Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

寒々しい

2022年12月22日 13時49分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は正午までオンラインの美術史の講座。雨の音は11時半くらいまでしていたろうか。正午の時点で一瞬日が射していたが再び籠り空に逆戻り。外は寒々としてしている。正午の気温は9.5℃とかなり低い。

 昨晩寝る前に気がついたのは、緑内障の点眼薬が年末・年始になくなる可能性が出てきたこと。本日か明日にでもかかりつけの眼科で処方箋を書いてもらわないといけないことに気がついた。


本日の読書と衝動買い「シュルレアリスムとは何か」

2022年12月21日 22時35分36秒 | 読書

 横浜駅近くの喫茶店で30分ほどの読書タイム。久しぶりの読書タイムである。本日は「江戸絵画 八つの謎」(狩野博幸)の第6章「岸駒 悪名の権化」、第7章「葛飾北斎 富士信仰の裾野」までを読み終えた。

 第7章ではこれまで私は禁令の出ていたということを知らなかった富士信仰と北斎の関係について初めて認識した。この第7章は6節わかれるが、富士講の初世からの流れを5つの節で説明し、北斎については第6節だけで触れている。詳細は後日。なかなか大胆な構成である。

 富士講の第六世の思想や行動の説明は初めて知ったが、その解説の合間に、現代の社会の思想状況について辛辣な批判が並ぶ。私もつい陥りがちだが、一把ひとからげの批判は粗雑な論理展開に繋がりそうで危うい感じもする。

 有隣堂では、「シュルレアリスムとは何か 超現実的講義」(巖谷國士、ちくま学芸文庫)を見つけ、1320円と高価だったが神奈川大学の生協での申し込みをせずに即購入した。今年9月に第18刷が発売されていたのに気がつかなかった。

 なお、膝の痛みは痛み止め服用で治まってくれていたが、あまり歩き回らずにすぐに帰宅。
 夕食後、薬の作用が切れたためか、少しだけだが痛みが再発。再度痛み止めの薬を服用。湿布薬は入浴後に擦りこむ予定。明日は膝の様子見である。


電車の急停車

2022年12月21日 20時34分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中、病院に出掛けようとして椅子から立ち上がったとたんに右膝の右側がピリッとして思わず声を出したほどの痛みが走った。立ち上がらずそのまま座ったままにして様子を見た。さいわいにも10分ほどしたら立ち上がっても痛みが出ないほどに回復した。
 テーブルに手を突きながら、痛み止めの薬を取りに行き、消炎鎮痛剤入りの湿布薬に手を伸ばした。以前のように立ち上がれないほどの痛みにならずに済んでホッとした。

 本日は用心のために、杖を突いて出かけた。しかもバス停まで歩かずにタクシーで病院まで。病院で一昨日の採血と採尿の検査結果を聞いた。二つほどの数値が治療するほどではないが良くないとのことで、日常生活上の注意点を指摘された。
 その後私鉄の電車を使い横浜駅へ。ところが横浜駅手前で緊急停止信号のために急停車。ガラガラの席に座っていたら、前方に大きく体が倒れ、座席に一瞬横になってしまった。すぐに起きることが出来たが、もしも杖を突いて立っていたらそれこそ転んだかもしれなかった。車内で立っていたのは数人の男子中学生だった。さすがに身のこなしは素早く、吊革や握り棒で体を支え、転ぶ者はいなかった。
 5分ほどの遅れで横浜駅に辿り着いた。杖を突いていなくとも、電車やはバスなどの乗り物では座れるときは座っていたほうが安全であることがよくわかった。


歳を取ると耳が遠くなるか?

