恒例の朝の、鶯・四十雀の独演会、カラスの合唱は聞こえなかった。尾長の警戒音とつがいの鳴き交わしが短時間あった。雨の予感が鳥にはあったのであろうか。雷・強風注意報が出た。
9時頃から雨、という予報どおり雨が降り出した。強い雨である。そして雷もなり始めた。予報では正午前まで降り続くという。4回目のワクチン接種のために10時半に家を出る予定であった。残念ながら雨の中の外出となってしまった。
相模湾には80ミリを超える猛烈な雨の区域がある。雨の区域は南南西から北北東に進んでいる。猛烈な雨の区域が横浜市域を通過するか、微妙である。三浦半島は確実に通過するように思われる。
この雨の区域が通り過ぎると晴れて、気温も急上昇するらしい。雷がなったのでパソコンの電源を落とす予定。
本日はとうとう東京都で感染者が3万人を超えた。全国でも15万人を大きく超えている。数日前から指数関数的に感染者が増加しているのだから、このような数字になるのは十分想定は出来たのだが、行動制限も、人の集まりに対する規制も政府からも都からも要請や、具体的な帥がないままここまで来てしまった。いくら重症化率が低く、死亡率も低いらしいからと言って、あまりに無策ではないか。
当然神奈川県でも急増している。本日も9000人を超えている。県知事からも具体的な呼びかけもない。私からすると「放置」に等しいと思う。
法律の定めのない「国葬」の強行よりも、先にしなくてはいけないことがあるのではないだろうか。
こんな状況下、明日はかかりつけ医のところで、4回目のワクチン接種。回数を重ねるに従い、私は翌日の倦怠感が強くなる。妻は発熱が強くなる。しかし接種しないという選択はしない。
帰宅途中から弱い雨が降り始めた。バス停を降りたら路面が濡れ始めていた。しかし傘もささず、ザックカバーもせずに5分歩いて帰宅。帰宅してからレインアイよこはまを見ると、時間雨量5ミリ未満ということであった。
10時から正午過ぎまで、美術史のオンライン講座。昼食後家を出て、14時から退職者会の会議。15時半からけいゆう病院でヒアルロン酸の注射。17時から自宅近くの眼科で緑内障の点眼薬の処方をしてもらう予定となっていた。
ところが眼科に着いてみると「今週は急遽休診とします」という貼り紙。理由は書いていない。びっくりした。点眼薬は多分土曜日以降には無くなってしまう可能性が大である。薬局で処方箋なしでは手に入らない点眼薬である。月曜日は朝から退職者会の重要な作業と幹事会。どうしても月曜日の夕方でないと診察を受けることが出来ない。
夜になって、ヨハネ受難曲を聴きながら、「生命の大進化40億年史 古生代編」の数ページだが読み進めた。
第1章「爆発的進化の時代」の第2節「ちょっと(?)変わり者たち」の末尾に次の指摘があった。
「神経は、すでに現生種に近いレベルに達していたのだ。‥進化はゆっくり進む。それが、進化論の基本的な考え方だ。化石で確認できる最古級の段階で、「原生生物のものとよく似た神経系」があるということは、化石で確認できないもっと古い時代に、「原生生物のものよりも原始的な神経系」を持つ動物がいた可能性がある。」
これは、私にとっては初めての認識であった。
また私が昔から興味を持っていた「ハルキゲニア」は目次の第2章の下に描かれている。私が初めてこのハルキゲニアの復元図を見たのはもう40年以上も前だと記憶している。どのような書籍で見たかは記憶にないが、この書物によると1977年とのことである。その時は、背中の硬い棘上のものを足として、胴体の細いほうがお尻であった。天地と前後がまったく反対になった。現段階の復元図が発表になったのは2015年というから、ひょっとしたらまだ変わるかもしれない。
カンブリア紀とそれ以前だけでなく、その時代以降の古生代生物の復元も、まだまだこれから変わる可能性は大きいのだと思う。
家の北側の電線の上で、毎日尾長があまりにけたたましく鳴くので、目の前にあるプラタナスの木をじっくりと下から見上げたところ、巣のようなものがあり、そこのまわりを2羽がいったり来たりしていた。やはり巣を拵えたようだ。
