ととまとの句を1句ずつ。

★採る茄子の手籠にきゆァとなきにけり
★白昼のむら雲四方に蕃茄(とまと)熟る            


シジュウカラ(四十雀)

2020年05月13日 22時10分08秒 | 俳句・短歌・詩等関連

明け方に出た強風注意報は先程ようやく解除になった。しかしまだ風はやんではいない。
本日シジュウカラが団地の中や周囲でさかんに囀っていた。はじめは私の住む棟の南側、北側の梢を飛び回っていた。
南側では欅の枝に止まっている姿を見つけることができた。北側のときはプラタナスの木にいると思われたが、姿を見せなかった。
午後遅く帰宅したとき、団地の入口付近の電線の上にいた。しばらく見上げていたものの、首もつらくなった上に、反対側の歩道を歩いて女の子が母親に「おじさん何してるんだろうね」という言葉が聞こえたので、見上げるのはやめた。
昼に家で見たり聞いたりしたシジュウカラと同じ個体かは不明だが、わたしは同じと思っている。
確かに一昨日も一度聞いたと思う。親近感のわく囀りである。

★少年の影克明に四十雀    飯田龍太


ラスベガス・サンズが撤退意向

2020年05月13日 19時07分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

横浜・大阪をはじめカジノで日本進出をはかっていたラスベガス・サンズが断念の意向を示したらしい。
神奈川新聞が報じている。

今後の林市長の動向に注目したい。当然ながら責任も明らかにしたい。4億の予算は?

https://www.kanaloco.jp/article/entry-352906.html
【横浜】「横浜注力」の米ラスベガス・サンズ、日本進出を断念
https://t.co/jyDplQ70kk
カジノを含む統合型リゾート施設(IR)を運営する米ラスベガス・サンズが日本へのIR進出を断念したことが13日、分かった。同社がホームページ上で発表した。
 #横浜市 #IR #カジノ


「堀田善衛のスペイン時代」(大高保二郎)

2020年05月13日 11時12分46秒 | 読書

 「スペイン美術史入門」(大高保二郎監修)のゴヤの部分を読んでいるうちに、堀田善衛の「ゴヤ」を思い出し、書棚の「堀田善衛を読む」(集英社新書、2018.10刊)を手にとって見た。
 読み忘れていた本。池澤夏樹、鹿島茂、宮崎駿、吉岡忍そして大高保二郎に対する「高志の国文学館」(館長:中西進)のインタビューを書籍化したもの。
 早速「堀田善衛のスペイン時代」に目を通した。
 堀田善衛が「ゴヤ」の執筆のためにスペインに滞在したときに、留学中の大高氏が1973〜76年の3年間同行したことが述べられている。堀田善衛と大高氏の接点がこのように濃密であったこと、堀田善衛から大きな影響を受けていることを初めて知った。
 教科書的な「美術史」は耐えながら読む側面もあるが、この大高氏の文章に触れ、読み継ぐことができそうである。
 「美術史」と並行して「堀田善衛を読む」の他の執筆者の文章も読みたい。

 同時に堀田善衛のアドバイスを活かして執筆したという「ベラスケス」(岩波新書、2018刊)を「美術史」読了後に是非読みたくなった。


夜の散歩

2020年05月12日 22時42分25秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★体内に波動五月の水飲んで     小池 都
★繋がらぬ記憶の回路夏の雲     高木聡輔

20時過ぎに、妻と夜の散歩。わたしは昼から夕方にかけてかなり歩いた。妻はずっと家にいたとのことで、散歩に付き合った。
横浜のポートサイド地区から横浜駅周辺、みなとみらい地区にかけての高層ビルの景観を見ながら30分ほど歩いた。

いつものウオーキングとは違う景色が見えた。

月が上る前だったのが残念だった。