2022年12月21日 18時21分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 歳を取ると耳が遠くなる、聞きづらくなる、とよく言われる。高音が聞きづらくなり、人の話が聞き取りにくくなるという識者まであらわれる。しかしこのことは本当なのだろうか。
 むろん身体的に聴覚の機能が衰えるということもあるかもしれない。しかしそれだけだろうか。私の場合は今年の夏、耳鼻科で眩暈の診察をしてもらったときに、聴覚検査をしてもらい「まったく異常なし、若い人よりも高音によく反応するくらいだ」と言われた。
 だが、71歳になって、妻などと会話をしていても、またお店で店員の言葉が理解できずに耳を店員に近づけて聞き返すことも多くなった。
 このことが自分でも不思議で「何故なのか」と自問自答していた。今も同じである。

 最近までに気がついたことをいくつか述べてみる。

 会話をしていて「聞き返す」場合のパターンに共通点があることが分かった。
 ひとつは周囲の雑音が急に大きくなったり、傍で他人が他のことを話した時、それが当の話相手の話が認識できなくなる。
 二つ目の場合は、想定していた会話の内容ではないことを言われた時に、ほぼかならず聞き返している。
 三つ目の場合は突然に話しかけられた時に聞き返している。

 最初の場合は、会話や想定される問答に集中しようとしている自分がかならずいる。周囲の声が聞こえていないのではない。また相手の声が聞こえていないのではない。ひとつのことに集中しようとしているので、周囲の音が背景に追いやられてしまうか、あるいは背景の音が邪魔をして、聞き取りたいことに集中できなくなってしまうことが原因である。

 二番目の場合、会話が成立するためにはその会話の流れの前提条件が必要である。例えば、干し柿の作り方を話しているときに、突然に横から「どうして干し柿は柔らかいのと硬いのがあるのか」と聞かれるような時である。話の流れを理解できていない人からの頓珍漢な横やりにすぐに対応できない。これも会話について、ひとつのことに集中したいという思いが強ければ強いほど、横からの話を無視せざるを得なくなる。
 店員と話をしていて聞きづらいのは、想定していたこととまったく違う思考回路を示された時でもある。例えば支払いをしようとしているときに、「いくらです」という答えを待っているのだが、突然「〇〇のポイントは使いますか」あるいは「カードは持っていますか」などと言われるとかならず聞き返すハメになる。言葉として聞こえていても認識しずらくなり、反射的に聞き返すことになる。これはお互いに不幸である。

 三番目の場合は、私の膝の痛みと関係する。足が痛いので下り坂などでは路面などに意識を集中して下を見ながら歩いている。そのときに顔を上げていなければいけないような風景の話をされてもそちらに意識は急には向けられない。
 昨日妻と急坂を下っているときに妻が「いつもの家が新しくなった」と言ったが、私は目前の階段に意識を集中していたので、「階段が新しくなった」と妻が発言したと思った。しかし階段は古いまま、何が新しくなったのかまったく理解出来なかった。つい声を荒げて「階段など新しくなっていない」と言ったが、妻の抗弁を聞いてやっと発言内容を理解した。
 この場合も、意識をひとつのことに集中しているときに、他のことを言われると音声は聞こえていても正しい認識に辿り着かないのである。

 さらに大事なことは、いづれの場合も、十数分経つと何を言われていたのか、思い出して認識できることである。「あぁそうか、そういう意味合いだったのか」というのがいつものパターンである。

 これらの事象を並べてみると、聞こえることと、認識すること、の乖離が大きくなっていることが、「聞こえていない」と周囲に思われる原因ではないか。
 聞こえない、のではなく、認識する回路がこれまでとはどこか違いが出来ており、傍から見ると正しい認識に時間がかかるように思えるのだろう。また聞こえていても、不必要なことや、いかにも頓珍漢な質問だと認識したものには、いちいち反応するのも面倒になっているとも言える。
 もうひとつ言えることは、人の発言に鋭敏だった人ほど聞き返す頻度が高いのではないか。
 周囲の人は「年寄りだから聞こえていない」と早とちりをしてはいけない。聞こえていても「つまらないことを言ってばかりいるよ」と年寄りから馬鹿にされている場合も多々あるはずだ。そのことを忘れないほうがいい。

