慈遠寺跡
2008-05-16 | 史跡
種子島の、西之表港の近くに慈遠寺(じおんじ)跡があります。
慈遠寺跡。
廃仏毀釈によって取り壊され、現在は八坂神社になっています。
慈遠寺は、大同4(809)年、奈良興福寺の末寺として創建されました。
薩南諸島を鎮護する大伽藍でした。
1543年の南蛮船の漂着時には、この寺の宿坊に100人以上の南蛮人が半年にわたって宿泊しました。
そして、鉄砲を始め、タバコ、医薬品、パン、鋏、洋馬等を伝えたのです。
また、1551年11月、日本での布教を終えたフランシスコ・ザビエルは、豊後からインドに帰る途中、ここに立ち寄りました。
まさに、近世日本はこの地から発祥して開花したのです。
手水鉢には慈遠寺の文字が見えます。
慈遠寺跡顕彰碑。
八坂神社の社殿の横にあるアコウの大木。
慈遠寺跡。
廃仏毀釈によって取り壊され、現在は八坂神社になっています。
慈遠寺は、大同4(809)年、奈良興福寺の末寺として創建されました。
薩南諸島を鎮護する大伽藍でした。
1543年の南蛮船の漂着時には、この寺の宿坊に100人以上の南蛮人が半年にわたって宿泊しました。
そして、鉄砲を始め、タバコ、医薬品、パン、鋏、洋馬等を伝えたのです。
また、1551年11月、日本での布教を終えたフランシスコ・ザビエルは、豊後からインドに帰る途中、ここに立ち寄りました。
まさに、近世日本はこの地から発祥して開花したのです。
手水鉢には慈遠寺の文字が見えます。
慈遠寺跡顕彰碑。
八坂神社の社殿の横にあるアコウの大木。