Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

編集作業終了

2022年12月14日 22時30分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 編集作業終了。印刷会社には本日の夕刻までに送信する、と言っていながら22時過ぎに送信するという事態になってしまった。なんとか1月12日の幹事会までに間に合わせて欲しいのだが‥‥。印刷会社にまた今年も無理をお願いする羽目になってしまった。

 今回は組合本部の書記のかたに入力を手伝ってもらいおおいに助かった。しかし12時半から今までの集中作業で、首と肩が凝り、頭が飽和状態になり、指先の筋肉も凝り、眼も焦点が合わなくなり、腰も痛くなってきた。果たして明日、9時前に家を出られるか心配になってきた。

 夕食時間と休息時間を除くと賞味8時間。現役時代は何とも思わなかったが、歳を実感する。
 


魚は骨と皮まで

2022年12月14日 21時40分00秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 ようやく編集作業は終了間近となった。あとは再度のチェックと印刷所への送信。なんとか22時過ぎには送信完了としたい。
 ひと息ついてティータイム。

 本日は親の通院日であったが、買い物もあるとのことで、妻に付き添いをお願いした。私は図書館と、帰宅後の編集作業に追われた。
 図書館の帰路、コンビニ小さな弁当を購入。10cm角で高さ5cmほどの小さな弁当でのり弁の小型版。シャケの小さな切り身が入っている。通常の1/3くらいであったろうか。包装には「魚には骨があります」と大書してあってびっくり。
 私の感覚では、骨のない焼き魚、煮魚などはマグロやカツオなどごく一部を除いてはない。魚が入っている弁当や惣菜を選ぶ以上骨のないものはあり得ない。そこまで「表示」しないと免責にならないというのが信じられなかった。
 大きな切り身が入っている弁当では見かけたことのある注意書きであるが、まさか2cm×4cmほどのシャケの切り身にまで記載してあるとは。確かに小骨は入っていた。魚の小骨は、舌や頬に刺さらないように口の中でえり分けて出すか、食べる前に身を少しだけほぐして骨を探るのが魚の食べ方の基本である。
 子どもの時から食べなれていれば、何の問題もないことなのだが、それだけ魚は毛嫌いされてしまっているのだろうか。魚が肉にすっかりとってかわられてしまったということなのであろうか。
 魚の美味しいところは、皮と皮の下、骨と骨の周りである。これを食べなければ魚を味わったことにならない、というのが私の持論。サンマの塩焼きなどは背骨をしゃぶっているうちにいつの間にか細かく砕いて食べてしまった子どものころをよく思い出す。アジの紐のも小さいものは骨ごと食べると実に美味しい。噛めば噛むほどに味も出てくる。

 そんなことを考えているうちに昼食時間が30分を超えてしまい、慌てて編集作業に戻った。

 


頭が飽和状態

2022年12月14日 17時05分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝は区にある市立図書館へ。市内の他の市立図書館から回送された「近代美術の巨匠たち」(高階秀爾、岩波現代文庫)を受け取りに行ってきた。お昼前に帰宅。
 退職者会ニュースの正月号の2面、3面の記事の原稿を編集。12時半から16時半までパソコンにへばりついて作業したが、まだ終わらない。今晩深夜までかかりそうである。今晩中に印刷所に送信しないと間に合わない。
 しかも明日の午前中は講座があり、朝から出かける。かなり切羽詰まって頭が飽和状態。こういう時は、いいアイデアも浮かばないが、放り出すわけにもいかない。
 夕食前にもうひと踏ん張り。