 私は、歳を取って初めて聞こえることと認識することの落差を痛感するようになった。たぶん今までは、さまざまな対応を想定しながら人の話を聞き取り、それぞれに対応してきたと思う。歳と共に「ひとつのことに集中する」ことの大切さを身につけて来たからこそ「つまらないこと」には反応しなくなるのである。
 私は10代、20代の時にこのことをもっと体得しておけば、勉強に集中できたのに、と思った。だがそれは若者らしく、いろいろなことに幅広く興味を持つ、ということからは遠くなることでもある。

 年寄りは聞こえていないようで実によく聞こえている場合が多い、という言い方はかなり真実に近い。肝に銘じておいたほうがいい。
  


年賀状を購入

2022年12月20日 22時43分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日地下鉄でセンター北駅で、ペットショップを覗いた。妻がセキセイインコを観たくなったとのこと。購入して飼う予定はないものの、以前に飼っていたセキセイインコを購入した店を覗期待とのリクエストであった。
 だいぶ値段は上がっていたが、見ていると飼いたくなるものである。世話をする気力が湧いてこないが、気になるらしい。ハムスターやウサギのコーナーも見て、店内を一回り。ウサギは猫のように大きくなるので、飼育は大変そうである。やはり小鳥、特にセキセイインコ、コザクラインコなどが団地住まいには手ごろのようだ。

 その後、センター南駅にもどり、目的の店で味噌や柚子などを購入、さらに郵便局に立ち寄り年賀状も購入。今年は昨年に続いてチケットショップには寄らずに、特定郵便局にて定価で購入した。リュックはそれなりに重くなって帰宅。

 妻の年賀状のデザインは決まり、必要枚数を印刷。私の分がまだデザインが完成しない。基本は妻のものと変わらないのだが、これ以上粘ってもいいアイデアは出てこない。もともとがデザインのセンスがまるでないので、いいものが出来るわけがないのだが‥‥。

 明日の午前中は昨日の採血結果を聞きに行き、その後は横浜駅まで出かける予定。自分の買い物を少々。
 明後日の午前中は今年最後のオンライン講座で「一気に学ぶ世界の美術」の第8回目。10時から12時まで。
 


全惑星集合 (惑星パレード)

2022年12月20日 18時28分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 最近は夕方に西空を見る機会がほとんどなくなってしまい、今回も金星・水星・月を同時には見ていない。本日も既に水星・金星は地平線下に沈んでしまい、見るのを忘れてしまった。
 いつも夜遅くなってから火星・木星・土星が並んでいるのをみているだけ。海王星と天王星はもともと肉眼では無理。
 明日は曇りなので見られないはず。明後日の22日に挑戦してみたい。

以下、引用。
★(以下ウェザーニュースより解説を引用)
今日12月20日(火)から31日(土)頃の間、7惑星が全て夕方の空に姿を現します。25日(日)以降は月も現れるため注目です。
観測チャンスは日の入り後の30分から1時間
全惑星を同時に見られるタイミングは、日の入り後の30分から1時間くらいの約30分間と、かなり短い時間となります。この時間帯より早いと空が明るいため水星や海王星が見づらく、この時間帯より遅いと水星や金星が沈んでしまいます。
なお、月や水星、金星、土星、木星、火星は肉眼で見られますが、海王星と天王星は双眼鏡や望遠鏡が必要です。
アストロアーツによると、次回見やすいものは2061年までないため、非常に珍しいとのこと。短い時間での観測チャンスとなりますが、この機会にぜひ惑星パレードをお楽しみください。
https://weathernews.jp/s/topics/202212/180245/

★(以下アストロアーツより画像と解説を拝借)



