鶴丸城跡
2007-01-20 | 史跡
鶴丸城は城山の麓にある島津家の居城です。
城は、島津家18代家久が関が原の戦の後の1601年に着工して、1606年に城の前の橋が完成したといわれています。
本丸、二の丸、下屋敷が並ぶ、天守閣を持たない屋形作りの城でした。
これは「城をもって守りと成さず、人を持って城と成す」という薩摩藩流の思想によるものでした。
この城を本城とし、地方には外城がありそこを麓といいました。麓には武家屋敷があります(知覧の武家屋敷がその代表)。
本丸に通じる擬宝珠(ぎぼし)付きの石橋。
今ではこの堀と石垣と石橋が残るだけである。
冬のこの時期、堀のハスは枯れている。
本丸跡は、歴史資料センター黎明館になっている。
鹿児島県の歴史、特に明治維新関連の資料が多く展示されている。
城は、島津家18代家久が関が原の戦の後の1601年に着工して、1606年に城の前の橋が完成したといわれています。
本丸、二の丸、下屋敷が並ぶ、天守閣を持たない屋形作りの城でした。
これは「城をもって守りと成さず、人を持って城と成す」という薩摩藩流の思想によるものでした。
この城を本城とし、地方には外城がありそこを麓といいました。麓には武家屋敷があります(知覧の武家屋敷がその代表)。
本丸に通じる擬宝珠(ぎぼし)付きの石橋。
今ではこの堀と石垣と石橋が残るだけである。
冬のこの時期、堀のハスは枯れている。
本丸跡は、歴史資料センター黎明館になっている。
鹿児島県の歴史、特に明治維新関連の資料が多く展示されている。