豊臣秀頼と母淀君は、大阪夏の陣で自害しました。
その秀頼が、薩摩に逃れたという伝説があり、墓もあります。
場所は、鹿児島市谷山4丁目の木之下(木之下公民館近く)です。
秀頼の父秀吉の、木之下藤吉郎の木之下と関係があるのかどうかわかりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/f7/ff74509dc23534fbbda2252767c25eea.jpg)
墓の案内板。
「伝」というのが怪しいことを示している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/3d/3bdf1962859563f9bd3e1c6b95e80caf.jpg)
秀頼の墓。
人家の庭にあります。
初代谷山氏の供養塔という説もあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/4d/3140aa766ccd584f8c06974595f294f8.jpg)
隣の石塔。
秀頼とその妻千姫は、信長、秀吉、家康の三人と密接な関係があります。
秀頼は、信長の妹お市の長女淀君(茶々)の子。
千姫は、お市の三女お江の子。
二人はいとこ同士で、二人から見て信長は祖母の兄になります。
秀頼の父が秀吉(そうでないという説もある)。
千姫の義理の父が秀吉。
千姫の祖父(父秀忠の父)が家康。
秀頼の義理の祖父が家康。
つまり秀頼、千姫とも、信長、秀吉、家康の三人のうち二人と血縁関係にあり、残り一人と縁戚関係になるわけです。
政略結婚とはいえ、戦国時代のサラブレッドですね。
ちなみに、千姫は大阪夏の陣から救出され、その後長く生きました。
その秀頼が、薩摩に逃れたという伝説があり、墓もあります。
場所は、鹿児島市谷山4丁目の木之下(木之下公民館近く)です。
秀頼の父秀吉の、木之下藤吉郎の木之下と関係があるのかどうかわかりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/f7/ff74509dc23534fbbda2252767c25eea.jpg)
墓の案内板。
「伝」というのが怪しいことを示している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/3d/3bdf1962859563f9bd3e1c6b95e80caf.jpg)
秀頼の墓。
人家の庭にあります。
初代谷山氏の供養塔という説もあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/4d/3140aa766ccd584f8c06974595f294f8.jpg)
隣の石塔。
秀頼とその妻千姫は、信長、秀吉、家康の三人と密接な関係があります。
秀頼は、信長の妹お市の長女淀君(茶々)の子。
千姫は、お市の三女お江の子。
二人はいとこ同士で、二人から見て信長は祖母の兄になります。
秀頼の父が秀吉(そうでないという説もある)。
千姫の義理の父が秀吉。
千姫の祖父(父秀忠の父)が家康。
秀頼の義理の祖父が家康。
つまり秀頼、千姫とも、信長、秀吉、家康の三人のうち二人と血縁関係にあり、残り一人と縁戚関係になるわけです。
政略結婚とはいえ、戦国時代のサラブレッドですね。
ちなみに、千姫は大阪夏の陣から救出され、その後長く生きました。
確かに。。。 笑ってしまいました。。
戦国時代のお嬢様はあわれですね。
chiroさん。このブログはブログ内の検索がありませんか?
前から時々 この橋あったっけ? と思いますが
カテゴリーから全部見ています。
鹿児島に行ったら 湊川橋(指宿)に行きたいと思っています。
薩摩藩は、豊臣方でしたが・・・
ブログ内検索、あります。
右上の検索欄に入力し、その右の欄を「このブログ内で」を選択すればいいです。
湊川橋、岩永三五郎ですね。
最近、私も行きましたので、近いうちにUPします。
湊川橋と浜田橋、お勧めの石橋です。
亡くなっても実際は生きているかのように流布するのは戦略上のことだったろうと推測しますが・・。
王之山神社は行ったことがありません。
亡くなったことを隠すことはよくあったでしょうね。
生きていてほしいと願うことから、生存の伝説が生まれることもありますね。
西郷隆盛もそうですね。
へ~っ、初めて知りました。
そんな伝説があったのですね!
ちょっと行ってみたくなりました。
信憑性はないんでしょうけどね・・・
薩摩藩が、豊臣方についたため、こんな伝説が生まれたんでしょうか。
細い路地の住宅地の中にあります。