12月20日ごろから31日ごろまで、夕方の空に水星から海王星まで7惑星が全部見える。25日以降は月も見ることができる。
タイミングは日の入りの30分後から1時間後くらいの約30分間となる。
これより早いと空が明るいため南西の水星や南の海王星が見づらく、反対にこれより遅いと水星や金星が沈んでしまう。「ステラナビゲータ」各種モバイルアプリで位置をよく確認して観察しよう。天王星と海王星を見るには少なくとも双眼鏡が必要だが、残りの5惑星(と地球・月)は肉眼で見える。
今年6月下旬ごろに明け方の空で全惑星が見える機会があり「惑星パレード」と呼ばれ話題となったが、全惑星が見えるのはそれ以来のチャンスだ。次回見やすいものは2061年までないので、非常に珍しい。
太陽系内での惑星の並び方にも想像を巡らせてみよう。
https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/12762_ph221225


年賀状の作成開始

2022年12月20日 12時07分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 年賀状の図案を考えてから、友人にメールをいくつか。窓越しからは温かい陽射しが差し込んでいるが、外に出ると気温は低い。
 乾燥注意報が出て、解除にならずに数日たった。関東地方の冬らしい天気である。昨日は横浜でも氷が張ったらしい。
 氷と言えば、横浜開港時には今の新横浜付近の鶴見川沿いで氷を作り氷室に入れて、夏には今の石川町付近の中村川沿いで販売していたと教わったことがある。当時は今よりは寒かったのであろう。

 本日はどこにも出かけない予定であったが、妻から地下鉄のセンター北、センター南駅での買い物があるとのリクエスト。荷物持ちとして雇われることになった。昼過ぎに出かけるらしい。
 帰り際に年賀状を購入することにした。昨日の友人の話ではすでに投函済みというかたもいた。


今年最後の忘年会

2022年12月19日 22時58分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 同じ顔ぶれで何回忘年会をしたであろうか。この顔ぶれで新年会もまたすることになりそうである。飽きない、懲りない面々である。
 実は本日の居酒屋で、別の席で呑んでいた方達が帰り際に、「どんな集まりですか?」と声を掛けてきた。「退職者会です」と応えると「うらやましい。こんな楽しそうな会があるのはいいですね。」と言って帰っていった。
 他人からうらやましいといわれる集まりであることが誇らしかったが、単に「うるさいグループだな」と思われただけだっかもしれない。真意は不明のまま、楽しく呑み会は終了。
 


年内最後の講演会

2022年12月19日 16時31分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 かかりつけ医はとても混雑していた。コロナワクチン接種や年内の薬の処方などを求めて満席。10時過ぎに病院にたどり着いたが、病院を出たのは12時を回っていた。先月のけいゆう病院ほどではなかったものの、かかりつけ医では珍しい。

 採血の前に診察をしてもらい、昨日からの体調不良の具体的症状を伝え、薬の処方をしてもらった。ただし市民病院での検診もするように奨められた。市民病院のほうは電話が繋がらず夕方から明日にかけて再度挑戦してみる予定。
 採血の結果は明後日、再度聞きに行くことになった。

 本日の夜は講演会。年内最後の講演会である。講師は寺島実郎氏。神奈川大学のみなとみらい地区の校舎を特別に借りたとのこと。退職者会の仲間とはすでに忘年会らしきものはしているが、若干の呑み会がありそう。顔を合わせれば呑み会をしてしまうのが、退職者会の「元気の元」のようだ。

 


明日は採血

2022年12月18日 20時36分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 体の調子は本調子ではないようなので、本日はいつもの缶チューハイは一口だけ呑んでおしまい。ラップを掛け、輪ゴムで止めたが明日までには気が抜けてしまいそう。
 明日はちょうどいつもの内科で採血の予定。ついでに診てもらうことにしたい。体温も血圧も脈拍もいつもの範囲内なので、特に心配はしていないが、だるい。

 ということでそろそろ就寝準備。


休養日

2022年12月18日 17時14分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

      