帰宅したときにプラタナスの横にある欅には4羽が陣取り、盛んに警戒音を発していた。つがいが2組なのか、巣立った2羽がまだ巣の周りにいるのか、判然としなかった。
見た目には美しく、また愛嬌のある尾長であるが、あのしつこいくらいの警戒音が目の前で朝から10時過ぎまで続くとさすがにつらい。私は1階であるが、ちょうど同じ高さにある3階、4階の居住者にとってはさらに迷惑だろうと思われる。
本日は眼鏡と本をリュックに入れ忘れるという失態があり、もう読書の気力が失せてしまった。
正午過ぎに最高気温34.4℃を記録、昨日よりも5.8℃も高くなった。この温度の急上昇にはさすがに参った。たまたま最高気温を記録した直後に出かけた。
神奈川大学のキャンパスの生協まで杖を突きながら歩いた。ゆっくりだったが、メッシュの野球帽のから汗が垂れてきたころにようやく到着。書籍売り場でしばらく涼みがてら本を物色。
有隣堂よりは置いてある本は格段に少ないし、新刊本も限られているが、何よりも人が少なくて落ち着いて物色できる。注文も1週間以内に届く。しかも生協の会員になれば1割引という特典である。この特典が魅力である。本日は2冊ほどを注文。
バスにて横浜駅まで。本日は東口にまわり、いつもとは違う喫茶店で読書タイムを目論んだ。ところが座って、リュックを探したが近点用の眼鏡と肝心の本が入っていなかった。リュックに入れ忘れていた。結局スマホでメールチェックをして、1時間ほどボーッとしていた。安いチェーン店でもあり、とてもおいしいとは言えないアイスコーヒーを一口だけ飲んで店を出た。
しかしリュックに眼鏡と本を入れ忘れるとは何とも情けない。出がけに机の上に置いたままであった。
読書があまり進まないので、午前中は「聖母の美術全史」は脇に置いて、「生命の大進化40億年史 古生代」(土屋健、フルーバックス)をめくってみた。
すでにエディアカラ紀の第1章「始まりの時代」は読んでいるので、本日は古生代の始まりであるカンブリア紀の「爆発的進化の時代」から。
高校の地学の教科書的な記述であるが、私が高校生の頃はエディアカラ紀やエディアカラ生物群の記述はなかったし、ストロマトライトや生痕化石についても記述はなかった。以前から興味のあったハルキゲニアの復元図などを興味深く目を通して、楽しんだ。第2章は半分ほどで本を閉じた。
午後からは、「聖母の美術全史」にもどり、一日がくれた。眼科に行くのを忘れてしまった。
第5章「聖母像の広がり 植民地・民衆への浸透」を読み終えた。ヨーロッパを離れて、スペイン・ポルトガルのアメリカ大陸、特に植民地化された中南米での「聖母」像の広がりについて記述されている。
「中南米の教会の多くには、空間恐怖症のように内外の壁面を、極彩色のストゥッコ(漆喰装飾)や彩釉タイルで埋め尽くすウルトラ・バロックと呼ばれる様式が見られる。‥スペイン美術の背景にあったイスラムの装飾様式と先住民のインディオの造形性とが、バロックによって統合されている。」(2.中南米の聖母)
「(聖母像は)インカ帝国の最高神であったパチャママのイメージが重なっているといわれている。パチャママは丘や山や川などと同化していると考えられたいたアンデスの地母神である。」(2.中南米の聖母)
「レタブロ(メキシコで民衆用の小型の聖画や奉納画)は稚拙で型にはまった図像が多いとはいえ、現在はメキシコの代表的な民衆芸術として美術館にも飾られるようになった。‥レタブロには聖職者が登場することは稀であり、奉納者と神との直接的な交流が強調されているという。そしてそこに庶民による教会や権威への抵抗が読み取れるという。」(2.中南米の聖母)
「聖母のイメージは複製されることによって世界中に伝播し、社会全体に拡散し、個人レベルに浸透した。信者は単に眺めて祈るだけでなく、献灯や献花、抱擁や接吻によって積極的に像に働きかけ、身に着けることで命を吹き込んで北のである。聖母像の大半はこうした信者との相互作用と交感によって成立しているのだ。美術というより狭い領域を大きく超えた大きな文化であるといってよい。」(4.「美術の時代」の聖母像の普及)
