メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『世界の歴史8 ルネサンスと大航海時代』

2010-03-15 19:15:00 | 
『世界の歴史8 ルネサンスと大航海時代』監修:木村尚三郎 漫画:古城武司

ルネサンス:メジチ家を中心に富豪や貴族、ローマ教皇の保護のもとで文化が大きく発展した。文芸復興。「ルネサンスの三大発明」は、羅針盤・火薬・活版印刷。
メジチ家:13世紀の終わりに東方との貿易などで富をきずき、フィレンツェを支配。商業・金融業で大富豪となり、ヨーロッパで1、2を争う金持ちだった。
レオナルド・ダ・ビンチ:絵画・彫刻・音楽・建築・科学・哲学すべての学問に優れていたルネサンスを代表する天才。フィレンツェ生まれ。ベロッキオのもとで修行を積み、30歳でミラノに行き、戦車・砲弾・大砲など戦争兵器も考案。その他、潜水服・ヘリコプター・パラシュート・自動車なども考え出した。動くものには内部に仕掛けがあるはずと、馬や人を解剖して研究した。「最後の晩餐」や「モナ・リザ」も描いた。67歳で死去。
ボッティチェリ:「ビーナスの誕生」など。
ミケランジェロ:彫刻家・画家・建築家で力強い写実的な表現を用いた。「ピエタ像」「ダビデ像」が有名。レオナルドと張り合ったライバル。
ラファエロ:レオナルド、ミケランジェロと並んだ三大巨匠の一人。「ひわの聖母」など。
・ダンテ:神曲、新生などの詩で有名。
・ボッカチオ:デカメロン

コペルニクス:天文学者。肉眼による天体観測にもとづいて、地動説を唱えた。ローマ教会は、ギリシアの天文学者プトレマイオスの天動説を支持していたため、教会とのトラブルを避けるため、死の直前に出版した。
ガリレオ・ガリレイ:自らつくった望遠鏡で天体を観測し、地動説の正しさを証明したが、宗教裁判によって考えを直さざるをえなかった。
・アイザック・ニュートン:その後の近代科学を引き継いだ。万有引力の発見など。

・エラスムス:腐敗したローマ教会を風刺した「愚神礼賛」を書いて、15世紀半ばに発明されたばかりの活版印刷によって大量に出版され、大評判となった。
マルチン・ルター:宗教改革運動を起こし、のちのヨーロッパ世界に大きな影響を与えた。法律の学生から修道士となる。どんな罪も贖宥状を買えば救われるとした教会に反発、信仰があればすべて救われると説いた。破門された後、ザクセン候のもとで保護され、新約聖書のドイツ語訳を出版、初めて一般の人々にも聖書が読めるようになった。ルター派はのちに「プロテスタント(抗議する人)」と呼ばれ、それまでのローマ教会を中心とするキリスト教(カトリック)と対立が続いた。


●大航海時代:ポルトガルの探検航海者たちがアフリカから黄金・象牙・黒人奴隷を持ち帰った。
クリストファー・コロンブス:マルコ・ポーロの「東方見聞録」を読んで黄金の国ジパングに憧れ、地理学者のいう「地球は平らではなく丸い」という説を信じた。乗組員が集まらず、死刑を待つ罪人から選んだ。スペインを出航して71日目で陸地に上陸。コロンブスは生涯そこがインドだと信じていたが、アメリカ大陸の諸島だった。現地民をインディアン(インドの人)と呼び、スペイン領とした。
バスコ・ダ・ガマ:ポルトガルのリスボン港より出航。アフリカの喜望峰を越え、インドのカリカッタに到着し、胡椒などを積んで帰った。
マゼラン:ポルトガルの貴族。スペインを出航し、マゼラン海峡を発見。食料や水不足で大勢の船員が死に、マゼランもマクタン島において現地民との戦いで殺された。3年後スペインに戻った時はわずか18名の船員になっていた。マゼランは若い頃東周りの航路を回ったことがあり、西周りと合わせると世界一周をしたことになり、地球が丸いことを証明した。