 昨晩の就寝は2時であった。9時に起床するつもりであったが、8時に目が覚めた。朝食後、日曜美術館を視聴してから、急に眠くなり、12時過ぎまで2時間ほど本格的に就寝。
 本日は休養日といったところ。本を読む気力が湧いてこない。しかしダラダラしているのも耐えられなくなり、近くのドラッグストアまでカメラ片手に往復。

 もうすでに残っていないと思っていた柿がまだまだ残っていた。サザンカも旺盛に咲いている。富士と丹沢はいつものとおりに見えることがうれしい。


冬の夜の静かな雨

2022年12月17日 23時22分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 絶え間なく時間雨量換算で5ミリ程度の弱い雨が降り続いている。はたして日付の変わるころには上がるのだろうか。気温はだいぶ冷えてきた。室内も17℃を切っている。

 昨日に続いて渡邊規久雄の〈シベリウス・リサイタルVol.5〉を聴きながら、雨の音も聴いている。《4つの抒情的小品作品74》や《抒情的瞑想作品40》は、本日のように冬の静かな夜にかすかに降る雨の音が似つかわしい。
 夜の闇の向こうに、紅葉した葉もほとんど散ってしまった木々の幹や、芝生の上に散っている落葉を創造するのもこの時期の楽しみである。

 静かで内省的な夜の雨が嬉しい季節である。

   

 


朝寝坊が治らない

2022年12月17日 21時36分35秒 | 天気と自然災害

 天気予報では、横浜は15時以降に雨が降るとのことであった。今にも降りそうな状態が意外と長く続き、結局雨が降り始めたと認識したのは18時半頃であった。
 雨は日付が変わるころに上がるらしい。明日は晴れる者の気温は本日より低く、最高気温が10℃となっている。ようやく冬の気温に慣れて来たけれども、それでも寒いと感じる気温。

 昨日の段階で退職者会ニュース4頁全体の校正が無事終了した。これで印刷に回すことが出来た。なんとか来年正月12日までに納品が出来ることとなり、年越しの心配がひとつ解消。
 残りの心配はこれからの年賀状作成と言ったところである。まだその気分になっていない。
 明日は少々朝寝坊する予定。歳を取ると早起きになるというが、私は逆にだんだん朝がつらくなっている。かろうじて8時半起床を維持している。9時くらいまでは寝ていたいもの。寝るのは1時半。これが良くないと思うが、日付が変わる前に寝ることがどうしても出来ない。

 写真は11月初めの撮影。

    



「江戸絵画 八つの謎」その3

2022年12月17日 19時56分13秒 | 読書

   

 帰宅後、「江戸絵画 八つの謎」(狩野博幸、ちくま文庫)の第4章「曽我蕭白 ふたりの「狂者」」、第5章「長沢芦雪 自尊の顛末」を読み終え、第6章「岸駒 悪名の権化」を少々。

 第3章「伊藤若冲 「畸人」の真面目」は勉強になった章であったが、残念ながら第4章の曽我蕭白は私には著者のこだわりがよく理解できなかったので、引用も感想も省略。異存のあるかたも多いと思った。

 第5章の長沢芦雪では、武士の出という過ぎたる誇り、自尊心が余りに高く、世間と軋轢が絶えなかった芦雪の生き様をこれでもか、と浮き立たせている。そして晩年の芦雪の作品について「応挙没後のそれら(作品)に明瞭に見られるようになるが、心にしっとり染みわたるような作品群と、何かにせかされるような、苛々した感じの作品群とが、ほとんど分裂症的に併存する。‥なにかトゲトゲした感覚を見逃すわけにはゆかない。‥網膜にはっきりと映像を結ぶ幽霊を、酒精に侵された芦雪の脳が捉えたのである。正常と異常が繰り返す日々を、芦雪は応挙という存在なしで過ごしてゆかざるを得ない。」と記している。

 こういう視点で今後芦雪の作品を見てみたいと思った。