この雨の中、盛んにオナガ(尾長)が鳴いている。つがいで少なくとも2組がいるようだ。昨年までは耳にすることのなかった鳴き声である。スズメ目カラス科オナガ属と分類されるとのこと。ネットで画像を拾ってきた。大きささムクドリ大でキジバトに近いようだが、カラスとは違い見た目は美しい。
・留鳥
・雑食で、昆虫、果実、種子等を常食
・普段は高いところにとまり、群れで行動
・カラスの仲間とあって学習能力は高い
・警戒心が強く、巣が襲われた場合などは集団で防衛にあたり、攻撃性がある
などが分かった。今年になってこの団地に住みついた可能性が高い。
警戒音は大きくそしてだみ声に近いが、つがい同士の鳴き交わしは愛嬌があるらしい。私は警戒音しか聞いていない。
カラスと違って生ごみなどをあさる確率は低そうだが、警戒心の強さと攻撃性から考えると、団地内でさまざまな意見が出てきそうである。駆除などは出来ないが、巣をどうするかなど、対応は難しそうである。
横浜市瀬谷区の区の鳥、大和市の市の鳥として指定されている。
明日は朝から湿度が90%近くになり、9時以降雨の予報。雨の量は少ないらしいが、明け方から日付が変わるころまで、いつ雨が降ってもおかしくない予報になっている。降水確率は50%と表示されている。
梅雨末期のような様相、という報道もあった。
今週は21日が忙しい。午前中は美術史のオンライン講座、午後からは退職者会の会議とその直後のけいゆう病院でのヒアルロン酸注射。午後の会議が少しでもずれて遅くなると、病院の予約時間に食い込んでしまう。時間通りでも、移動はタクシーでなければ間に合わない。
翌日が第4回目のワクチン接種の予約が入っている。この日が雨の予報になってしまった。思うような天気になってくれないものである。
昼前に家を出て、親の買い物に妻と付き合った。昼食後、私は一人になって、書店と家電量販店をめぐってから別の喫茶店で読書タイム。
書店では親に頼まれた書籍を購入。家電量販店では、購入する気はないものの外付けSSDの値段を確認。ここしばらくは値段は変わっていない。昨年初めころまでは値下がりが続いていたようだが、この時節柄値下がりはないものと考えたほうが良いようだ。
いつも行く喫茶店は連休ということもあったのであろう、満員で座れなかった。少し離れたオフィス街の近くにある喫茶店で30分ほどの読書タイム。「聖母の美術全史」の第5章を少々。それほど読み進まなかったが、15頁ほど。
喫茶店を出てから、普段はめったに足を向けることのない大型商業施設内のCD店に入ろうとしたが、あまりに暑い上に、余分な歩行は膝痛を再発させる懸念が大きいので断念。最高気温は31.9℃にもなった。
明日は再び雨が降るとの予報になっている。
明日は雨の確率は10%以下とのこと、何よりも洗濯物が良く乾くという天気予報が嬉しいものである。
夕刻になり、帰宅時にも団地の近くでスマホで撮影してみた。
夕食以降は、モーツアルトの弦楽四重奏曲「プロシャ・セット」の第2曲、第3曲である第22番と第23番を聴いて過ごした。演奏はアルバン・ベルク四重奏団で1989年の録音である。
モーツアルトの弦楽四重奏曲をここ数日かけて十分堪能出来た。明日もこれを引き続き聴きたいと思っている。
第23番は、プロシャ王フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世の依頼によって作られたらしいが、本来は6曲一組なのに、3曲しかない。そして献呈されてはおらず、題名は幻となった。モーツアルトが意欲を失ったのは晩年の困窮とそれに基づく多忙が大きな原因のようである。しかし曲は実に自由で、のびのびとした曲調の3曲である。
フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世はチェロを奏したというが、これを国王が直接演奏することが前提だったとすると、チェロパートに着目して聴く限り、かなりの腕前だったのではないか。あるいは国王の技量に合わせてチェロパートを作ることにモーツアルトが飽き飽きしてしまったか。どちらであろうか。