・エル・ドラド:スペイン人が夢見た新大陸の奥地にあるという黄金郷。その後、アズテックとインカ帝国を発見し、侵略。スペイン軍の攻撃で、鉄の武器を知らない2000人以上のインカ人がわずか30分ほどで皆殺しにされ文明は滅びた。

古代アメリカ文明:アジアの人々が獲物を追ってベーリング海峡を越え、アメリカ大陸に渡ったのち農耕や牧畜をして暮らした。
・北アメリカ大陸文明:オルメカ文明→テオティワカン文明、マヤ文明→トルテカ文明→アズテック文明→コルテスに滅ぼされた。
・南アメリカ大陸文明:チャビン文明→ナスカ、ワリ、チムー文明→インカ文明→ピサロによって滅ぼされた。

インカ、マヤ、ナスカなんて魅力的な文明って全部アメリカなんだっけ?!驚
ヨーロッパ勢に滅ぼされず、他の文化に侵されず残っていたら、どんなだろうと考えるだけで浪漫


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聖徳記念絵画館×赤坂図書館

2010-03-15 17:44:17 | 町歩き
最高気温19度と予報してたわりに春コートだとちょっと肌寒かった。今日行ってきたのはこちら↓↓↓

聖徳記念絵画館


青山一丁目で降りて、外苑東通りをてくてく歩いていくと明治神宮外苑にあるデカくて重厚な建物。
あの・・・一般市民ですが立ち入ってもいいのでしょうか?
石造りの中は、これまた重厚な木の扉や、ドーム型の吹き抜け天井。外気から閉ざされてて、、寒い、、、
全部観終わる頃にはすっかり芯まで冷え切ってしまった。まるで天然冷蔵庫の中みたい。

明治天皇の誕生から即位、婚礼、訪問、維新のヒーローたちの面々も揃ってる!西郷どんももちろん!
最初の40枚が日本画で、天皇の顔が御簾に隠れてたりで描かれていないものも多いのと対照的に、
後半の40枚は洋画で、1枚1枚違った画家がそれぞれの持ち味を生かして歴史的瞬間を魂込めて描いてる。
説明書きも木造りで手書き文字?(ところどころ直されてたけどw)、世界の出来事も併記されてて分かりやすくまとまってた。

中央奥は絵にも描かれてた「なんじゃもんじゃの木」の根株や、明治天皇の愛馬の剥製と骨格標本?が展示されてた。

年中無休てエラいね。年配の方も数人拝観してた。
絵画館の周りにいろいろ記念的なものがマップに描かれていたので一応グルっと歩いてみたけど、
建国記念文庫は薄暗い小屋のようだったし、樺太日露国境天測標・葬場殿址は分からなかった
場ににつかわないゆるそうな遊園地「にこにこパーク」を過ぎて左に折れると、憲法記念館(明治記念館)がある。
てっきり中は資料館なのかと思いきや、バリバリ結婚式場
入り口でウロウロしてたらガードマンのおじさんに「どうぞ」てうながされて一応入ったけど落ち着かずすぐ出てきてしまった。
庭は見事だけど、その先の日本家屋まで歩いていってはいけないような雰囲気だったし。

史跡・名木

青山一丁目まで戻ったら、図書館が近いと分かって寄ってみた↓↓↓

赤坂図書館
都心らしく高層ビルの3Fワンフロア。小奇麗な棚に比較的新しい本たちが整然と並んでる(あの古い紙のかほりはしないのだ
窓際が机で勉強してる人、本や新聞を読んでる人、学生じゃなくてみんな社会人ぽい。
同じ「外国の小説コーナー」でも場所がかわるとちょっと目新しい発見があるから楽しい♪
またよさげなのを見つけたから、近所で予約してみよっと。児童書コーナーはなんだか入りづらくてスルー。

図書館で手にとって本に書いてあった言葉。

「難しそうだからやらないのではなく、むしろ、やりたくないから難しく捉えてしまうのだ」


駅前のサイゼリアで遅めのランチ。地中海風ピラフ(パエリア)はシーフードいっぱいで美味しかったv
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『火垂るの墓』(1988)

