心岳寺跡
2009-05-28 | 史跡
鹿児島市吉野町平松に、心岳寺跡があります。
国道10号から望む心岳寺跡入口。
ここは、姶良カルデラ壁の麓に当り、背後には急な崖が迫っています。
鳥居の左にある仁王像が迎えてくれます。
心岳寺跡にある平松神社。
心岳寺は、島津家第15代島津貴久の三男歳久を祀る寺でした。
廃仏毀釈で廃寺となり、跡に平松神社が建立されました。
歳久は豊臣秀吉の薩摩侵攻に最後まで抵抗したため、兄義久は秀吉から歳久の首を差し出すよう命じられました。
歳久は、天正20年(1592年)7月18日、領地の宮之城へ行く途中、追手に追われてこの場所で自害しました。
島津歳久の墓。
龍の口から水が出ている手水鉢。
大崎観音。
石門。
なお、ここから少し北の姶良町重富に、歳久の遺体を清めた「御石山」という史跡があります。
国道10号から望む心岳寺跡入口。
ここは、姶良カルデラ壁の麓に当り、背後には急な崖が迫っています。
鳥居の左にある仁王像が迎えてくれます。
心岳寺跡にある平松神社。
心岳寺は、島津家第15代島津貴久の三男歳久を祀る寺でした。
廃仏毀釈で廃寺となり、跡に平松神社が建立されました。
歳久は豊臣秀吉の薩摩侵攻に最後まで抵抗したため、兄義久は秀吉から歳久の首を差し出すよう命じられました。
歳久は、天正20年(1592年)7月18日、領地の宮之城へ行く途中、追手に追われてこの場所で自害しました。
島津歳久の墓。
龍の口から水が出ている手水鉢。
大崎観音。
石門。
なお、ここから少し北の姶良町重富に、歳久の遺体を清めた「御石山」という史跡があります。