
本日読んだのは詩画集「鳥のように シベリア 記憶の大地」(宮崎進、岩波書店)。
2014年、神奈川県立近代美術館葉山で開催された「立ちのぼる生命(いのち) 宮崎進展」を訪れた際に購入した本である。
その時にも一度目を通したが、ブログには取り上げなかった。同時に購入した「旅芸人の手帖」(宮崎進、岩波書店)のほうが当時の私にはインパクトが強かった。
「敗戦と植民地の崩壊は、多くの人間を異国の原野に置きざりにした。野良犬のような生活は、やがてシベリアの俘虜として労働を強いられる日々に替わった。ここでは頼られるものは何一つなく、生きるだけの生き物として、次にやってくる何かをただ待つだけだった。二十歳を過ぎたばかりの私には、抜け落ちる砂のような虚しさだけがひろがって、やりきれない日々が続いた。」
「ラーゲリに辿り着いたその時のシベリアには、画帖やメモにすべき紙も鉛筆もなかった。眼の奥に焼き付いた記憶だけを頼りに作品を創った。しかし、中国やシベリアで出会った凄まじい人間の生きざまは美術の領域をはるかに超えていて、どう表現してみても仕切れない。そのことが私にとって制作上の一つの出発点となったと考えている。具象、抽象の別を超え、私の抱え込んだシベリアを透過して、その先に見え隠れする何かを描き止めようとする、イメージの造形化ということになっていった。人間本来の姿を、力強い生き物としての人間を、その存在から滲み出る何かを、画面の上に捉えたいのである。」(序章「私のシベリア」)

「いつか、地の果ての地獄の風景をこの眼で見たかった。/そう思うようになったのは、いつからだったか。/壮絶な空はますます遠くにあって、/大きな鳥がぼろぼろの羽をひろげて漂う。/これは私の中の鳥なのだ。」(Ⅰ「鳥になりたい」 「冬の鳥」 )

「私が私でありたいと思うとき、すべてを捨て孤独を求める。/はるかな空や、海原を漂う鳥になりたい。/虚空に浮遊していたいのである。」(原点)
「物の輪郭としてのかたちではなく、茫漠としてかたちのない無限。/人間の力の到底及ばないものを画面の上に捉えたい。」(原点)
「ありわけ私の眼に焼き付いたのは、生きる意志と力を失わない人間の持つパワーである。あの凍りついて何ひとつない荒野から立ち上がって、人間らしい営みを取り戻し、生きるためのさまざまなものを創り出した人間そのものの姿である。」(原点)
「私には、はじめにシベリアがあった。この体験や記憶を再現することはできないが、ここにあった絶望こそ、私を何かに目覚めさせるきっかけとなった。生死を超えるこの世界で知った、人間を人間をたらしめている根源的な力こそ、私をつき動かすものである。/私の描いてきたものは、戦争や抑留そのものではなかった。その体験を通して人間という何よりも強い存在そのものを表現しようとしたのである。」(Ⅱ「歓喜の歌 記憶の大地から」)
「世界の中がどうあろうと、昨日も今日も何も変わることのない宇宙や自然のサイクルのもとで、見ようとする眼の新しさだけが、新しいものを生みだすということである。/ものの表現とは、何をどう使って如何にしようとも、見る眼は所詮、つくる人間の肉眼以外の何ものでもなく、それ以上でも以下でもありえない、ということである。」(Ⅱ「歓喜の歌 記憶の大地から」)
「自然を自然たらしめているもの、人間を人間たらしめているもの、眼に見ることは出来ないが、原初的な根源にある丸裸の人間を捉えたいのである。戦争と俘虜という残酷で哀しい淵を生きた物の、したたがて清冽なまでの生き様を、時代の一つの断面として描いておきたいのである。不幸な時代を生きた一人の画家の体験をとおして、人間の原型ともいうべき、存在そのものに迫りたいのである。」(Ⅲ「シベリア 死の家の記録」)

「動きのとれないほど丸裸の人間の集まりが俘虜である。朝から晩まで、いつでも誰からも全体を見透かせる関係にあって、互いに晒け出した、ごまかしのない時間を共有する。気取りのない対等な、いわば裸のつきあいは人間の強い繋がりをつくる。」(Ⅲ「シベリア 死の家の記録」)
「死んでいった彼らへの鎮魂の思いを託すものは、生き残ったものにきざす無情をかたちに変えることしか、私にはなかった。」(Ⅲ「シベリア 死の家の記録」)