2010-03-15 00:31:05 | 映画
『火垂るの墓』(1988)
監督・脚本:高畑勲 原作:野坂昭如(新潮文庫版)
挿入歌:「埴生の宿(原題:Home, Sweet Home)」アメリータ・ガリ=クルチ

trailer

「4歳と14歳で、生きようと思った」

大好きな『ナウシカ』以外はジブリ作品といってもまだ観てないものがたくさんあって、
昔観たまま記憶が曖昧なのも多い中、今作はずっと昔に観た時の大きな悲しみとショックで、
実はその後終戦記念日に毎年OAされてても観るのを避けていたが、
昭和を振り返るには避けて通れない戦争をいま一度考える上で、ぜひもう一度観たくなって借りてみた。

原作が野坂昭如さんだったんだね。「疎開先の福井県で栄養失調で妹を亡くした経験を贖罪のつもりで書いた」とのこと。
ジブリというと全部が宮崎駿が描いたと思ってしまってたけど、違うんだ。
特典のインタビューでもある通り、宮崎駿は当時同時上映された『となりのトトロ』を描いていた。
まったく雰囲気の異なるこの組み合わせは大胆で、いまとなっては貴重すぎ!
で、重いテーマの今作のあとにトトロなら癒されただろうと思いきや、順番は逆。そりゃ酷な話だ/滝汗

節子の声を担当した白石綾乃は当時6歳で関西出身。特典には録音時の苦労話と、実際の録音風景(音声のみ)が入っていた。
幼い声の質が変わってしまう前に録音したかったのと、よりリアルなものにするために、声を先に録って、絵を後から描いたとか。
この節子の声が本作により感情移入させる重要な要素になっているだけに、当時の苦労が伝わってくる。


あらすじ
昭和20年。神戸に大規模な空襲が行われ、先に防空壕へと行った母を追いかけた兄・清太と妹・節子は
川沿いで休んでから振り向くと火事で町が一面の焼け野原と化していた。
避難先の学校で、母が重体と知り、清太が駆けつけるとミイラのように全身火傷で包帯に覆われ変わり果てた母の姿。
翌日、隣町の病院に搬送する間もなく母は他界。他の死体とともに埋められてしまう。
焼け出されたら頼るように言われていた西宮の叔母は、最初2人の世話をよくみていたが、食糧難で配給制となり苦しくなると、
「お国のために働いとる人と、家でゴロゴロしとる人とどうして同じものを食べられるの?」と辛くあたる。
母の形見の着物も売られて米となり、節子は夜中になると母を求めて泣くので、叔母に叱られた。

清太は母が万一のためにと貯金していた7000円(当時としては大金だよね?父は海軍兵だったしそこそこ裕福な家だったのか?)を下ろして、叔母の家を出て、山上の防空壕に2人だけで住みつく。
川の魚を七輪で焼いたり、カエルを日干しにしたりしていたが、節子は栄養失調のため下痢がつづき、食欲も失い、衰弱してゆく。
滋養のあるものを食べさせてあげようと、清太は有り金すべて下ろしに銀行へ行って終戦を知り、父も戦死したことを悟る。
防空壕に戻ると節子がぐったりしてうわ言をいっている。そして、そのまま亡くなってしまった。

妹を自らの手で焼き、その骨を妹の大好きだったドロップ缶に入れて持ち歩き、
清太もまた駅構内で栄養失調で行き倒れたまま死んでしまう。


物語は霊となった兄妹が生前の思い出をたどるという構成。
同時に死んでも、魂の成長の度合いによって行く場所が違うから、死後世界では会えないみたいな話を聞いたことがあって、それがもし本当なら、思うに、妹想いの兄が死んでもなお節子に会いたいと願ったための投影ではなかったか?
こうして改めて観ると、悲惨さよりも、兄妹が寄り添って懸命に戦中・戦後を生きたあたたかみを感じて救われた。

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